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「どこにでもいそうな人」の裁判記録が、なぜか身につまされる一冊【北尾トロ『なぜ元公務員はいっぺんにおにぎり35個を万引きしたのか ビジネスマン裁判傍聴記』プレジデント社】

ある日図書館でふと見つけてタイトルがものすごく気になって借りた本で、まさかこんなにも考えさせられるとは思ってもいなかった。

この本は大きく分けて2部に分けられている。前半ではサブタイトルにある「ビジネスマン裁判傍聴記」のとおり裁判の傍聴記録を集めている。で、この「ビジネスマン裁判傍聴記」というタイトルがミソで、これらの傍聴記録で登場する被告人はたいていビジネスマンや主婦など、つまり「どこにでもいそうな人」なのだ。

そういう人が、たとえば酒を飲みすぎてトラブルを起こし、誰かを殴ったりして逮捕される。で、いざ裁判に出廷すれば被告人となり、酒癖の悪さを次々指摘された挙げ句「もう金輪際酒なんて飲みません!」なんて宣言をする。でも、傍聴人はそんな発言を誰も信用していない。そりゃそうだろう。

実際、そんな人がちょっとくらいいいだろうとカップ酒1杯を飲んだ結果、飲酒が止まらなくなり、しまいにコンビニから酒を万引きした容疑で再逮捕されるケースも収録されている。さらには「刑務所に行かないと断酒ができない」とわざと無銭飲食する事例まで。ここまでくるとアルコール依存症になってくるのだろうが、僕自身もこれまで何人もの酒癖の悪い大人を目撃してきたことを考えると(やってもないことで濡れ衣着せられて怒鳴り散らされたこともある)、こういう事件は決して珍しくともなんともないのだろう、と思う。

そんな中、この本のタイトル「なぜ元公務員はいっぺんにおにぎり35個を万引きしたのか」にも触れておかねばならない。この話も前半の裁判傍聴記に収録されている。具体的にはこの本を読んでいただきたいので差し控えるが、「仕事も金もなくなった」この元公務員が、なぜおにぎりを、しかも別に誰かに配る目的でもないのに35個も盗んだのか。答弁をするうちに点が線となってつながっていくこの元公務員の過去と思いは、最終的に弁護人はもちろん、検察や裁判長の心をも動かす。最後に身を乗り出してまで裁判長が元公務員にかけた説諭の内容が、これまた泣けるのだ。

たしかに犯罪に手を出してしまうというのは許されないことだ。しかし、なぜ犯罪に手を出してしまうのか?それを紐解く場所がこの法廷なのだろう。ローンの返済に困った定年間近のおじさんが家族にも会社にも内緒で手を出した横領罪も、その背景を聞くと「何やってんだよおじさん」、とストレートに言っていいものなのかどうか悩んでしまう自分がいる。もちろん、これは一発アウトだろうという動機の被告人もいるのだが、たまにこうした心揺さぶられる理由を持つ被告人もいて、ひとつの事件をとっても一概に良し悪しを判別するのもまた難しいな、と考えさせられた。

後半はそんな法廷の現場から学ぶ「ビジネスマン処世術」が収録されている。被告人の答弁での言い訳や弁護士のチームワーク、裁判長の声掛けなどなど、意外と法廷から得るものが多いことに気付かされる。被告人が職業を問われると「無職」と答えるのは、どれだけ軽微な犯罪であっても犯罪者を置いておくわけにはいかん、とさっさと雇い主が解雇していることを意味する。いくら冤罪であってもそこに前職場の仕事仲間が応援に来ることはレアケース。つまり「あなたの代わりはいくらでもいる」と言う裏返しでもあるのだ。少し考えれば雇う側からしたらそんなヒマはないから当たり前なのだが、あらためてそう書かれるとその現実に身が引き締まる。

「裁判傍聴記」と「処世術」というシンプルな2章構成ながら、その内容はとってもボリューミー。ほとんどタイトルだけ見て手にした本で、こんなにも「おなかいっぱい」になるとは思わなかった。


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