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あたらしく、なつかしいもの|サンプル・ワークショップ2021『ほり出す。』〈セノグラフィ〉開催レポート

懐かしい景色はありますか?
大切にしている思い出、もしくは、よくわからないけど忘れられない、匂いや音、湿度はありますか?
実はそれ、いま・ここにて、もう一度見つけられます!

2021年7月18日に、セノグラファー・杉山至さんのもと、ワークショップ『セノグラフィーからアフターコロナのパフォーミングアートの可能性を探る2021』が開催されました。

昨年に引き続き2年連続で参加してくれた標本室メンバーによる振り返りレポートをお届けします。

〈書き手:大森唯香 編集:松井周の標本室運営〉

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〈ワークショップタイトル〉
セノグラフィーからアフターコロナのパフォーミングアートの可能性を探る2021
〈講師〉
杉山至(すぎやまいたる)さん セノグラファー・舞台美術家

はじめに

杉山さんのワークショップは、昨年に引き続き2回目の参加です。今回はコロナ1年生だった昨年の内容を踏襲しつつパワーアップしていて、セノグラフィーの視座を用いて、それぞれが「あたらしいむかし」を発見することができました。

また、サンプル・ワークショップの参加者の半数ほどは俳優か演劇関係者なのですが、私はそうではありません。観劇は好きですが歴も浅いです。ただ、昔からメモを取るのが好きです。
メモをとっている間、とても楽しいです。要点をまとめたり、リアルタイムで図示をしたりすることも楽しいのですが、いちばん楽しんで書くとき、いつも「できるだけ起こった通りの言葉を起こした語りのログ」のようなメモになります。
そんな私が今回もメモをとりながら参加しました。楽しかった部分ほど、メモが細かくなっているので、会場の様子を想像しながらお読みいただけたら嬉しいです。

(前回の記録はこちら

1. セノグラフィー概論

1-1.「セノグラフィー」(Scenography)ってなに?

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セノグラフィーとは、日本では「舞台美術」と訳されていますが、原語を分解すると、以下のようになります。

SCENE    :場、状況、現場
GRAPHY :図、視覚的表現、記述

 つまり、セノグラフィーとは「シーン(場、状況)を、グラフィカルに捉えること」
「STAGE(舞台)」グラフィーではなく、「SCENE」グラフィーであるところがミソです。

パフォーミングアートのことを、日本では「舞台」と訳すことが多いですが、古代ギリシャからの系譜を辿ると「状況」という語が出てくるそう。状況とは、日常の中にある、あえて作らなくてもいいもの。
語義を辿れば、すべての、人と環境との交点が、セノグラフィーをしようとする人にとっての"舞台"になることがわかります。

1-2.「景」(けい)ってなに?

杉山さんは、「セノグラフィー」の日本語訳は、「景」という概念ではないかと提唱します。
「一幕一景」など、景という字は、様々な熟語に使われています。景が用いられる言葉を並べてみましょう。 

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光景、風景、景気、景色、情景。
隣り合った文字同士でも読むことができます。
風光、気風、気色/色気、色情……。

どの語にも、「人間と環境(自然)が交わっている」イメージが結びついています。

むしろ、「『景』が環境と人間の様態をつないでいるのではないか」というのが杉山さんの仮説。
「人間の有り様だけを描いてもダメで、環境だけを描いてもダメ。そこにどういう環境があったのか、環境のなかで人間がどういうふるまいをしてしまうのか、両方を描かなくちゃいけないんです。

環境と人をむすぶもの、環境と人が交わった時に立ち上がってくるもの、それが景。杉山さんはご自身の舞台美術のお仕事でも「景」を作ることが役割であると考えているそうです。

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昔から、日本のアートには景が自然に用いられているものも多くあるそう

1-3.「身体知」(しんたいち)ってなに?

