【社員インタビュー】『サードホームとしての居場所づくりをゲストハウス品川宿でしていきたい』長谷川が語る、地域融合型宿で働くことの面白みとは。
(この記事は、2021年10月15日にWantedlyで公開されたものを再掲したものです/肩書きなどの情報は当時のものとなります)
<プロフィール>
長谷川信一郎(はせがわしんいちろう)
1992年1月に生まれ、埼玉県さいたま市で育つ。宿場JAPANでのあだ名は北京(ペキン)。
中学・高校時代は部活のテニスに一筋であったが、大学生の時に友人から誘われた旅のイベントを通じて「海外旅行」への魅力に気づき、卒業後に1年間の世界一周旅行に挑戦。モロッコで経験した宿管理の仕事にやりがいを感じ、帰国後にゲストハウスを探していたところ、宿場JAPANを見つけ、2017年にアルバイトとして入社。当初はゲストハウスの受付業務や、DIYを中心に業務に携わる。その後、一棟貸し宿のコンシェルジュも務め、社員転換後から現在に至るまでは、ゲストハウスのマネージャーとして活躍。
品川を中心に5店舗の施設運営や、地方の宿泊施設開業コンサルティングを行う宿場JAPANには多様な経歴を持つ社員が集まっている。異なるバックグラウンドを持った宿場ファミリーがこれまでどのような人生を辿って、今宿場JAPANにいるのか。メンバーのライフヒストリーを紹介していく連載。今回は、世界一周やワーホリを経て、現在ゲストハウス品川宿のマネージャーを担当する長谷川。
アルバイトからのたたき上げで社員転換した長谷川が語る、地域融合型宿で働くことの面白みとは。
自分の常識が打ち破られ、視野を広げられた学生時代
まず、北京さんの学生時代について教えてください。
僕の出身は埼玉県のさいたま市ですが、学生時代は東京の中高一貫の私立高校に通っていました。中学生の頃はいわゆる、「わんぱくで元気一杯の男の子」という性格で、活発に行動する一方で、校内では「職員室によく呼び出される北京」で有名でした。
高校生までは部活のテニスに打ち込む日々で、毎日朝練には参加しますが、授業中は寝てばかりで、放課後に再び部活をやって帰るというのが日課になっていました。学校には授業を受けに行くというよりも、部活をやりに行くという感覚で通っていましたね。
大学で旅のイベントに参加したとのことですが、そこで旅の魅力に引き込まれたのですね。
はい。僕が大学に通っていた時がちょうど学生団体の活動が活発な時期で、大学3年のある日に、友人から学生が主体で行う「TABIPPO」という団体が主催の旅をテーマにしたイベントに誘われました。そこである学生がウユニ塩湖の旅行体験談についてプレゼンしているのを聴き、「こんな場所が世界にはあるのか!」とかなりの衝撃を受けました。その後、大学の教育実習で世界史を勉強する中で、色んな国の歴史や地理に触れる機会が増え、「旅をすること」に対して次第に興味を持つようになりました。
その後、インド旅行に行かれていますがインドを選んだ理由は?
きっかけはイベントにいた関西人メンバーからインド旅行に誘われたことでした。その時は僕が「行きたい」と口だけで言っていると彼らに思われていたのが心の底から悔しく、そうではないことを証明するために、ほぼ勢いだけで行くことになりました。なかなかそれまでは親以外と旅行に行く勇気がなかったので、彼らが良いきっかけをくれたと思っています。
かなりユニークなきっかけですね。何か印象的な出来事はありましたか?
