最後まで信じていた

最期まで信じていた

 誰かが認知症になった場合、家族は最初、その事をなかなか受け入れられません。何かの間違いではないかと思います。そして、認知症が不治の病であることを受け入れるのも難しいことです。「どこかの有名病院の名医にかかれば、治るかも知れない」と、あがきます。我が家もそうでした。
しかし、現在のところ、認知症に完全な治療法はありません。
 しばらくすると、介護家族は、みなその事を受け入れるようになるのだそうです。ある本によると、いったん受け入れた家族はもう、新薬の開発による回復を期待しないようになるそうです。私もそうでした。治らないのではしかたがありません。母は目の前にいますが、聡明な母には二度と会えないのだと理解しました。
 母に認知症の診断がおりて、6年ぐらい過ぎた頃のことです。家の改装に関して父と話をしていました。私は改築にかかる費用を、母の預金から出そうと提案しました。私達は同居していましたし、介護のための改築ですから、合法です。しかし、父が断固拒否したのです。
「そんなことして、ますみが治ったら、俺が怒られるがや!」
びっくりしました。この人は母の病気が治るかも知れないと、まだ信じていたんです。
 父はその後、間もなく他界しましたが、最期の瞬間まで、母の病気が治るかも知れないと信じていたんでしょうね。
 あるいは新薬が開発され、突然、母が治る可能性もまだ、ゼロではありません。
治ったら、言いたいことがたくさんあります。まぁ、ほとんど文句ですよ。
 認知症の治療法が早く発見されるといいですね。
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イラスト by graphs

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