第10話 裏切りの予感


「奥野さん、顔色悪いな…」

僕は、奥野さんの顔色がすぐれないのを気づかい、少し申し訳なさそうに声を掛けた。

「奥野さん、大丈夫?」

「さすがにきついですね…毎日会社の帰りにホームに立つと電車に飛び込みたくなる…」


この頃の資金繰りは、日々数万円単位でコントローしていて、なんとかやりくりしつつも、出口は一向に見えてこず、奥野さんの心理的な疲労はピークに達しつつあった。
銀行に対し一斉に借入の返済リスケを要請したのは7月末だったが、8月中は「今後の見通しに対して回答しろ」と各銀行から、五月雨のように浴びせられる口撃を凌ぎつつ、9月1日のファンファンの事業譲渡実行に向けた金策に奔走していた。
事業譲渡資金の支払をギリギリでどうにか済ませると、奥野さんは精細な基礎データとシミュレーションを整える作業に入り9月24日にようやく取引銀行の担当者を全員集めた『バンクミーティング』を開くことができた。

バンクミーティングで全銀行へ報告した新再生計画案にはこう書かれていた。

==この年の決算に与える影響としては、負ののれん(買収額が被買収企業の時価純資産額を下回る場合に発生する差額)が5億円以上発生することから、繰越損失の解消と債務超過へ転落する危機を脱することが出来る。ファンファン買収のための代表田中個人からの借入金二億円は、後にDES(Debt Equity Swap=債務の株式化)することにより、自己資本が厚くなる==

しかしこのバンクミーティングに参加したほとんどの銀行員は、このようなトリッキーなケースの企業再生に立ち会った経験がなかった為か、理解の範囲を超えていたようで、前向きな質問も意見もなく「具体的な返済計画を早く出してくれ」の声しか出てこなかった。

2008年10月

依然としてどこの銀行からもリスケへの前向きな応諾を得られることはできていなかった。それどころか、入金口座の変更手続が間に合わなかった売上金については、口座に振込されると同時に、容赦なく次々と引き落とされ、強制的に返済へと回されていってしまった。その強制回収の金額の累計は、この時、既に八千五百万円を超えており、一部の銀行への返済が進行してしまうことにより、各銀行へのリスケのバランス調整の難易度が益々高まるとともに、資金繰りにも重篤な影響をもたらしていた。

事業譲渡後からしばらくは、ファンファンの売上金によりオンデーズ全体の資金はギリギリだがなんとか順調に回っていた。ファンファンの商品仕入に係る債務は民事再生により引継ぎしていないため、当座の仕入れ支払がなかったのも大きかった。

しかしやがてその効果も薄れ、事業譲渡により新しく倍増した管理コストや、社員の社会保険料の負担が重くのしかかってきていた。

「奥野さんには、資金繰りで苦労ばかり掛けて、本当に済まないと思ってるよ。ただでさえ、苦しいのに高田馬場店でも大失敗してしまったし…」

「超楽天主義の社長らしくもないですね。まあ資金繰りで苦労するのが私の仕事です。金の苦労が要らない会社なら、自分なんて必要ないでしょう。たくさん仕事を作ってもらってありがたいくらいですよ、ハハハ」

奥野さんは、冗談でも言ってないと正気でいられないとばかりに、自虐的に現状を笑いながら語った。

しかし、僕は笑えない。

「そんな嫌味、言わないでよ。俺は、心底反省しているんだから」

「別に嫌味なんかじゃありませんよ。私は昔から苦労をするのが、嫌いじゃない性格なんですよ。それに時々失敗する人間の方が私は好きです。何でもソツなくこなして抜け目なく世渡りしている人間は、どうしてもイマイチ好きになれない。少し、おっちょこちょいで、何を始めるのか予測不能。破天荒なくらいの方が人間らしくていいじゃないですか。味がある。だから私は社長を嫌いになれない」


「ハハハ。喜んでいいのか、悲しんでいいのか、わからない事を言うなぁ」


2008年11月

ファンファンを傘下に収めてから、早くも3ヶ月が経過していた。

この頃、僕は、乃木坂にあったファンファンのオフィスと、池袋のオンデーズ本社を毎日何往復も行き来し、全国の店舗を駆け巡り、両方の事業の再生へと、まさに文字通り寝る暇も無く東奔西走していた。

(ああ…。すっげー、寒いな…)

オンデーズ本社で、フランチャイズの進捗に関する会議を終え、ビルを出た途端、凍るような冷たい風が全身を包み込み、吐く息が白く立ち上った。あたりを見渡せば、街行く人々はみんなコートやダウンジャケットを羽織っている。僕はTシャツの上にジャケットを着ただけで、ぶるぶると寒さに凍えて初めて、冬がもうすぐそこまで迫ってきていることに気がついた。