一言で表すとすれば、当時の僕にとってインドは「異次元の世界」でした。最初にコルカタに行きましたが、道路に牛が当然のように歩いていたり、狂犬病の犬が溢れていたり、バイオハザードの世界観に入り込んだかのような暗闇の道の中を車で走ることがあれば、寝台列車で大学生たちが騒いでいるところに加わって夜まで歌い明かしたこともあるなど、日本では到底考えられないような体験ができたインド旅行は今でも印象深い旅の一つとして記憶に残っています。
日常から飛び出し、世界一周旅行で形成された「自分軸」
大学卒業後は就職をせずに、世界一周旅行の選択をしたのですね。
もちろん両親や周囲からの反対はありましたが、この時は世界一周旅行に行きたいという気持ちが高まっていた時期だったので、迷いなくこの選択をしました。インド旅行から帰国して1年後に世界一周に行きましたが、その1年間は資金を調達するためにアルバイトを3つ掛け持ちし、ほぼ毎日仕事に時間を費やしていました。もちろん、バイトの主目的は旅行のためにお金を貯めることでしたが、鍋屋では現場の状況を見て、自分で判断しながら行動する力が身についたり、結婚式場では接客のマナーを学んだり、漫画喫茶では掃除を早くこなすスキルを磨けられたりと、そこでの経験は、今の仕事にも通じるところがあると感じています。
何か思い出に残っているエピソードはありますか?
僕は東回りで計14カ国を訪れましたが、その中でも特に行って良かったと思う国は”モロッコ”です。世界一周旅行をしていた当時、ドルとユーロ圏の物価が高い時期で、スペインの「トマティーナ」を目的に旅行計画を立てていたところ、訪れるには資金が十分でないことに気づきました。そこで居心地が良く、宿の管理人ができる仕事を探していた時に、モロッコにある日本人宿の管理人の仕事を見つけ、毎日働いていました。その宿では、お客さんのお出迎えをしてから街案内をしたり、ゲストさんと一緒に買い物やハマム(銭湯)に行ったり、お酒を飲んだり、トランプしたりと、現在の「ゲストハウス品川宿」がある旧東海道品川宿エリアのような、広く周知されている観光地はないけど、そこでしか体験できない「ローカル」な雰囲気を楽しめる場所で仕事ができたのはとても良い経験でした。
世界一周旅行を通して、何か自分の考えに変化はありましたか?
最大の価値観の変化としては、「日本のありがたみや素晴らしさ」に気づけたということです。それはご飯が当たり前のように美味しかったり、トイレに紙があることだったり、夜も安全に歩け、お金も厳重に管理する必要もないなど、日本に住んでいたら気づかなかった日常の些細な物事にも感謝をするようになりました。また、旅先で日本のことが好きと言ってくれる方に沢山出会い、これまで自国の魅力を彼らに伝えてきてくれた先人達を誇りに感じるとともに、今度は自分が「日本の素晴らしさ」を発信する立場になり、次世代の子供たちにもこのような循環が生まれるように、受け継いでいきたいと思うようになりました。
ローカルなエリアで、お客様と地域との架け橋になれる場所で働きたいと感じた
宿場JAPANに出逢った契機を教えてください。
世界一周から帰国し、旅行中に他の旅人たちからワーホリに行くようにおすすめされたことを思い出し、ちょうどお金もない時期だったので、資金稼ぎを目的に1年間オーストラリアにフルーツピッキングの仕事をしに行きました。それを終えた後、次に何をしようか悩んでいた時に、モロッコのローカルな地域で経験した宿の管理人が楽しかったことを思い出し、漠然と「ゲストハウス」で働いてみたいという考えに行き着きました。その宿での経験を振り返ると、自分が顔を覚えられるお客さんの人数がだいたい10人〜15人程度だったので、それくらいの人数をターゲットにしている小規模宿であることと、飲食店が宿に併設しておらず、且つ地域密着型の宿を探していたところ、今の「宿場JAPAN」に出会い、働く選択をしました。
最初はアルバイトとして入社されたとのことですが、どのようなお仕事を担当されましたか?
