自分のアタマで考えて欲しくないのか?
今日(5/17)は暑い日でした。午前中から30℃を超えていた。
ちょっと暑すぎかな、と思いましたが、予定していた「過去への小さな旅」を決行しました。
高校時代の通学ルートをたどり、その時代の想い出の場所を歩き、帰って来る、という数時間、全行程でバス+徒歩1万歩+地下鉄の小さな旅です。
日焼けしそうなので、首の後ろに日除けが付いた帽子とフェイスカバーという、おばちゃんキャディー風のいでたちで出かけました。
このまま銀行に押し入ったら、即、警察通報ボタンを押されますね。
その話はいずれどこかで書くとして、歩いていて、また、電車やバスで、
《暑くてたまらなそうな高校生》
をたくさん見かけました。
私は半袖の開襟シャツでしたが、それでも暑かった。
ある男子高校生は、長袖シャツにチョッキ姿でした。
バス停で見かけた帰路の女子高校生何人かは、別々の高校らしく異なる制服姿でしたが、そろって長袖シャツに長袖カーディガン(!)を羽織っていました。
女子高校生のひとりは手のひらを内輪のように振って顔を扇いでいましたが、ほとんど効果はなく、ぐったりしていました。
その女子高校生がバスに乗り前に手を振った、友人らしき男子高校生は、制服ネクタイを大きく緩め、でも外すことはなく、やはりぐったりしていました。
間違いなく、みーんな、校則に従って、この「5月」という「冬服」と「夏服」の中間に定められている制服姿をしっかり守っているのでしょう。
以前、校則や制服について書きました:
その中で:
朝家を出る時、今日はひと雨来そうだ、あるいは天気予報がそう警告していたら、傘を持ちます。
同じように、今日は暑くなるのがわかっていたら、カーディガンをやめる、半袖を着る、など臨機応変にできないものでしょうか。
ひょっとしたら、学校の中は冷房がガンガンで「制服用」温度管理がなされているのかもしれません。
でも、帰り道ぐらい、カーディガンを脱ぐ、部室で半袖に着替える、なんてこと、できないのでしょうか?
それも許されないくらい校則が厳しくて、しかも、どこに「制服警察」がいるかわからない状況なのでしょうか ── だったらまだいいのだけれど……。
最悪のケースは、
『通学中の服装に関しては、自分のアタマを使って考えることをやめてしまった』
ケースです。
ガチガチの制服ルールは、
《自分のアタマで考えることをやめる生徒》
を作り出すのではないでしょうか?
それはなんだか、どこかの国が自由な発言を封じて、
《自分のアタマで考えることをやめる国民》
を作り出そうとしているのに、似ていないでしょうか?
母校を訪ねる、というウン十年ぶりかの機会のためでしょうか ── 普段はおそらく見過ごしている高校生の服装に着目しました。
今日見かけた高校生たちが通う学校の先生たちは、
『生徒に、自分のアタマで考えて欲しくない?』のかな?
それとも、自由裁量の部分があるにもかかわらず、生徒たちが基本ルールに過度に忠実なのだろうか?
(私の長女がかつて言っていたように)
『アタマ使わない方がラク』── だから?
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