そして、僕たちを取り巻く環境も、この冬の到来と足並みを合わせるかのように、思わぬ方向から厳しい風が、吹き付け初めていた。

「社長、大変です!ちょっといいですか!」

ファンファンのオフィスに入るやいなや、難しい顔をして溝口雅次が僕のところにやってきた。溝口はファンファンの西日本の全店舗の営業統括担当者だ。

「どうしたの? 深刻な顔をして」

「実は、ファンファンの納入業者さん達が、皆んなで一斉にデポジットや現金での決済を要求して来ました。しかもすぐに支払わないと店頭にある商品まで全て引き上げると言ってきてる先もあります…」


【デポジット】とは、預り金の事で、溝口の報告によると、今までずっと信用取引をしていた納入業者達が軒並み発注している商品に対して、最低でも30~50%の預り金をすぐに入金するように要求して来たと言うのだ。これまでのファンファンは多くの雑貨メーカーと、一般的に言われる「信用取引」を行っており、商品の発注や納入時には費用は発生せず、一定の支払いサイトが経過した時点で決済すれば良かったのだ。

つまり、商品が売れ、一部、もしくは半分以上が現金化された後に支払いが発生するため、仕入れ資金を全額事前に用意することなく、商品を店頭に並べることができていたのだ。

「え?? デポジットを入れろって?つまり、ウチとはもう信用取引はできないと言ってきたようなものだってこと?」

「はい。そういう事でしょう。まったく腹わたが煮えくり返るような思いです。」

溝口は、唇を噛みながら、悔しそうに吐き捨てた。

「しかし、なぜそんな、いきなり喧嘩を売る様な事を取引先があちこちで同時多発的に言い出したんだろうか。溝口、何か思い当たる節はない?」

「いえ。詳しくは皆さん教えてくれないのですが、どうやら、オンデーズが破産寸前だという噂が流れていて、支払いが滞るんじゃないかという強い不信感があるようなんです」

「はあ? オンデーズが破産する不信感?まぁ確かにオンデーズに金がないのは事実だけど、少なくとも取引先に迷惑を掛けたことなど、うちが親会社になってからのファンファンでは一度もないはずだし、細かい財務内容も公開されてるわけじゃないから、いきなりそんな信用不安の噂を起こされるような理由はないんだけどな。なんでそんな噂が急に出回るんだ?とにかく、もう少し詳しく調べて情報を集めてみてくれ」

僕は、少し不審さを感じたものの、起こってしまった事は仕方ないと考えて
(多分、誤解されてるだけで、きちんと話せば解ってもらえるだろう)と楽観的に考えていた。

しかし、事態はそれほど単純なものではなかった。新しくファンファンの親会社となったオンデーズと、その社長の僕に対する悪評は、瞬く間に日本中の雑貨業界のあらゆるところに広まっていった。そして既存の取引先が皆んな一斉にオンデーズや、僕個人に対して公然と批判を始め、遂には営業中の店舗から強引に商品を引き上げようとする業者まで現れ始めたのだ。

さらに、その炎はファンファンの社内にいるスタッフ達にも瞬く間に飛び火していった。
その結果、僕が新しくファンファンを生まれ変わらせる為に各地で開催していた新方針を説明する店長会議の席上では、店長達は皆ろくに僕の話も聞こうとせずに、反対意見や経営批判を嵐のごとく浴びせかけてきた。

「私達のファンファンを、勝手に壊さないでください!」

「新社長の方針には、絶対について行けません!商品ラインアップを拡大するのも反対です!」

「売上の為に茶色や、緑色の商品なんて、絶対にお店に置きたくはありません。売れるか売れないかは私たちには関係のないことです!」

東京、大阪、福岡。各地で開催した店長会議では僕が何をどう話しても、全てが万事こんな感じであった。「みんな反対。みんな不安。社長のあなたのやり方にはついていけない」

何を一生懸命話しても、社員達はこの一点張りで、しまいには感極まって泣き出す女子社員まで出てくる始末だった。

誰がどう見ても、まともな再生計画に加え、働くスタッフの給与体系、待遇、どれも、この時点では最良なものを用意して業績立て直しの改革に望んでいるつもりだったにも関わらず、とにかく「新社長のやり方にはすべて断固反対」「言ってる事は何も理解できない」と、まるで思春期の子供が親や先生に、理由もなく反抗するかのような、意味不明な態度の経営批判が判で押したように全国各地の店舗や社内の会議上で連日繰り返されていった。

