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ライフハック「7つの習慣」:終わりを思い描くところから始める

「7つの習慣」にはその名の通り、7つあります。前回の「主体的になる」はその1つ目でした。今回は「終わりを思い描くところから始める」の章を書いていきたいと思います。

人間の成長段階

「7つの習慣」では、人間の成長段階のレベルは3つあるとされていて、最低レベルが「依存」、その次が「自立」最終形態が「相互依存」と呼ばれています。「依存」はわかりやすいですよね。人間は最初は赤ちゃんで生まれてきます。親に「依存」しなければ生きることさえできません。そこから小学生、中学生、高校生となる過程で、徐々に肉体的、知的、感情的、経済的に「自立」していくわけです。こうして一人で生きられるようになったら、次は「相互依存」状態を目指します。結局依存に戻るんですね。でもただの依存ではなく、自分も依存され、また依存します。自分にできることとできないことを把握しできることに対しては遂行しその責任を負う、できないことに関しては、素直に相手に任せる。「相互依存」状態にある人は他者と力を合わせて、1+1=2ではなく、3にも4にもしていくことができます。これにはどんな人とでも信頼関係を築いていく優れた人格が必要となり、これが人間の成長の最終段階と本の中では書かれています。しかしここで満足するようではダメで、「相互依存」状態を達成できたとしても、著者によると「爪を研ぎ続けなさい」とのことです。厳しいw

                  <依 存>
                    ↓
        「1.主体的である」 「2.終わりを思い描くことから始める」 「3.最優先事項を優先する」
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                          <自 立>
                               ↓
        「4.Win-Winを考える」 「5.まず理解に徹し、理解される」 「6.シナジーを作り出す」
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                           <相互依存>
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                           「7.刃を研ぐ」

人間の赤ちゃんからの成長を例にしましたが、スコープを会社にしても同様です。新卒入社時は大体の人が「依存」状態です。上司や先輩社員に教わりながらなんとか業務を遂行しているうちに、やがて一人でできるようになっていきます。そして今度は自分が教える立場に回り、一人前(「自立」)になっていきます。そして今度はプロジェクトを任されるようになり、自分以外のメンバーを巻き込んで力を合わせて(「相互依存」)成功を目指す立場になります。 最初は数人規模のチームリーダだったのが、数十人から数百人、数千人規模のメンバーをまとめあげる素晴らしいリーダへと成長することが若手のロールモデルとなり得るサラリーマンの一例ではないでしょうか?しかしみんながみんなそんな人になれないですよね?

このようなロールモデルとして、いろいろな人から尊敬の対象としてみられるような人は素晴らしい人格を持っているはずです。それは一朝一夕で身につくものではなく、何十年間にわたりコツコツと積み上げるものです。そして「依存」→「自立」→「相互依存」と経ること以外によって人間の成長はあり得ないのだ!(by著者)らしいです。

「終わりを思い描くことから始める」

というような背景の元、前回の「主体的である」と今回の「終わりを思い描くところから始める」は「自立」へ向かうための習慣です。

冒頭にこんな記述があります。

ある(愛する人の)葬儀に参列する場面を心の中に思い描いてみよう。
あなたは葬儀場に向かって車を走らせ、駐車して車から降りる。
中に入ると花が飾ってあり、静かなオルガン曲が流れている。
故人の友人たちや家族が集まっている。
彼らは別れの悲しみ、そして故人と知り合いであったことの喜びをかみしめている。
あなたは会場の前方に進んで行き、棺の中を見る。
驚いたことに、そこにいたのはあなた自身だった。
これは、今日から三年後に行われるあなたの葬儀だ。
ここにいる人々は、生前のあなたに対する敬意、愛、感謝の気持ちを表しに来ているのである。

—『完訳 7つの習慣 人格主義の回復: Powerful Lessons in Personal Change』スティーブン・R・コヴィー著
https://a.co/5NwO0cY

このような場面で、「ここにいる人々」は棺の中の自分になんと声をかけてくれているのだろうか想像してみましょう。そこから、自分が本当に大事にしていること、本当に目指している「理想の自分像」を見つける手段になり得るのではないでしょうか?

人はそれぞれ何かを中心に据えて生きています。例えば「お金中心」の人は、自分の財産が心の安定であり、自分に利益があるかどうかが行動するモチベーションです。「仕事中心」の人は、勤めている会社や、その中での職位、地位または職業自体が心の安定です。仕事に必要かどうか、会社や上司、チームメンバから求められているかどうかが行動するモチベーションです。他にも、「所有物中心」、「娯楽中心」、「友達中心」、「恋人中心」、「配偶者中心」、「自己中心」、「家族中心」 など人によって何を自分の中で第一にするかあるいは複数を中心据えるかは決まっているはずです。

ところが、こういうものは時間の流れと共に移ろいゆくものですよね。お金だってある時とない時あります。仕事もいつ無くなるかわかりません。モノだっていつか壊れます。人間も出会いもあれば別れもあります。自分の中心を自分含め周りの人やモノに据えているひとは、その時々の環境によって気分が上がったり沈んだりします。そうすると自分の二面性や攻撃的な一面が表に出てきやすくなり、人の信頼をなくすことにもなりかねません。

自分の原則、憲法を決めておきそれを中心とすれば、安定したアイデンティティを確立し、どんな状況においても客観的に現状を見つめ原則の元、最適な行動を取れるのではないでしょうか?原則は時間の流れで勝手に変わるモノではありませんからね。

じゃあどうやって原則を決めるの?ということですが先程のお葬式の話に戻ります。棺の中の自分に、家族、友人、仕事仲間などいろいろな人が来ています。その人たちからなんと言われたいかが自分が無意識的に目指したい本当の姿ではないでしょうか?死んだ後に「君はすごくお金持ちだったね...」って言われたいでしょうか?「君はすごく仕事ができる人でしたね」、「君のコレクションとても輝いていましたね」、「君はいつも遊びには全力でしたね」って言われたいでしょうか?笑そんなことを思った人はいないはずです。

何を言われたいかを考えてみて、そこから自分自身の原則を作ればいいのです。

次回「最優先事項を優先する」


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