身体知とは、人と自然がダイナミックに関わるとき、五感を総動員することです。
景色のことを記述するだけで、人間のさまが浮かび上がってくるように思われること。楽しい、嬉しい悲しいという言葉で感動を感じたり表したりすることとは違い、人とシーンとが重なっているときを指します。身体で思想すること、思想する身体のこと。

セノグラフィー/景が立ち上がってくる時、身体知が総動員されているわけです。セノグラフィーは、"graph(視覚的表現)"の語が含まれていることもあり、実践しようとすると"視覚"への意識が強くなりがち。ですが、「身体知」という視座のもと、"音、湿度、触覚、思想"なども含んでいくと、より豊かな実践になるといいます。
(言葉でお伝えするのが少し難しいですが……。) 

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雪舟『秋冬山水図』秋景。
よく見ると景が交わるポイントで人が対話しており、ダイナミックな景の重なりの中に人が交わっている様が巧みに描かれていたのでした…!

1-4.「Sharp in the dark」で身体知を体験

レクチャーの締めくくりに、杉山さんのワークショップでお馴染み「Sharp in the dark」を行いました。

電気を消して、真っ暗闇の会場で、鉛筆を削る体験を通じ、身体知を体験しようというものです。

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暗闇から出てみると…全然削れてない皆さん!
私は去年より削れませんでした!笑

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人類学のワークショップをご担当の磯野さんもスペシャル参加されていたのですが、飛び抜けてお上手でした…!

2.原風景

続いて今回のワークショップのもう一つ大事な考え方である「原風景」についてのワークに移っていきます。

2-1.原風景とは

原風景を、杉山さんはこのように定義します。

原風景とは:
・子供の頃の視覚的な記憶
・なぜだか、ふとした瞬間に思い出してしまうこと
・寝る瞬間とかトイレ入っている時とか満員電車の中とか、ぼーっとした瞬間にふわっと甦る記憶

例えば、お母さんと手を繋いでいたなあとか。登下校の帰り道の風景、感触、音、匂いとか。

なお、一般的な定義はこちらです。

原風景(げんふうけい)とは、人の心の奥にある原初の風景。懐かしさの感情を伴うことが多い。また実在する風景であるよりは、心象風景である場合もある。個人のものの考え方や感じ方に大きな影響を及ぼすことがある。人は、無意識にそれぞれの原風景を実在する風景に見出す場合がある。この時に初めて見るにもかかわらず、懐かしさの感情を催したりデジャビュを経験したりする。(wikipediaより)

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 例えば別役実さんにとっての原風景は「電信柱」であるといいます。
そのためか、70年代始めごろから別役作品には頻繁に「裸舞台に電信柱が一本」という舞台設定が登場するのだそうです。

※参考
・他劇団による別役実の戯曲「ああ、それなのに」上演記事(舞台写真が見られます)
別役実 アーティストインタビュー

杉山さんにとっての原風景は、生まれ育った新百合ヶ丘の名物「宅地開発の人工的な地形」、「魔女の池」であるそう。
このように、「慣れているもの」「育った場所」のような、日常の原風景もあれば、「海で迷子になった」などの非日常も、原風景化しやすいものであるとのことです。

みなさんは、いかがですか?どんな原風景がありますか?
(ない、という答えもOKです。)

2-2.みんなの原風景

ここまでの話を受け、みんなで自分の原風景を掘り起こしました。
スケッチブックに原風景を書き出し、見せ合って、近しいものを感じたらグループになりました。

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真剣にスケッチする皆さん

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スケッチブックを持ち寄って語り合うだけでも楽しい時間です。

みんなの原風景とグループはこのようになりました!

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3.街歩きと発表(北千住×原風景)

いよいよ街歩きに出かけます。

Mission:
北千住を歩き、気になったものを拾っていき、自分の原風景とコラージュする。グループごとに、自分たちの原風景と北千住を重ねて、2〜3分の作品を作る。

杉山さんは北千住という街について「流れている場所」だと言います。水の流れ、人の流れが、歴史的にもある街です。
そんな北千住でなにをみつけて、なにを表現するか?

原風景をかきだすことは、「人→環境」というアプローチでしたが、
今度は「環境からアプローチして人へ」。

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できるかな…?と思いながら、30分ほど日の暮れた北千住を歩き回りました!