この事態に、僕と奥野さんは困り果てていた。

「ファンファンの連中の頭は大丈夫なんでしょうか?この再生計画に、そんな強行に反対する理由が見当たらないと思うんだけど、なんであんなに、何を話しても『反対』しか言わないんでしょうね?」

奥野さんは、まるでまともに話の通じない、社員や取引先とのやりとりに、ただ困惑する日々だった。でも、僕はその裏で、言葉に言い表せないキナ臭い何か「嫌な臭い」をずっと感じていた。

取引先からたてられた信用不安の噂の影響は、もろに全国の店舗の売上を直撃した。
新商品の補充が滞った売り場からは、日を追うごとに商品がみるみる消えて行き、売り場は荒れ、空き棚が目立つようになり、全国の店舗の売り上げは、前年同月比で80%、70%と、まるで坂を転がるように急落していった。
雑貨の商品回転率は25%程で、粗利も眼鏡よりかなり低い。 

この頃のオンデーズでは1千万万円程度の売上げが限界だったのに対してファンファンは客単価九百円前後にも関わらず、月に二千万円近い売上を計上するお店も存在していた。

ファンファンの全ての店舗の売上げを立て直すだけの商品を店頭に戻す為には、民事再生を申請してから4ヶ月間仕入れがストップしていた分に加えて、突然の現金取引の要求で納入をストップされた分を再開してもらう前払金も含めて、最低でも合計約一億円の仕入れ資金が新たに必要な事態に陥ってしまっていた。
この時期、オンデーズを買収して再生している真っ最中に、僕たちが一億円という金額を新たに追加で調達するのは不可能に近かった。

しかも、果たして本当に商品を一億円分仕入れたとしても売上げが期待通りに回復する保証も無い。もし回復しなかったとしたら、ファンファン買収に借り入れた二億円に加えて、さらに一億円も回収不可能な負債が増えてしまうと、オンデーズが存続していくことはもう絶望的になる。

歯車が回り始めると思ったら、逆に狂ってきた。
しかし、ファンファンの元社長、中沢部長は連日、経営会議の席上で「とにかくもっと商品が必要だ!」「商品がなければ売上は戻らないぞ!」と迫ってくる。
まずは何としても商品の仕入れを再開させ、店頭の品揃えを元に戻す事が急務だ。
僕は、早急な事態の収拾を図る為に、「火元」である取引先の理解と協力を得る為に、取引先の担当者を全て本社の会議室に呼び集め、経営方針説明会を開催することにした。


2008年12月4日

池袋駅前にあるオンデーズ西口店の2階に新しく作った会議スペースで「ファンファン取引先説明会」が開催された。
説明会には、数十社を超える取引業者、納入メーカーの面々が約60名程集まった。
しかし、会場の雰囲気は開始前から異様な雰囲気で殺気立っていて、その様子はさながら債権者集会のようだった。

「えー、本日はお忙しい中、新生ファンファンの経営方針説明会にお集まりいただき、心より御礼申し上げます」

普段着慣れないスーツをきちんと着て、僕は一人で前に出ると、折り目正しく挨拶を始めた。

「マネーゲームならさあ、よそでやってくんないかなぁ」

「ホストはさっさと水商売に帰ったらどうなんだー!」

会場の中からは、わざと僕らに聞こえるような大きな声で、悪口を言ってくる者がチラホラいる。
そのどれもが、あまりにも低レベルで、曲がりなりにも企業の経営者が口にするようなレベルの内容ではなく、聞く価値もないような幼稚な、ただの誹謗中傷だった。

僕は下唇を噛んで、今にも怒鳴り散らしたい気持ちをぐっと堪えて淡々と説明を開始した。

「我々、株式会社オンデーズがファンファンの再生を請け負ってから、早や3ヶ月が過ぎようとしています。本来であればもっと早く、新しい経営方針について説明する場を設けるべきでしたが、多忙にかまけて今日になってしまった事を、心よりお詫び申し上げます」

「かわいい女子社員漁りに忙しかったんだろー」

下卑た笑いが、会場に沸き立つ。自分達は命を削るようにして、オンデーズとファンファン、2社の再生に東奔西走しているというのに、あまりにもくだらないヤジに、頭に血が昇りと、今すぐ胸ぐらを掴んで殴ってやろうかと本気で思った。

「分かりました。どうやら、私たちと皆様との間には大きな誤解が横たわっているようです。それでは、代表の方と一問一答形式で、質問にお答えしたいと思います。どなたか代表して質問に立っていただけませんか?」

