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逆に、通勤時間をかける必要がある人

年に数回はTwitterなどSNSで「通勤時間が無駄だ」という論争が繰り広げられている気がします。この手の論争には、実際に職場の近くに住む「職住近接」を実践して一定の効果を挙げたという声を本当によく見かけるのですが、ちょっとまってほしい。

世の中には、その無駄だ無駄だと強調される通勤時間を「かける必要がある」人というのも一定数います。それは自分自身の時間の使い方という意味はもちろんのこと、職種上家と職場が近いといろいろとややこしいことになる人もいるのです。

「通勤時間が無駄だ」と言う割にこういうところが見落とされがちな気がしたので、順に解説します。

教育職員・塾講師

いわゆる学校に勤めてる先生とか、子どもと関わる仕事をしている人です。この手の人は確実に通勤時間をかけたほうがいいです。とくに電車通学の生徒がいない、公立の小中学校の先生は少なくとも職場の校区内に住むのはリスクが高すぎます(たぶん着任時にそれなりの配慮はあると思うけど)。

思い返せば僕の高校時代の先生も、ほとんどが県境を越えて通勤されてる先生ばかりでした。私立学校とかになってくると片道2時間はかかる上に、交通費が1000円をオーバーする人もたいして珍しくないです。当然、逆に遠すぎて職場の近くへ引っ越す先生もおられましたが、それでも徒歩数分レベルのところへ引っ越した先生は今までに出会ったことがありません。

冷静に考えればわかるのですが、先生が学校の近くに住むと、休日買い物に出たスーパーとかそのへんの道端とか、生活範囲の中で生徒と出くわすことがあります。つまり、プライベートがあってないようなものになる危険性があるわけです。しかも極端な話、そのとき恋人と一緒とかだったらもう、翌日の学校とかでいじられまくる運命が目に見えます。そして当たり前ですが、生徒だけでなく保護者にも見られてる意識が常につきまといます。

僕(教員です)の職場は電車で1時間以上離れているのですが、以前休みの日に職場近くでたまたま所用があったときコンビニで買い物してたら、それをばっちり生徒に目撃されてました。「お茶の種類迷ってなかった?」とも言われました。爽健美茶か十六茶で迷ってたので間違いなく僕です。生徒の在住エリアが広い学校だと職場から数駅離れててもこういうことがあるので、このあたりが気になる先生に職住近接はオススメできません。

あと塾講師も同様で、塾によってはたとえ近所に教室があってもわざと電車に乗る距離の教室を案内されたりもします。こういうところはけっこう先生と生徒双方のプライベート管理をきっちりしてます。

アイドリングタイム・ダウンタイムが必要な人

京都在住のタレント森脇健児氏は、東京での仕事のときは極力時間のかかる「こだま」に乗るそうです。交通費をケチってる説もあるらしいのですが、本人曰く「のぞみ」の2時間半では全国ネットの仕事モードに頭が切り替えられないから、とのこと。

こう、移動時間を用いて、ゆっくりとスイッチをオンにする人、オフにする人は一定数いるはずです。僕もそう。夏場であっても部屋着からまずネクタイを締めて、なるべく空席のある電車に乗り、じっくりと本を読むことで、堕落しきった生活から徐々に仕事モードへ切り替えるようにしています。帰りはその逆。1日を振り返りながらじっくりと本を読んで、家に帰ってネクタイを外して部屋着になってスイッチをオフにする。まあ、一種のルーティンですね。

よく野球選手で「家庭に野球を持ち込まない」ということを徹底している人がいます。こういう人は球場から家まで車を運転することで気分転換しているという話を聞いたことがあります。これも一種の「ダウンタイム」であって、これに共感する人も一定の通勤時間があると嬉しい人かもしれません。

家で本が読めない人(何かに集中できない人)

さっき仕事モードに切り替えるために「じっくりと本を読む」ということを書きました。これ、「家でもできるじゃないか」と思われるかもしれません。同様に、たとえば通勤中にテキスト開いて勉強する人、または座れなくて満員でも英語のリスニングに耳を傾ける人にも、おそらく「家でできるだろ」というツッコミが成り立ちます。

家でもできることをわざわざ通勤電車でやる人の中には、「家でできない」事情があることを考えなければなりません。

家族が邪魔をしてくるとか、家では家のやることがたくさんあるとか、そういう人の中には朝の通勤時間の30分間とかが貴重な勉強時間だったりするわけです。そしてこれは僕の場合なのですが、僕が一番「集中して本を読める場所」というのが、実は電車とか移動中なのです。昨年末に読んだ本の振り返りをアップしましたが、あれもほぼほぼ電車で読了したものばかり。

なるべく家でも集中できる環境を整えようと、たとえばYouTubeで電車が走ってる動画を環境音として流してみたりいろいろ工夫はしていますが、それでも移動中に本(Kindle端末)を取り出すときよりも比喩抜きで何万倍もの労力を要します。そういう意味では、逆に家にいるほうが無駄な時間を過ごしている気もするし、それこそ職住近接で生活してたらこんなに本を読むこともなかっただろうなあ、と思います。

まとめ:結局「無駄だ」と思ったらそりゃ無駄だ

とりあえず3つ挙げたらそれだけでもう2000文字くらいになったので、まだあるとは思うんですがいったんまとめ。

世の中には、どれだけ電車が混み合おうとも、どれだけ遠距離で長時間かけて乗り物に揺られようと、そしてどれだけ無駄じゃね?と言われたとしても、その通勤時間がどうしたって必要な人もいるのです。そしてそういう人たちは、その無駄だと揶揄される通勤時間を少しでも有効活用しようと努力しています。

満員電車がツラいのなら、たとえばその駅始発の電車を狙うとか、最近流行りの追加料金払って必ず座れる電車を利用するとか。少しでも通勤時間を快適に過ごせるよう工夫した上で、読書に勤しんだり動画を観たりうまいこと移動時間を使えるようになれば、「通勤時間が無駄だ」ということは思わなくなるはずです。僕自身も通勤時間をずらしたり、どうしても人の多い時間帯に動く必要があると混み合う快速電車をわざと避けて、確実に座れる普通電車に乗ったりもします(すると読書時間も増えてWin-Win!)。

毎日毎日、もうドアが閉まるかどうかの瀬戸際なくらいに混み合う電車で通勤している人からすれば「職場が近い」というのは魅力的でしょう。ポケットからスマホを取り出そうにも取り出せないレベルの電車に20分も30分も詰め込まれてたら、そりゃ職住近接を考える余地はあるかもしれません。

少し視点を変えると、病気のパンデミックとか痴漢とか、満員電車には数多の危険があるのもまた事実です。電車に乗る行為そのものがしんどい人もいれば、車通勤だと渋滞というリスクもあるでしょう。こういう点を挙げて「通勤時間が長いのはよくない」と論じるのは、まだ理解できます。

しかし単に「時間が無駄」「1週間で何時間損してる」みたいな方向から通勤時間の無駄さを指摘するのであれば、環境次第では「それは時間の使い方の問題じゃないの?」と思うわけです。

まあ、そんなことを言ったところで、結局のところ「近いほうがいい!」って人もいれば今回挙げた職種や自分の性格上「遠くないと困る」という人もいるわけで、こうした「通勤時間は無駄だ!」「いや必要だ!」という論争に流されずに自分に合う通勤スタイルを見つける、っていうのが一番の解決策だとは思います。

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