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HSPの僕が実践&提案する「新型コロナ自粛疲れ」の対処法、6つ【4/21追記】

僕が新型コロナウイルスにおける外出自粛に巻き込まれる形で、家から半径3kmを出ることのない生活が意図せずにはじまってはや2週間が経ちます。

1週間前noteにこんなことを書きましたが、少しずつ変化はあれど基本はこのエントリ通りの生活を送っています。飽きました。これはもう明らかな「自粛疲れ」です。正直、こんなときでも毎日1時間読書をする時間を取れている自分はエライ、とすら思います。

後述しますが、いろーーーーーんな情報が飛び交う昨今、HSP(Highly Sensitive Person:人一倍敏感な人)にとっては過酷な時期だと思います。「ロックダウンしろ」「休業補償を早く」「東京で最多の感染者数」などなど、とにかく刺激でしかない情報がパソコンを開いてもテレビをつけても、なんならLINEでチェーンメールとしてもどんどん流れてきます。

そして何よりも世間のこの重い雰囲気をもろに受け取ってしまったり、ウイルスに対してあまりにもナーバスな人の気持ちが伝わってくる人も多いでしょう。そんな人たちにとっては、いまの状況はこんなに疲れることはないと思います。しかも終わりが見えてこない。

そこで、HSPである僕がいまのところ実践している対処法や提案をいくつかまとめました。HSPの方に限らず、いま自粛自粛自粛で激しい疲れを感じている人がこれを役に立ててくださればものすごく嬉しいです。

人と話す

これはもうこの間書いたとおりです。

このnoteを読んで「話しましょう!」と連絡をくれた友人もいましたし、教育系の人たちとのつながりでも「雑談しましょうよ!」と投げかけると、えらい勢いでスケジュール調整がはじまりました。

上記のエントリでも書きましたが、日本でもどこでも藤村Dの言うように「人と話す」ということは共通項の「生きている目的」なのだと思います。それは『世界のニュースなんてテレビだけでわかるか!ボケ!!』(いろは出版)から引用した、中東の国境の町で毎日同じメンバーでチャイ片手に話し込むおじさんたちの話を読んでも明白です。

外出自粛だからこそ、きちんと声を出して人と話さなければならない。これができれば緊急事態宣言を乗り越える大きな手段になると思います。

「今の状況を忘れられる」読書をする

これもこの間のnoteのとおりです。

というか、最初ここにこのことを書こうとして、いざ書き始めると結構な分量になったので急遽別記事を仕立てた次第です。

散歩してみる

食料品の買い出し以外に外へ出る要件がなくなる日々が2週間も続けば、さすがに運動不足が気になります。毎日のように電車の時間ギリギリに家を出て、駅まで猛ダッシュしていたあのころが懐かしいとすら思えます(次これやったらものすごいヘロヘロになるんだろうなあ)。

とはいえ「三密」をある程度避ければ問題ないと感染症の専門家も言ってるので、外に出る時間を意識的に作るようにはしています。そして、自転車で行く距離をわざと徒歩にしてみたり、そういう工夫も重ねています。自転車じゃないから音楽を聴きながら歩けるというのも大きい。基本的に家で音楽を聴くことがあまりないので、マリーゴールドとか白日とかPretenderとかパプリカとか、むしろこういう機会にしか聴かなくなっちゃいました。

旅先でもない限り、基本的に「散歩」というものをあまりしない人間なのですが、音楽を聴きながら外を少し歩くだけでもだいぶ気分転換になります。大きめの公園を通ればボール遊びなどをする子どもたちも大勢いるので、「部屋にこもり続ける」というのがいかに人間的に悪影響を及ぼしているか思い知らされます。ちなみに僕は、散歩という口実で外に出るときはたいていコンビニへ行ってアイスコーヒー片手に帰ってきます。

暇を作らない

これ別に今の状況じゃなくても言える話なんですけど、いつだったか読んだ『心に折り合いをつけてうまいことやる習慣』(すばる舎)という本に、「嫌なことを思い出したりショックなことがあったときは暇を作らない」ってことが書いてありました。ようは、日にち薬がなんとかしてくれる、と。

ハッキリ言って今、超暇です。それは僕に限らず、仕事がなくなった大人から学校に行けない子どもまでみんなそう言ってます。ましてこういう情勢なので、空いた時間に不安なこと不安なことをついつい考えてしまいがちです。僕も新しい職場へ入職直後にいきなり出勤停止になっていまだにどういう人といっしょに働くのかわからないという状況で、毎日毎日不安な思いを抱えながら過ごしています。

だからこそ、暇を作らずになにかに集中する時間を意図的に設けるのはいいことだと思っています。こうしていま文章をごりごりと書いているのは、まさに「暇を作らない」一環です。

ちなみに僕は部屋で無音の状態でもついつい不安な方向へ考えがちなので、最近は睡眠の時間もYouTubeでラジオ音源やYouTube Liveのアーカイブ(長いと2時間ぐらい誰かが喋りっぱなしなのでものすごい重宝する)をずっと流すようにしています。

いろんな方向からの情報を得る

冒頭でも書きましたが、こうした状況上仕方ない話ですがどうしてもいろんな情報が気になってしまいます。僕もそうです。しかも刻々と情報が変わっていきます。この文章を書いてる間には緊急事態宣言が全47都道府県に広がる、というニュースが入ってきました。