ガヤガヤと代表を押し付け合う声がしばらく続いた後、40代前半くらいの男が立ち上がって、マイクを受け取った。
よく見ると、その男は、数週間前に一番最初にデポジットを要求すると「社長を出せ!」と断りもなく会社に乗り込んできて、偉そうに会議室のテーブルにドカっと座り込むと、オンデーズへの批判を一方的に始めて、聞く耳も持たずに帰っていった中小メーカーの経営者だった。

「クエストコーポレーション社長の曽根畑と申します。先日はどうも。それでは早速、納入業者を代表して質問させていただきます。まず、田中社長、失礼ながらオンデーズさんは今、資金繰りが火の車だと聞いてます。なんでも社員の年金保険料の支払いにすら四苦八苦している有り様だそうじゃないですか。そんな財務内容にも関わらず、なんでファンファンの買収になんて、あなたは乗り出したんですか?」

「そうだ!そうだ!」という怒声にも近い声が会場のあちらこちらから上がる。 僕らはスポンサーとしてファンファンの再生を支援する立場で説明しているのに、雰囲気は、まるで債権者集会で吊し上げられてる債務者のようだ。

「お答えします。オンデーズとファンファンは、ショッピングモールを中心に出店するインショップ業態で、ターゲット層も近く、メガネと雑貨二つの業態を持つ事でスケールメリットとシナジー効果が生まれると判断しました。加えてオンデーズと出店地域が被っている店舗も多く、店舗の管理業務を統一して行う事で管理コストも抑えられ、更なる利益率の改善もできると考えています」

僕はできるだけ冷静に、ゆっくりと分かりやすく質問に答えた。

「あのねぇ、小難しい横文字は、よくわかりませんけどね、聞きたいことはもっと単純なんですよ。要は、金、金、金!! お金の話をしてるんですよ! 金も無いのにファンファンをなんで買ったんですか? 私のような商売人は、お金に余裕がないなら余計なものを買おうとは思わない。何か別の狙いがあるんじゃないんですか?」

「別の狙い…ですか?」

「ずばり言いましょうか。あんたの狙いはマネーゲームじゃないんですか?弱った会社を安値で買い叩いて、頃合いを見計らって高値で売り逃げる計画なんじゃないんですか?そして私たちのような中小の納入業者は踏み倒され、泣き寝入りだ。違いますか?」

「そうだ!」

「大人を舐めるのもいい加減にしろ!」

怒号にも似た罵声が会場のあちこちから、横並びに立った僕たち経営陣に浴びせられる。

「ちょっと待ってくださいよ。ファンファンを高値で転売して売り抜けるなんて、そんな夢のような方法があるのなら、むしろぜひ教えてくださいよ。ファンファンには、すぐに売却して現金化できるような資産なんてほとんど無いんですから。経営を立て直して、きちんと収益が出る会社に生まれ変わらせない限り、次の売却先なんて見つかりませんよ。僕たちのしてる事がマネーゲームだというのなら、曽根畑社長に経営権をお譲りしますから、どうぞ売り払ってみてください。恐らく曽根畑さんの全財産は消えてなくなるはずですから」

僕は呆れながらも、冷静に反論して論した。

「ふん…。まあ、とにかく『そういう噂がある』という事を言ったまでです!」

曽根畑という社長は言葉を濁して、中途半端なまま質問を終えた。

(なんだこいつら…? 何がそういう噂だよ…)

しかし、僕はこの曽根畑氏の言葉で察知した。

(恐らく悪意を持った何者かが内部情報や、根も葉もない噂を意図的にあちこちに流している可能性がある)

結局、2時間あまりの、経営方針説明会は、終始一方的なオンデーズと僕個人への批判と誹謗中傷だけが浴びせられる形となり、僕たちの再生計画を理解してもらうどころか、余計に関係を悪化させ、まるで債権者集会のような、殺気だった雰囲気のまま終了した。


しかし説明会が終わった後も、数名の大口納入業者の社長達は「まだ納得ができない」と憤り、会場に居残ると、僕たちを更に問い詰めてきた。

大手雑貨メーカーの2代目だと名乗る細身の若い社長は、偉そうに足を組み、精一杯、威嚇するような態度で、僕の前の席に座って話し始めた。

「とにかく、私たちは、ファンファンに対して信用取引をしてきたわけで、あんた方、オンデーズに対する信用なんて、これっぽっちも持ってない。従って、今後商品を納入する際には必ず先に全額を前払い、現金で購入していただく以外に選択肢は無い。これが今日ここに集まった納入業者全員の総意ですから!」


(この人は一体、何を言っているんだ?こんな一方的な言いがかりで、オンデーズと喧嘩して取引を打ち切ってしまったとして、自分達にどんなメリットがあるというんだよ?)

