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第十三回読書会:モーリス・メーテルリンク『青い鳥』レポート

1911年ノーベル賞授賞作。

今年一番のお気に入りの本となりました。

年の瀬でバタバタしていること踏まえて、あまり難しくない心がきれいになるような、メルヘンな児童文学にしようと漠然と決めていて、去年は『銀河鉄道の夜』、今年は『青い鳥』にしてみました。

課題本を選ぶときは、いつもただの思いつきです(*^_^*)

『青い鳥』はおおまかな内容は見聞きして承知していたのですが、実際に読んだことがありませんでしたので、具体的なエピソードに触れて、一気に引き込まれていきました!

意外に読んだことがないという方は多いんですよね~

語り継がれる名作を前に、大人たちが大盛り上がり!二次会も青い鳥ネタで話は尽きませんでした~

無形のものを擬人化して存在を持たせている斬新さ

この物語の面白いところは、あらゆるものを擬人化しているところです。

戯曲として描かれているせいかもしれませんが、

それにしても、「光」「夜」「睡眠」「金を持つ贅沢」「何も知らずにいる贅沢」「喜び」などなど……、あらゆる”登場人物”がそれぞれの性質をよく表した特徴を持ってストーリーを紡いでいる点に、100年以上前に書かれたとは思えない斬新さがありました。

青い鳥は追ってもいいし追わなくてもいい。過程が大切。

青い鳥を探しに行く過程が大切なのであって、追ってもいいし追わなくてもいいものだ、という意見が出てきました。

青い鳥を捕まえることが目的なのではなく、そのプロセスが尊いものだという考えです。

人間が欲望を持って青い鳥を追いかけることは、ある意味当然の反応でしょう。

それが成長にもつながるわけですから、人間の性として仕方のない性質。

他界した祖母が生前「人間、欲がなくなったら終わりだよ!」と言ったことを思い出しました笑。

これは本質をついた言葉だと思います。

欲望のかたまりであることを受け止め、それに振り回されないようコントロールしながら過程を楽しめれば、人生上々でしょう♪

青い鳥はいるのか、いないのか論争!

今回の読書会で印象的だった場面はやっぱり、青い鳥は「いるか・いないか」に分かれたところ!

エンディングをどう読み解くかが分かれ目、、、。

エンディングでは長い旅から帰って来て目を覚ますと、ティルティルが飼っていたコキジバトが鳥かごの中で青くなっているのですが、そのコキジバトは隣の娘さんが以前より欲しがっていたものでした。
ティルティルはそれを差し出します。
「『さあ、どうぞ。もしかしたら、あなたにはまだそんなに青く見えないかもしれないけど、これは青い鳥なんです。よーく見れば。』」(『青い鳥』著:モーリス・メーテルリンク 訳:江國香織 講談社文庫)

鳥は青くないのか青いのか?

青いと思うから青いのか?

だからそもそも青い鳥は
→いる
→いない

ここの解釈は大変興味深く、複雑かと思います。

私は青い鳥は「いる」と解釈しました。

いるからこそ、人間はそれに向かって前に進んでいけるわけですし、幻としてしまえば、進むべき道しるべも見失ってしまいます。過程を楽しみ目標に向かって行った先で青い鳥に出会ったときに、青く見えることで人は豊かになりその意識から発する現象が大切かと。すべては物の見方、解釈の仕方次第なのです。

反対にいない説の方々は、だからこそ青い鳥はいないのだ、存在しないのだ、とのことです。確かに青い鳥は色が変わりやすく、物語の最後でも青いコキジバトはすぐに飛んで逃げていってしまいます。捕まえられない幻を意味しているのです。

どちらの解釈をとるかは、また個々人で差異があって、読書会ならではの意見交換でした!

2020年12月5日土曜開催

青い鳥

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