HSPの人たちはその感受性の豊かさによって、ひとつの情報やワイドショーのコメンテーターのちょっとした言葉を深く重く受け取ってしまうことがよくあります。

そういうときは、情報をいろんな角度から見ることもひとつの手なのかな、と思います。ちなみに僕は、どれだけ高名な専門家の話であってもそれはあくまでも「仮説」であって、鵜呑みにしてしまうのはものすごく危険だなと思いながら日々情報と向き合っています。8割おじさんだとか山中教授だとか、そういうレベルの人が発する情報でも「ほんとなの?」と、必ず反対意見がありそうならそれにも目を通すようにして、いろんな方向から考える癖をつけています。ぶっちゃけ、ほとほと骨の折れる作業なんですけど。

そうしたら最近、SNS上でそうした高名な専門家の話を真に受けて「たいへんだ!!」とかパニックに陥る人に辟易する自分に気がついて、これはもしかしたら「パニックになる人を目の当たりにする」のがメンタルを削る大きな要因ではないのか、と思うようになってきました。

そういう意味では、なにか一定の基準を設けて情報と接するようにすべきなのかな、と思います。たとえばこの間読んだこの本では、「意見」というのは4つの要素で構成されていると解説されています。そういった視点で見ると、どの情報が信用できてどれが信用に値しないか、がハッキリしてくるかもしれません。

なんなら、情報を遮断する

さっき書いた「パニックになる人を目の当たりにする」のがメンタルを削る大きな要因なら、究極の解決策はこれだと思います。もっとも、僕はこれをまったくと言っていいほどできてないんですが。

そもそも、毎日毎日情報と向き合うというのはめっちゃくちゃしんどいことです。9年前の東日本大震災のときは、直接津波や地震の被害に遭っていないのに、続々と押し寄せる情報に向き合いすぎてPTSDになった、という事例も報告されているほどです。もしかしたら新型コロナウイルス以上に気をつけなければならないのはこうした「情報」なのかもしれません。実際「インフォデミック」という言葉でこのことに警鐘を鳴らす専門家もいます。

これは東日本大震災の2日後、大阪・毎日放送の西アナウンサーが投稿したツイートですが、いまのこの状況にもピタリと当てはまると思います。ワイドショーなんかでも不安を煽るような情報しか流れてこないので、僕は意識的にテレビを観ないようにしています。

さいごに―「みんなで」「甘く見すぎ」に感じる重荷

昨日もこんなnoteを書きましたが、ご存知のようにHSPの人たちは集団行動が苦手で、かつ「同調圧力」というものがしんどいとおっしゃる人もいます。これは僕もそうです。

で、今の状況はある意味集団行動で、「みんな外出は控えよう!」という同調圧力とも感じられる声にあふれています。いや、外出控えて!ならまだしも、「新型コロナを甘く見ている」「このままだとやばい」などというえらく抽象的な批判を、それも影響力のある人が平気で発言している状況です。

それほど新型コロナウイルスは感染したら大変なことになる、というのは重々承知しています。しかし、僕はそうした「甘く見ている」などという文言を見かけるたびに、「言われたことを守りすぎる」HSPやHSC(Highly Sensitive Child:人一倍敏感な子)の中にはめちゃくちゃ重く受け取りすぎて逆に負担に感じる人が多いんだろうなあ、と感じています。そして、そういった言葉を真に受けてもっともっと厳しくしなきゃ、と、その自粛に拍車をかけすぎてしまっている人もいる気がして、とても心配です。

かくいう僕も、何気ない「みんなで乗り越えましょう」というメッセージすら重荷に感じることがあります。昨日立ち寄ったスーパーでは、10秒に1回流れていた「感染防止のために間隔を開けて並んでください」という自動放送にも少し心が重くなりました。しかもこういうときに詰めて並んでる客を見かけると、ますます「おい!」と思っちゃうんですよね。それでまた疲れてしまう。

ひょっとするとこういう発言ですら「甘い」と思われる人もいるかも知れません。しかし僕は新型コロナウイルスが猛威をふるい始めてから、一貫して「新型コロナ『だけ』に気をつけた結果、違うところで健康を損ねたりリスクが高まったらなんの意味もない」と思っています。だからこそ、HSPの人たちがこうした世間の声で心が折れてしまうことをめちゃくちゃ危惧している、というわけです。

ほんと、みんなみんなよくやってると思います。仕事、野球、旅行、いろんな生きる術や娯楽を奪われながらも本当によくやってると思います。だから「さあ!あと少し!みんなでがんばろう!!!」なんて、僕にはとてもじゃないけど言えません。むしろそんな同調圧力(と言うと怒られるかもしれんけど)、正直早く逃げ出したいくらいです。

でも、たとえ1秒でも、この重くつらすぎる現実を忘れられるような、そんな時間を作ること、共有できることが、日々心が折れかけながらも今僕ができる数少ない1つなのかもしれないな、と思って、この文章を書きました。気がついたら4500文字近くも書いていました。

最後に改めて、このエントリが、少しでもいまのこの自粛の雰囲気を少しでも忘れられて、少しでも生活の中で役に立つことができたのなら、僕はとても嬉しいです。

【4/21 追記】
この記事を読んで、いつもお世話になっている『あ~ちゃんの虹』という本の作者、こんともさんがnoteを更新されていました。

こうして誰かの目に留まって深く共感してもらって、反応をいただけるというだけですごくありがたいです。こんともさんありがとうございます。またオンライン「おかえり」参加させてください。

個人的には「やりたいことが山のようにわいてくる」っていうのがすごいなあ、ってかこんともさんらしいなあ、とか思いました。僕は結構、あらゆる物事に安心感を持つことではじめて違うところに手を出せるようになる性格なので。

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