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「安い」っていい事?

note初投稿。どうもメキシコ留学4ヶ月目の大学3年生です。今まで気づき、考えたことはTwitterにメモ程度に記録していたのですが、今回ばかりは異常な文字数になったのでこちらに記録したいと思います。今回はメキシコ、ラテンアメリカで最も深刻な問題である「格差」について、四か月間で見てきた光景、経験を混ぜながら自分なりに考えてみました。思考の整理目的ですので、つたない文章ですが最後まで読んでくれたらうれしいです。


金銭感覚と価値観の違い


メキシコを始めラテンアメリカの物価は安い。日本でいうワンコイン(500円)でタコスは10枚以上買えるし、その気になれば1週間生きていける。だから日本人は急に裕福になった感じがする。自分もこんなに物価が安い国ならずっと暮らしたいってプラスの面だけ見て4ヶ月過ごしてきた。


先日の旅行でラテンアメリカ出身(ペルー、コロンビア)の学生数人と2日間生活する機会があった。彼らにとってはメキシコの物価は高いそうだ。1泊一人200ペソ(1200円)のホテルに泊まるのを高いと言って結局車中泊になった。正直理解できなかったし、腹が立った。自分だけホテルに泊まろうかとも思った。そのくせお土産ものとか食料品には出し惜しみしない。なんというか金銭の感覚と価値観の違いが明確に分かった瞬間だった。
でも、これは単純に自分(日本人)が比較的裕福で、皆が貧しいという構造があるということで済ませていい問題ではない。もっと根の深い問題がそこにある。

労働者の話

メキシコを始めラテンアメリカの非正規労働者(申請なしに労働を行い、納税対象となっていない)の割合は非常に高い。労働環境が福祉や法で守られていない労働者の割合は全体の労働者の6割にも上るという(ジェトロ海外調査部資料より)。よくお世話になるタコス屋の一部も、おみやげの露天商もこうした不安定な環境で働いているという訳だ。普段露店商は、しつこいくらい必死に声をかけてきて正直得意ではなく、’No gracias.(いらんわ、じゃあな)’ と言うか、無視して過ぎ去ることが多い。しかしこのような背景を考えるとそのような必死さも少し納得できる。一方で上級層は非常に高い賃金を貰いながら、福祉など行き届いた労働環境のもと働いている。ショッピングモールなどに行くとそのような層で賑わっており、その生活環境の差に唖然とするばかりである。(画像:高級ショッピングモール)

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それぞれの兄弟の生きる世界

ここで脳裏に焼き付いているエピソードを一つ。以前ケレタロに旅行に行った時の話だ。ケレタロは日系企業の進出も非常に多く、一方、歴史的な水道橋など街並みも美しく、観光でも非常に賑わうメキシコの中では裕福な街である。(画像:ケレタロの街並み)

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とあるレストランで食事をしていた時、隣に観光客と思われるメキシコ人一家が座っていた。両親と、小学生と幼児の兄弟。子供たちは綺麗な服を着て、行儀よく、美味しそうにパンケーキを食べている。食事をしていると、その子供たちと同じくらい年の兄弟がミサンガや人形を売りに来た。服は破れかけ、薄汚れ、肌は黒く汚れている。こうした物売りの促販はメキシコではよく見かける光景である。その時頭によぎったのは、物売りの兄弟の生活である。普段どんなものを食べてるのだろうか。旅行をして他の街の景色を見たことはあるのだろうか。両親は子供たちだけで働かせどうしてるのだろうか、ほかのところで働いているのだろうか。考え出すとキリがなく、やるせない気持ちを抱いた。きっと各々の兄弟はお互いの世界を知らず、自分の住む世界を「当たり前」と受け入れて暮らしている。


ホームレスに対する対応


9月関東圏を大型の台風が襲った。その際ホームレスを避難所に受け入れなかったことで非難された自治体があった。

この判断について、当時個人的にはマジョリティおよびそこに住む人々の治安と生活を守るためにはやむを得ない面もあるのだろうと思い、自治体を責め切ることは出来ないように思っていた。そこで同時に考えたのは、これが「メキシコだったらどうだったのか」という点だ。メキシコではホームレス、物乞いが溢れていてそれらを見ない日はない程である。要はある意味これらの層が限られている訳ではなく、当たり前にいるということだ。物乞いにお金を渡す光景もよく見かける。きっとこうしたホームレスがある意味マジョリティ化したメキシコではそれらを完全に隔絶するということは考えにくい。ここでの判断基準はどちらが善か悪かという事ではなく(もちろん両者に善も悪もない)「どのような層がマジョリティなのか」という点になっているように思われる。

裕福さと幸福度

メキシコ生活で気づいたのは、このような人の裕福さとは関係なく見られる人の笑顔と交流である。コンビニ店員(正規労働者)とホームレスが仲良さそうに話す光景もたまに見る。もちろんホームレスがありふれている社会の構造も背景にあるのだろうが、階層の垣根が日本と比べて低いように見える。格差の問題が目に見えるところにありながら、そこまで問題意識を抱かずに過ごしてきたのも、こうした人々の生活の様子が一因となっているのかもしれない。

お金を持っているから幸せなのか。メキシコ生活でその価値観がかなり変わった。お金はあくまで生きる手段であり、目的ではない(もちろんあるに越したことはないが)。これから自分がどういう風に生きていきたいか決める一つの指標にもなっている。

まとめのようなもの


誰かが甘い汁を吸う一方で高いリスクを負いながら働く人々が沢山いる。これを資本主義社会の影響、仕方ないこと。で済ませていいのだろうか。自分は為替の力、円の力で不自由ない生活を送れてる。一方で上記のような現実もある。
もちろん日本人もホームレスと仲良くしようと言っている訳では無いが、自分の安定した生活の背景にはこうした、社会に取り残されている存在もいるということは念頭に置いておきたい。
これから自分がこのような現実にどのように向き合えばいいかは正直はっきり分からないが、自分がいままで感じていた押しつけがましい露店商への抵抗感は多少減ったように思う。とりあえずメキシコ土産の雑貨を沢山買って持ち帰ろう。


今後も不定期ですが何かしら書いていきたいと思います。それでは、Nos vemos!