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誰か一人が抜け出せれば、みんながちょっとずつ豊かになれる。

こんばんは。社会起業家/中小企業診断士の浜俊壱(shun1.hama)です。
このnoteでは、
「社会起業家/中小企業診断士っていいですね。」

「どうやったら独立できるんですか?」
「どうやったら経営は上手くできるんですか?」
「何をどういう風に考えているんですか?」

と、よく聞かれることを
自分の人生の棚卸し日々考えていることの言語化を通してお伝えしていきます。

ほぼ毎日noteを書き続けて、今日で730日目。3,000日チャレンジ達成まで残り2,270日。

今日は糸島よかとこラボのメンバーで古民家DIYと大掃除。今の拠点がおかげさまで満員御礼ということと、より九大生と関わりが持てるように新しく施設をオープンさせるために準備中。
はじめましての方はこちらもご覧ください↓↓

さて、本日のテーマは「誰か一人が抜け出せれば、みんながちょっとずつ豊かになれる。」です。早速書いていきたいと思います。

貧困ではないけれど、ギリギリの生活

日本でも貧困という言葉が聞かれるようになって久しいです。

貧困というのは、明日食べるものにも困るというくらいなのだと勝手に思っています。

私には、食べるものがなくてひもじい、という状態の所までの経験はありません。

ですが、自分の使えるお金は一ヶ月5千円で暮らし、子どもたちの保育費や生活費を工面していた時代が20代中盤でした。

そんな中、私は思いました。
「私が我慢をした所で、この生活が豊かになるのは、かなり先のことだろう。もしかしたら、豊かにもならないかもしれない」と。

それは、私が幼い時に感じていたことに由来します。

私が幼い頃に感じていたこと。

私の両親は大学卒業してすぐに結婚をし、すぐに私が生まれました。

そして、私の下には2つ年が離れた妹と、5つ下の弟がいます。母親は専業主婦の傍ら、出稼ぎのようにできることをして、生活を手助けしていました。

特に。バブル崩壊と同時期に戸建てを購入したので、給与上昇を見込んでいた父の目論見は外れ、必死で働いてもなかなか給与が上がらない。

そのため、住宅ローンの返済が家計に大きくのしかかっていました。

貧困まではないけれど、贅沢は全くできないギリギリの状態でした。

そんな状態で、両親は一生懸命朝から晩まで、休みも関係なく働いていました。

ですが、一向に生活に余裕が出る感じがしませんでした。

そこで、私はこう考えるようになります。
「全員でこの状況を抜け出すのではなく、家族を豊かにするためには自分が抜け出そう」と。

良い教育を受けさせてもらえたことの恩返し

確かに、私の家には余裕なんて言葉はありませんでした。

それぞれ、毎日が必死。
私の場合、たまたま色んな人から学ぶ機会も多く、大学での学部も当時では珍しいリベラルアーツ型の教育を受けさせてもらうこともできました。

"良い教育を受けさせてもらったことを、私だけのために使うのはもったいない。"

抜け出す + 恩返し = がむしゃらに頑張る。

この図式は、実は今もあまり変わっていません。

私の実家は、サラリーマンではなく私よりも少し早いタイミングで脱サラし会社経営をしています。

そこには私は加わっていません。

あくまで、私は実家での外貨獲得班として、今も自分の事業を通して、違う分野から収入を得ています。

私が40代になった頃には、ようやく、「抜け出す」という当初目的を達成できるんじゃないかと思っています。

違う次元に行くためには、全員を引き上げるよりも誰かが突出することが大事。

・・ということで、今日はここまでです!
最後まで読んで下さりありがとうございました(^^)

明日も皆さんにとって、良い一日となりますように!!

まとめ

・抜け出す + 恩返し = がむしゃらに頑張る。
・家族がギリギリの状態から抜け出すには、自分がこの状況から抜け出すことが必要だと感じた。
違う次元に行くためには、全員を引き上げるよりも誰かが突出することが大事。

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