僕は理解に苦しんだ。ここに集まった人達は明らかに誤った判断をしている。というかまるで経営者とも思えない。素人集団のようだった。

(なんだかこの人たちは、集団催眠にでもかかっているみたいだな・・) 

僕は何か釈然としないものを感じていた。
次に別の社長が自分にも話をさせろとばかりに口を開いた。

「田中社長、あんたにちょっと質問したいんだけどね?」

禿げ上がった頭をつるりと撫でながら、60代後半と思しき年配の痩せた男がしゃべり出した。

「田中さん、あんた本当は資産を沢山持っているんでしょう?何しろ、あんたのお父さんはひとかどの企業の社長さんだそうじゃないか」

(ほう…)という驚きの声が、居並んだ他の社長達から上がる。

「聞くところによると、社長であり資産家だったお父さんが先ごろ亡くなられて、田中社長は莫大な遺産を相続したという話しだ。ふふふ。とにかく、アンタには本当は唸るほど、お金があるはずだ。本気でファンファンの経営を再建する気があるなら、そのお金を少しばかり注入すれば簡単に再建できるはずじゃないんですかね?しかし、いまだ両社とも崖っぷちを行ったり来たりしている。これは本気で経営再建をする気がないとしか思えないんですが、違いますかね?」


僕は今まで経験した事のないくらい激しい怒りに包まれて、自分が抑えられなくなるのを必死で堪えた。

(なんで今日初めて会った、見ず知らずのこの男が、つい最近起きた、俺の個人的な相続に関する具体的な話まで知ってるんだ?どう考えても内部情報と悪意に満ちた噂が何者かによって流されているとしか考えられない。しかも俺個人を意図的に窮地に追い込むために…)

確かに僕の父親は経営者だった。

そしてこの時、58歳の若さで急逝した父から母親が相続した遺産を個人的に借り受け、ファンファン買収に要した二億円の一部にあてていた。

「確かに、亡くなった父親が、社長だったのは事実です。しかし、多少の遺産はありましたが、残念ながら莫大な資産などありませよ。僕は自分と仲間の力だけで事業を立ち上げてここまでやってきたんです。
ところで皆さんは、事業は資金さえあれば成功すると本気で、お考えなんですか?資金は確かに大切ですが、それ以上に重要なのは人ですよ。人を再生することなく、いたずらに資金ばかりを注入しても企業は絶対に再生などしませんよ。
私が今、オンデーズで行っているのは『人の再生』なんです。ファンファンの前経営陣である中沢社長を筆頭に、全員をそのままオンデーズで再雇用させて頂いたのも、そこに狙いがあるからなんです」

僕は、長い時間をかけて、自分の経営理念や、ファンファンの再生計画をじっくりと説明した。
しかし結局、何時間もかけて真摯に説明をしても、居並んだ取引先の社長達との話し合いは、なおも平行線のまま物別れに終わっていった。

(やはり何を聞いても、理解しようとすらしてくれない。恐らく誰かが悪意を持って噂を流しているのは、もう間違いないだろう。しかも、かなり内情に詳しい内部の人間…)

僕はオフィスの自分の席に一人で戻ると、なんともやり切れない気持ちで、バンっと資料をゴミ箱に投げ捨てた。次々といろんな人の顔が、浮かんでは消えていく。

しかし、いたずらにファンファンの事業再生を頓挫させてしまうような妨害をして、この場面で一体誰が得をするというのだ?
それとも、誰かが意図的に悪い噂を流してるというのは、単なる僕の妄想で、単純に自分の色んな面を見られた上で、スタッフにも、取引先にも人間性を疑われて不信感を持たれているのだろうか…?
全ては僕自身が原因で、引き起こしていることなのだろうか…?

色んな憶測が頭の中を、ぐるぐると回っていく。一体何が真実で、何が虚構なのかすら解らなくなってくる。

しかし、この時の僕はまだ甘かった。

人間は同時に複数の顔を持つことができる。

この世の中には綺麗事だけではなく、自分個人の目的達成の為なら、己の考える正義だけを基準に、人の人生を平気で踏み台にして謀略を巡らそうとする人がいる。

噂を流している黒幕達は、確かにいたのだ。しかも自分のすぐ隣の席に。


第11話に続く・・

*本記事は2018年9月5日発売の【破天荒フェニックス オンデーズ再生物語 (NewsPicks Book) 】から本編の一部を抜粋したものです。

https://www.amazon.co.jp/破天荒フェニックス-オンデーズ再生物語-NewsPicks-Book-田中/dp/4344033507




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