空白の5年3ヶ月
2019年7月
5年3ヶ月務めた国家公務員を退職した。
あれからもう4年間、道草を食い続けている。
この4年間を「道草を食う」と表現するのは、
あのとき肌で感じていた「社会のレール」の存在が
まだ身体に染みついているからだ。
私はあれ以来
レールの中にいる彼らと
レールを踏み外し続けている自分とを
無意識のうちに比較していたんだと思う。
そうでなければ
自分が自分で決めて取り組んでいることに
本当にこれでいいんだろうか・・・
なんて不安を抱えることもなかっただろう。
。。。
当時
国会議事堂の敷地内を警備する「衛視」という仕事をしていた。
私はこの務めていた期間を
「空白の5年3ヶ月」
と呼ぶ。
自分の中にいるニコ・ロビンがロードポーネグリフを解読中なので詳細は全てを書ききれるわけではない。
(なんのこと言ってるかよくわからない人はスルーしてほしい)
私はこの5年3ヶ月をあまり人に語りたがらない。
理由は主に3つある
センシンティブな内容
国の機関で働いていた、その責任から私の口は重たい。ここで起きた出来事は全てを話せるわけではない。全てを話したいわけでもない。楽しいばかりであれば話は別だがそうではないのだ。
正直言って当時の自分の内面を語ればヘドが出るような言い方になるだろうし、それを通して観る日本という国はいくばかりか心象が悪くなると思う。どこで人と人の価値観がぶつかるのかも分からないから、いつからか口を閉ざしている。
悲しい思い出
上司が自殺した。上司が置引きして捕まった。
どの会社でもあることだろうか。そんなことはないだろう。福利厚生、生涯安定、年功序列、昇給万歳。恵まれた職場環境でありながら人が不幸になる職場。この時から私には安定が人をダメにするという視点が生まれている。できることならそんな悲しい出来事を通して学びたくなかった、だけどそれが現実だった。
お国の補佐機関がそうなんだから、日本の末端ではもっとひどいことが起きているんだろう。豊かな想像力は悲しい妄想に支配されていったのもこの頃から。
理想と現実
国会で仕事してたの?すごーい!
何もすごくないんだ。
成長意欲、貢献意欲100%で就職した19歳。
体調不良、反面教師100%で退職した24歳。
誰がこんな現実を語りたがるだろう。
退職金?安定?理想の結婚?
この世のおろそこに置いてきたわ!
なぜいま空白の5年3ヶ月
を読み解こうとしているのか。
今の自分を形作っているヒントがほしいんだ。
悲しい過去と明るい未来は対局にあるようでそうじゃない。
夜があれば朝があって
雨があれば晴れがあるのが自然。
悲しい過去がないのであれば
明るい未来がないのも自然。
私は今明るい未来に動き出そうとしている。