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会場に帰ってきてから、グループで話し合って作品に仕上げます。
(ぜんぶ伝えたいのですが涙を堪えてダイジェスト版でお届けします)

中景シンボル「120cmのまなざし」

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街歩きで採取した風景を投影しながらの発表。

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横並びに立つメンバーが、ひとりずつ、床に設置されたスマホを取ります。すると、子供の目線くらいの低い位置から撮影された風景が投影され、それと風景にまつわる言葉が重なりました。 

遊具:
「春の遊園地、そして、夜の公園。どんなときも、楽しい思い出が、ものを見ると、蘇ってくる」
 
高架下:
「お父さん、この線路ってどこまで続いてるの?
天国かな。
うっそだ〜
ただいま
おかえり。」
 
マンション:
「仰ぎ見る 等間隔の ともしびを みなのくらしを つきがみている」 

原風景を思い出した様子も、「思い出すと気づく、今との差分」もわかる。昔の目線からいま、別の街をみあげていること。それがパフォーマンスになっています。
 
杉山さん「まずタイトルがいいですね。本当に子供って目線が低くて、大人を見上げている。その見上げた景色、千住の町と原風景とが 言葉と映像を介して混ざっていたのが素晴らしかった。」
 
また、1列に並ぶフォーメーションについては、
「4人とも団地っぽいマンションに惹かれた。たくさん扉がある感じから、最初の立ち位置をイメージした」 というコメントを受け、
「とてもいい!例えば今のを実際に上演するならどういうセットにしようか、扉を全部開けたらおおきな月が見えるようにしようか、と広がっていきます」と仰る杉山さん。

何か迫力を感じるセットというのはこんなふうなやりとりから出来上がっていくのかもしれない、と舞台美術の裏側まで覗き見ることができました。 

サンセット「夏の匂い」

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空間と暗闇とスマートフォンをうまく演出して、夏に遊んだ帰り道の、少し名残惜しいような感覚と電車の動きを重ねて発表していました。

場末「BUoYにて」  

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踏切の音が聞こえる中、かくれんぼをする二人。廃墟のようなBUoYの雰囲気や浴槽を隠れ場所としてうまく活かしていました。

水の民「北千住の水」

「私たちが、水の粒子になって、上から流れてきます。好きな水についていってください。先頭の水の真似をしながら歩いていってください。
ルールは1つ。水は、高いところから低いところに移動するので、この空間においても、それを守ってください。」
こういって入り口の外に出るグループの面々。

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待っていると、 階段からゆっくり降りてきました。

 「なんだここ、暗渠か〜、くらいな。」
「魚の匂いがするなあ。」
 
4人が散らばって、それぞれ進んでいく。

二拍してお祈りをしてから、飛び石を跳ねるメンバー。
「カエルいるじゃん」といいながら、ぴょこんぴょこんと飛び跳ねるメンバー。

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キョロキョロしがならどれに着くか迷う観客。
すぐさま後に続いて真似をする観客。

「カエルがいますねえ」「カエルがいますねえ」「カエルがいますねえ」、、、 
街歩き時の会話が、時々リフレインしているよう。

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水は高いところから低いところに 流れるので…

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最終的にこうなりました。

 広くなった地下。
『「みずたまり」で、終わりです』
 
おもしろい!とつぶやきが聞こえてきます。
 
「順番がトリだったことを受けて、みんなでできるものにしたいと思った」
「北千住には細かく暗渠のような道があったので、水いろんなところに別れてから、またちょっと大きい川に合流するのかなと想像した。そのため自分たちもバラバラに動いて、いろんなところの水と合わさって、最後にたどり着くようにした。」というグループの皆さん。

杉山さんも「なんだこれ」と楽しそうです。
「これは北千住ならでは。大きな川が一本、という街であれば大河の発想になると思うけど、今回は水がバラバラに動くというのが面白かった。
本当におのおのが川になっていく感じがした。水だから、ひとつ落ちたらその後も落ちていく。同じことを真似してくと、繰り返しになって、流れができて、楽しくなっていく。 さいごはたまる。ルールは簡単、重力に逆らわない。そのことがパフォーマンスになっていたのが秀逸だった。」 

私もこんなパフォーマンスは初めてでした!

