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【中国語のこと②/旅行】上海編

大学に入学して中国語の授業が進むこと約1年。
ついにこの瞬間がきた。
初めての海外旅行!一人旅!そして上海!

大学に入りサークル、バイト、授業など、たいして特筆すべきこともないような生活に囲まれた中では鮮やかな思い出になるだろうと思っていた、出発前までは。

前述の友人が空港まで迎えに来てくれるとのことだったので、到着時間と集合場所を確認し、いざ出発。
快適な空の旅を過ごし、遅れもなく上海へ到着、イミグレも初回の旅行の割には何なく通過。

さて、ここからが問題。
友達が一向に来ない、、待てども来ない。
本当に来ないし、授業で習った言葉も你好しか出てこない。自分の無能さを感じた。

そしてみなさん思い出して欲しいのは、2000年代の中頃は今のようなスマホもなく、海外対応の携帯でもなかったため連絡が取れない。

いま考えればリスク管理が激甘すぎて、上司から怒られる案件だけど、出会えない、もしくは不具合が起きたケースの想定を全く考えてなかった大学一年生の春。

握りしてめいたのは事前に用意していた100元(当時1300円とか?)と友達の携帯の番号。

さて、海外で電話をかけたことのない私と番号は中国語の数字で言える私。

番号なんて中国語で言わなくても見せればわかるなんて気付かないくらいその時は焦っていたし、迎えに来ないのであれば空港で3週間後まで暮らせばいいかとすらも思っていた。
お金ないのに。

しかしここから頑張り始めた。
とりあえず話しかける。けど中国人のあぁ!?というあの感じが怖い、怖すぎる。
次の一言が出てこない笑
優しい人だったから英語っぽいの話してくれたけどそれも答えられない。
今までなんて優しい環境で育ってきたのだろう、日本て素敵な国だったなと遠い目もしてたと思う。

しかし、困っている人を助けてくれる人がいるのもこの世の中のいいところ。
この番号見せてcall please.と言ったら掛けてくれた、そして友達が電話に出た!

「あ、すまん。大学と仕事終わるの遅くなったから今から向かうわ〜」

いやいや、めっちゃ悠長じゃん。笑
こっちは初めて1人で旅行に来て、誰ともコミュニケーション取れなくて、困り果ててたのにそれだけ?って感じでした。

この時は安堵感もありつつ、どこかで自分の人生こんなんでいいの?ってすごく強烈に思った出来事でした。

もちろん、日本で精一杯生きるのは大事なんだけど、海外ってどういうところでどんな生活をしているんだろう、そして色んな人とコミュニケーションが取れるようになったらなんて素敵なんだろうって本気でそう思いました。

それから1年後にアメリカに留学するのですがそれはさておき、この上海での旅行かつ、過ごした日常の日々をこの次に書きたいと思います。


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