資本主義の成れの果て

資本主義の成れの果てみたいな商品やサービスが好きだ。

コカ・コーラ、マクドナルド、すき家、セブンイレブン、UNIQLO(GU)など。なんで、このクオリティがこの値段で提供出来るんだと、いう感動がある。高くて良いのものは当たり前な訳で、安くても価値があるものに消費者は魅了されるのだ。

そういったことが出来るのは、資本主義にレバレッジをかけたグローバル企業や大手企業が殆どだ。

規模の経済で、安く原材料を仕入れること出来、販売価格を市場の最安値レベルにすることが出来る。ついていけない競合は淘汰されて、さらにこういう企業にお客が集まり、収益が増える。その収益が商品開発に投下され、商品のクオリティは更に上る。

昔、すき家でバイトしていた時の研修時代の先生が、「なぜすき家のうな丼はここまで安く出来るか分かりますか? なぜなら、すき家はうなぎを買っているのではなくて、うなぎがいる池を丸ごと買っているのです。」と言っていた。

この話の真偽は不明だけど、すき家は日本最大の牛丼チェーンであり、日本最大手の飲食会社の一つであるわけで、こういったことはなくはないだろうなと思った。

関係ないけど、すき家の創業者の小川賢太郎さんは同じ高校の先輩だ。そういうこともあり、すき家は大好きだ。


極端な話、共産主義国家における旧ソ連で、すき家の牛丼が食べれただろうか。すき家は無理でも、マクドナルドのハンバーガーは食べれただろうか。今の北朝鮮を見て分かる通り、きっとそれは難しいのだろう。

そう思うと、資本主義というは、消費者という観点においては、そのシステムによって最大限の恩恵を受けていることは間違いない。そして、グローバリゼーションとインターネットがそれを後押しし続けるのだ。



だがしかし資本主義への限界も感じないだろうか。

「世界のトップ62人の大富豪が、全人類の下位半分、すなわち36億人と同額の資産を持っている」

世界の人口は80億人いるわけだけど、その半分の富と同等の富を、トップ62人が保有しているのだ。

食べるものがなく飢えで苦しんでいる人々がいる一方で、自分が生きている間には到底使い切れない富を保有している人たちがいる。

彼ら超富裕層の富を下位層に分配すれば、世界は飢えから脱却し、世界から争いは消える。と簡単にいえるほど、経済というのは単純ではないのだろうけども、やはり不条理を感じざるを得ない。


20世紀に金本位制が廃止されたことが、この資本主義の不条理のはじまりだったのかもしれない。

金本位制廃止によって貨幣増加の物理的制約が解き放たれ、世界の富の総量は拡大し続けてきた。そして、ピケティが述べた、「R(資本収益率)>G(経済成長率)」の通り、この世界は富める者がより富めるのだから。

高潔な道徳心か強権的な意思決定がなければ、格差を是正するような、富の分配の意思決定は難しいのだろう。そして、その意思決定は、資本主義を牽引していきた、新自由主義的な意思とも相反しかねない。


来世紀まで資本主義は残っているのだろうか。
代替されるとしたら、どんなシステムなのだろう。

消費者としての利便性を保ちながら、人々の競争心を削ぐこともなく、富や食料の極端な偏りがこの世から消滅している世界に果たして人類は到達出来るだろうか。

否、きっと出来るだろう。そうあって欲しい。
すき家でねぎ玉牛丼を喰らいながら、ふとそんなことを考えた。

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