直感は超高性能AIだと思う。
「なんとなく」
とても便利な言葉だと思う。
僕も何かを決めるとき「なんとなく」決めることも多い。そしてだいたいその選択は合ってたりする。(たまに間違うけど)
なんでなんだろうと考えていた時、どこかでこんな言葉を聞いた。
「直感は自分にとってのAIみたいなものだ」
確かに納得した。
AIっていうのは、言わずもがな人工知能のことで、Google先生が僕に桃鉄の記事ばかりおすすめしてくるのもそれである。
wikipediaによると、こういうことらしい。(むずかしい)
人工知能(じんこうちのう、英: artificial intelligence、AI〈エーアイ〉)とは、「『計算(computation)』という概念と『コンピュータ(computer)』という道具を用いて『知能』を研究する計算機科学(computer science)の一分野」を指す語[1]。「言語の理解や推論、問題解決などの知的行動を人間に代わってコンピューターに行わせる技術」[2]、または、「計算機(コンピュータ)による知的な情報処理システムの設計や実現に関する研究分野」ともされる[3]。出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
まぁ簡単に言うと、
「知的行動(意志決定とか)」など、人間にしかできないと思ってたことを膨大なデータを判断基準として、コンピューターが代わりにやりますよってことだと思う。(たぶん)
AIの説明はいいとして、
僕が思うのは「なんとなく」とか「直感」と言うのはこの人工知能と似たような原理なんじゃないかと思うってことです。
「なんとなくこの人合いそう」
「なんとなくこの人好きじゃなさそう」
「なんとなくこの洋服好きだな」
日常生活で、「なんとなく」で感じていることはすごく多いと思うのだけれど、
この「なんとなく」は今まで生きてきた経験(=AIで言うと膨大なデータ)を元に、AIっぽく自動的に判断(区別)しているのだろうなと思います。
だから、「なんとなく」とか「直感」とか「フィーリング」と言うのは自分の中でめっちゃ大事にしていい感覚だと思うし、それを信じて大事な意思決定をするのもすごくいいことだと思う。
大事なことほど「よく考えて決めなきゃいけない」とか「間違っていたらどうしよう」と考えて、意思決定に時間がかかってしまうことや、迷いすぎて判断できないことに陥ることが多いと思いますが、
そんな時は、自分のAIを信じて、「なんとなく」決めるのもアリなんじゃないか?と思います。
ただし、AIにも間違うことだってあります。
AIが間違える時って、「データ不足」なことが原因だと思うけど、(Google先生が意味わかんない記事をお勧めしてくるときとか)
自分の「なんとなく」が間違えた時も、
「データが不足していたんだ、いいデータ収集になった」と、
前向きに捉えればいいんじゃないでしょうか??
あとは、「なんとなく」の成功率を上げるために、
「なんとなく」を言語化してみるのも面白いなぁと思います。
そうやって、「なんとなく」という自分AIの性能をどんどんアップデートしていって、
ほとんどのことを直感で決められたら楽だなぁと思います。
というある日の気付きでした。
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