4.知らないものと、知っているものが重なるとき

最後の振り返りで、改めて杉山さんより景と身体知について解説して頂きます。
「パフォーマンスをみると、みんなが見てきた街の印象が全部わかります。見上げた感じ、光、音、川の流れ。北千住感がありつつ、原風景、身体化された風景とちゃんとつながっていました。
原風景とは、ことあるごとに戻ってくるもの。絵や言葉や形などを、表現に豊かに活かしてほしいです。

自分が知らない街だって、自分の原風景と重ねた瞬間に、距離が縮まったりする。他の人がうなずけるポイントが見つかったりする。
それが景色とかセノグラフィと、パフォーマンスがつながるなって思っているところです。

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原風景と知らない街とを「重ねる」。
それから、私の原風景と、あなたの原風景を「重ねる」。
それが自然にできたとき、立ち上がってくる「身近さ」があります。
 
ここでの「重ね」は、おそらく「塗り重ねる」こととは少し異なっています。
だれか一人の原風景を全員で被って表現したチームはありませんでした。
身体の前にあるものと、それぞれが持ち寄ったものとを合わせてパフォーマンスをつくる。
それは「レイヤーの重なり」、もしくは「コラージュ」。
だからどちらも見失わずに、「あたらしく、なつかしいもの」が立ち現れる様を、一緒にみることができるのでしょう。

終わりに

1つ前の磯野真穂さんのワークショップでも街歩きに出かけましたが、夜の北千住はまた違った匂いがあり北千住の多面性にも触れられる時間でした。
特に面白かったのはやっぱり、最後の発表パート。役者であるか、そうでないかということは、セノグラフィーの前では関係がありません。みんなの原風景と北千住とが重なって生まれるものに立ち合える喜びがありました。

去年と今年のメモを振り返ると、去年の渋谷のワークショップでは、個性派の美容院やスタバの空きカップなど「フィールドに点在するオリジナルなオブジェクト」に目がいくパターンがみられました。今年の北千住はどちらかというと「街全体の流れ」「建物から立ち上がる雰囲気」がテーマになることが多かったように思います。
街の違いもそうですが、時間帯、同行する人数、なにを見にいく意識でいるかといった自分と環境との関わりが、今回の発表を導いているようです。

自分の中に残っていたり、自分の外側に残されているものが、未来と重なって、誰かの前に立ち現れる。それは日常的なことなので、あえて目を向けることは少ないのかもしれませんが、できるだけ知っていきたいです。
見つけるための営みのひとつに、あらゆる「記述」がある。SCENEのGRAPHYであり、身体で考えることもまた一つなのだと改めて実感します。

身体をつかって考えることのすばらしさを教えてもらった今でも、相変わらず私はメモを取り、文字を起こしたいと思っています。
起こした言葉(メモ)は、起こされただけではいつも未完成です。読んでくれた誰かにとって、(たとえば誰かと私との、人と環境との、)交点に気づくきっかけにいつかなることを期待して、いろんな記述に励んでいきたいと思います。

杉山さん、ありがとうございました!
 
※参考URL
原風景の生成に関する研究
A Study on the Value Production of "the Archetypal Landscapes"

〈講師プロフィール〉
杉山至(すぎやまいたる)さん セノグラファー・舞台美術家

国際基督教大学卒。在学中より劇団青年団に参加。2001年度文化庁芸術家在外研修員としてイタリアにて研修。近年は青年団、地点、サンプル、てがみ座、デラシネラ 、岩渕 貞太、DanceTheatre LUDENS、テニスの王子様など。演劇/ダンス/ミュージカル/オペラ等幅広く舞台美術を手掛ける。2014年、第21回読売演劇大賞・最優秀スタッフ賞受賞。舞台美術研究工房・六尺堂ディレクター、NPO法人S.A.I.理事、二級建築士、2021年より芸術文化観光専門職大学(兵庫県・豊岡)准教授。
松井周の標本室とは
松井周が主催する、スタディ・グループです。
芸術やカルチャーに興味のある、10代~80代で構成されており、第2期(2021年度)の活動期間は2021年4月~2022年3月の1年間です。

標本室メンバー自身も「標本」であり、また、標本室の活動を通しあらたな「標本」を発見していきます。
「標本」を意識することで世の中を少し違った目線で見たり、好きなことを興味関心の赴くままに自由に話しあえる場を作りたい。
そんな思いのもと、テーマに応じたトークイベントやワークショップを開催し、ゆくゆくは演劇作品のクリエイションを行っていく予定です。
お問い合わせ:hyohonshitsu@gmail.com

サポートは僕自身の活動や、「松井 周の標本室」の運営にあてられます。ありがとうございます。