なんで雨の終わりのスタートなのか。平成から令和の境目とモナリザ
そういえば昨日(5月1日)の令和初食はてんやでした(れいわ・てんや、っていう響きが浮かんで、「これや・・」とサンロードを奥まで進みました)。ちなみに朝は固形物をほぼ食べません。本多です。
さて、
5月2日になりまして。
平成最後の日も雨だし、令和初日の日も雨だし、寒いと稼働力が落ちるのでそろそろもう暖かいのを希望するのですが、この雨はまた必然、のように感じます。
というのも、
「平成ときもそうだった」というような話も聞いたり、
今回のこの「令和」はの令は「れい」と読んでその音の漢字はいろいろあるのですが、たとえば「零」ってあって。令の上に雨がついているじゃないですか。
そして「零」は「ゼロ」ということでもあるので、リセットするために流しているのかな、と。
どうせだったらこれまでのややしいアレコレも水に流してしまえたらいいですよね(笑
そんなこんなで平成の最後の日から切り替わる日まで雨は必然だったのかなと思ったりしています。心機一転清々しく行きたいですね。
で、
タイトルにさりげなく「モナリザ」と入れたのは、
今日、5月2日は「レオナルド・ダ・ヴィンチの没後500年」だそうで。
これもたまたま見かけた、完全に聞きかじりの知識ですが「へぇ」と。
ダ・ヴィンチといえば、フランスのルーブル美術館その現地で実際にも観たのが思い出されますが、非常に厳重、だったのを覚えています。
名前を出してみたものの、さして詳しくもないので、ここはひとつwikipediaのみなさまにご協力いただき概要を掘り下げていくと、なかなかご苦労の多い展示人生を歩まれていることがわかります。
パリで実際に観たときもざっくりと調べて行ったのですが、たどり着くまでけっこう時間がかかって「ついに来た……」という達成感で満足しきったものです(ルーブル美術館、ものすごく広い)
wikiを改めて眺めてみると、この「誰なのか実際のところわからない」ポートレートに対して、酸を浴びせたり石を投げたりするのはいったい、なにが起きているのか、とふと気になるところです。
今は、超厳重に湿度もコントロールされた防弾ガラスのフレームの中に収まっているのできっと快適なのでしょうが、確かに、その場で観た際も(ものすごい人だかりでしたが)なんとも言えないオーラを放っていました。
画像でもけっこう不思議なものを放っていると思うのですが、これはリアルに見ると「なおさら」というのがホントにそうで。良い方にも悪い方にも引っ張られそうななにかある気がします。
そんな捉え方はけっきょくは鑑賞者次第、ということで、
むりやり令和とモナリザの冷笑とも言える微笑みを結びつけると、自分自身の芯をしっかり持っていないと、意味不明な行動に駆られてしまうのではないかと、そんな時代になっていくのではないかと。なおさらね。
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