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移動と思考と世界に対する信頼と




憎悪に発展する可能性のある不安の九割は、
見知らぬ事柄に対する無知、つまりは、
故郷以外の世界を知らない経験不足が原因だと私は確信している。
  ―――ペール・アンデジョン『旅の効用』311頁



▼▼▼季節性鬱と、北海道への避暑▼▼▼


7月29日に北海道に降り立った。

昨年も夏の1か月を北海道で過ごしたが、
今年も友人ご厚意と家族の理解/妻の献身により、
「避暑」を敢行させていただいている。

読者の方はご存じの方も多いかもしれないけれど、
僕は2013年の秋に燃え尽き/鬱病を患った。
2年間まったく動くことができなかった。
四方八方、十六方、どこを見ても絶望しか見えなくなる鬱病は、
魂の牢獄というか、地獄巡りというか、
筆舌に尽くしがたい辛さがある。

寛解してから8年ほどが経つのだけど、
その間、記憶によると6回ぐらい「再発」している。
僕の場合、鬱病のこの8年の再発はある日突然、
「この日を境に」と日記に書けるほど急激に訪れる。
だいたい2か月ぐらい症状が続き、
「この日を境に」と日記に書けるほどウソみたいに治る。

原因は、ない。

仕事で無理をしているわけでも、
ストレスが蓄積しているわけでもない。
幸せに楽しく仕事してて、
家族と時間を過ごしてて、
それがある日突然、
昔のノートPCが突然「Windowsアップデート」を、
断りもなく暴力的に始めたときのように、
僕の脳(つまり加えて感情)は、
突然動きを止めるのだ。

2年前、たぶん6回目の鬱の再発のとき、
僕は心療内科に行って先生に相談した。

再発のパターンを僕は見つけ出していた。
6回のうち5回がお盆過ぎから9月にかけての時期に再発している。
おそらく「夏の暑さ」がこの再発を引き起こしているのではないか。

じっさい、7月後半になってくると、
普段サクサクと30分でこなす仕事量に、
45分とか1時間とかかかるようになり、
本を読む速度が落ち、
冬には5時間でも6時間でも無限に読み続けられるのに、
7月後半には1時間読むともう脳が「飽和」したように感じて、
本を読む情報処理のコップが小さくなる。

こういった徴候はあれど、
普通に日常を送れているし、
家族との幸せな時間はやはり幸せだし、
目立ったストレスもないわけなので、
「通常通り」に感じていた。

だけど、こういった状態が1か月以上続いたある日、
つまり8月後半から9月前半に、
6回の鬱病再発のうち5回までが集中しているのだ。

2年前、すでに発症している状態で、
三鷹の心療内科で僕は先生に言った。
「これまで数年間のパターンを自己分析する限り、
 季節性のもののような気がするんです。
 特に夏の暑さが原因のような気が」

先生は言った。
「季節性の鬱は通常、冬に出るのが典型なんですけどね。
 でも、鬱の原因っていうのははっきり分かってないので、
 夏の季節性鬱もあっておかしくないし、
 夏の季節性鬱の場合も、
 転地療養して寛解される方もいますよ」

僕は言った。
「たとえば夏の一番暑い時期に、
 東京から逃げて涼しい場所に行くとかは、
 先生はどう思われますか?」

先生は言った。
「お仕事だとか諸々の状況的に、
 もし可能ならやってみる価値はあると思いますよ」

2年前の鬱の再発は結局、
薬を飲んで這うようにして行った岡山出張の帰りに、
姫路城を見ながら11月の秋の風を感じた瞬間に、
「あ、今治った」という形で寛解した。
涼しくなると寛解するのだ。

鬱は時空を歪ませるので、
客観的に2か月の鬱病状態は、
主観的には2年ぐらいに感じる。
いや、毎回、永遠に終わらない地獄と感じる。
出口のないトンネル。

その間、仕事は「前から決定していた会議/講演など」を除いて、
すべてがストップする。
メルマガも、Podcastなどの放送も、読書も。
脳は緊急停止していて、
無理矢理オンライン会議で脳をたたき起こすと、
1時間の会議の疲労で、
翌日はベッドから起き上がれなくなる。

家族との食事もできなくなる。

鬱になると太陽光の刺激が網膜と神経に痛いので、
カーテンを閉めて昼夜薄暗くした部屋で、
ひとりぶんの食事を黙々と食べる。
家族と食事すると簡単な会話でも脳が疲労するし、
鬱の症状で完全に感情が消失していて、
顔面から表情が消えて、
突然涙がこぼれ落ちたりするので、
そんな姿は娘たちにとっては恐怖でしかない。
2ヶ月間、独房で飯を食うように、
ラジオをつけながらひとりでご飯を食べる。

要するに再発すると、
鬱はハリケーンのように僕の生活/仕事/家庭を蹂躙する。
木っ端みじんになった荒野で、
僕は部品を拾い集めて秋以降に体勢を立て直す。

そんなことを8年間で6回も繰り返してきたのだ。

鬱も俊君の一部で、鬱も「友だち」なので、
鬱を抱きしめると言ってくれる妻がいなければ、
僕はどうなっていただろうと思う。

数年前から僕の季節性鬱について北海道の友人に話していた。

友人はずっと「夏に家に来たらいい」と言ってくれていた。

コロナ禍の「移動制限」も緩くなったタイミングで、
僕は思いきってそのお言葉に甘えて、
昨年の8月を北海道で過ごした。

鬱は再発しなかった。

そして今年、また北海道に来ているわけだ。


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