アルバイトとしての期間は実質1年半ぐらいでした。最初はDIYの担当を任され、ゲストハウスのカウンター周りの見栄えを良くしたり、作業が効率的に行えるような整備をしたり、一棟貸し宿のリノベーション作業を手伝うなどの仕事を中心にしていました。その他、ゲストハウスのカウンター業務をしつつ、入社から2ヶ月後ぐらいからは一棟貸し宿の「Bamba Hotel」や「Araiya」の朝食配達やお見送りから始まり、徐々にタカさん(代表)にご指導いただきながら、接客の部分を深めていきました。
社員になるに至ったきっかけを教えてください。
入社してから2年後の2019年に、ゲストハウスの正式なマネージャーが不在になってしまったのですが、僕がその時サブマネージャーを担当し、一棟貸し宿の仕事も1人でこなせていたこともあり、ある日タカさんから「北京を社員にしたい」とお話いただいたことが社員に転換した直接的なきっかけです。お声がけ頂いた時はこの上ない喜びを感じるとともに、再びスタートラインの上に立ったような新たな気持ちにもなりました。
転換後はゲストハウスのマネージャーとして、常に「より良いゲストハウスにしていくために何が出来るのか」を考えながら働くと同時に、教える立場になることが増え、自分が動くだけではなく、人にどう動いてもらうことが必要なのかを試行錯誤しながら仕事に取り組むようになりました。また、時には一棟貸しのコンシェルジュとしても、お客様に満足してもらうことを第一に考えながら、行動しては振り返りの時間を設けてフィードバック、再検討を繰り返し、常に一様の正解を求めずに仕事しています。
会社の雰囲気はどう感じましたか?
宿場JAPANを一言で表すとすれば「動物園」でしょうか。動物園の動物たちに「どれが良くて、どれが悪いのか」という判別が無いように、この会社でもそれぞれの人に違った個性があり、皆の強みが異なっているからこそ、力を出しあうことで生まれる特別なものがあると僕は感じています。「多文化共生社会の基盤をつくる」が会社の理念にありますが、まさに「みんな違ってみんな良い」をスタッフがすでに体現している状態なのです。そこに僕たちも居心地の良さを感じていて、懐の深い人たちが自然と集まってきてくれるのも働いていて楽しいと思える一つの理由だと思います。
アルバイトから入社し、長年働いている中で感じる宿場JAPANの魅了はなんですか?
僕は宿場JAPANの社員の中でも珍しく、前職で正式に社員として働いた経験がなかったので、一から社会人としての土台作りをサポートしてもらい、自己研鑽を積める機会を与えてくれたこの会社は、自分の人生の中での一つ転換点として存在しています。そんな宿場JAPANの中で、地域融合型の宿泊施設として、お客様にとっても、地域の人にとっても拠り所になれる、まるでサードホームのような場所「ゲストハウス品川宿」で働いていると、お客様が品川の町を好きになり、感動して再び戻ってきてくれたり、「紹介してくれたゲストさんが食べにきてくれたよ」と地域のお店の方の喜ぶ姿を見れたりすることが大きなやりがいに繋がっています。また、お客様のためであればなんでも自分から行動することが認められる職場なので、常にゲストのために何ができるのかを直接考える機会を与えてくれたり、やりたいことがあれば何事にもチャレンジさせてもらえるのもこの会社の強みだと思います。
「日本で唯一無二のゲストハウス」にしていきたい
最後に、北京さんの宿場JAPANでの今後の展望を教えてください。
ゲストハウスのマネージャーの観点から言えば、それは言うまでもなく、「なにものにも代え難い、日本で唯一の存在としてのゲストハウス」にするということです。イメージとしては「品川版東京◯◯◯◯ランド」でしょうか。そのためには、ゲストハウスが品川の街の魅力を知ってもらう一つの拠点になることはもちろん、サードホームとして人々に居場所を提供したり、そこが地域と外部の人をつなげる架け橋としての役割を果たし、安心して町にでてもらえるようなサポートや仕組みづくりを行ったり、「地域融合型宿・街ごと宿」といえば「宿場JAPAN」と誰もがすぐに連想できるように認知度を高めていくことで、宿場JAPANブランドをより多くの人に知ってもらいと考えています。また、地域との連携を引き続き行っていくことや、働いているスタッフ一人一人の自主自立の姿勢も大切になると思うので、マネージャーとして、ゲスト・地域・スタッフそれぞれを支える立場であることを意識しながら、品川宿という町をさらに盛り上げていきたいと思っています。
(執筆:小河恵美里 企画:今津歩 撮影:栃久保誠)
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