暮らしのデザインは、どう変わっていくのか

以下は、2014年に書いた文章。あれから5年。この5年で何がどう変わったのだろう。変わりすぎて、うまく捉えられない。


暮らしから考えるデザイン 1994年〜1999年

 ぼくが多くのデザイナーと接するようになったのは、1994年に新宿にできた「リビングデザインセンターOZONE」で、デザインに関する展覧会の企画をするようになったからだ。

10年間で、大小300以上の展覧会を担当する中で、1000人以上のデザイナーと出会った。建築、インテリア、プロダクト、グラフィックと様々なジャンルのデザイナーと、これからの暮らしにおけるデザインについて考え提案する日々だった。

ちょうどバブル経済もはじけ、大量生産、大量消費、大量廃棄が見直され、自分たちの足元を見つめ直し、地に足のついた等身大のデザインが求められていた。

 数人のプロダクトデザイナーが大企業を飛び出し独立し、マーケットに対してどうしたら売れるかのデザインではなく、デザイナー自身の感覚として自分が使いたくなるモノをデザインし提案するような動きがはじまった。

それまで、大学を卒業した優秀な人の多くは、企業のインハウスデザイナーとして仕事し、家電製品、自動車など日本の工業デザインを世界に広める役割の一旦を担ってきた。それはそれで重要なことだったのだが、右肩上がりの経済成長にかげりが見え時代が変わっていく中で、デザイナー自身が本当にいいと思うものをデザインするために、独立したデザイナーとして活動することがひとつの選択肢として現実的になってきた。

 高度経済成長前の1960年代の日本のデザインが見直され、柳宗理がふたたび脚光を浴びたのもこの時期のことだ。建築の分野では、30代の建築家が注目され、一般の人が建築家に住宅のデザインを依頼することがブームになった。「デザイナーズマンション」や「デザイン家電」といった怪しげな言葉が雑誌を賑やかし、良くも悪くも「デザイン」という言葉が誤解も含め、多くの人に浸透していった。


産地におけるデザイン  2000年〜2004年

 日本各地には、ものづくりの産地がたくさんある。それは、陶磁器、木工、漆、金属加工、繊維、紙製品など、さまざまな素材や技術が集積している場所である。江戸時代から続く伝統的な産地もあれば、明治以降、あるいは、戦後に生まれた産地もある。

古くからの産地は、時代の変化に対応しながら、自ら変化することで生き延びてきたところもあれば、時代の変化についていけずに、後継者がいないことから衰退していったところもある。明治以降の西欧化、近代化の中で、機械化、量産化されたものづくりは、大きく変化してきた。それでも、伝統的な手仕事の良さを継承しながら、必要な機械化、合理化をして、その価値を失わずに、差別化することで続いてきた産地もある。

 高度成長期やバブル経済期には、こうした伝統的な手仕事の延長線にある高額な商品でも売れた時代があった。この時期にもデザイナーの多くが産地とのものづくりに取り組むことになったが、デザイナーの作品づくりや話題性が先行して、「デザイナーがデザインすると売れない」とまで言われた時代もあった。

 こうした時代を経て、2000年以降、ふたたび、そうした産地に出向き活動するデザイナーが増えてきた。彼らは、日本の伝統的な素材や技術に興味を持ち、何よりもつくる現場から発想するデザインを重視する傾向がみてとれる。一過性の取り組みではなく、時間をかけて、いいものをつくっていきたいという欲求が高い。芸術品ではなく、暮らしの中で使える道具として、適正な価格で流通させたいという気持ちがある。

こうしたスタンスのデザイナーが産地との関係を築くことで、産地のデザインは、静かに変化してきている。そして、これからも産地のメーカーとデザイナーによる様々な取り組みが続いていくことになるのだろう。


海外からみる日本のデザイン 2004年〜2009年

2004年にリビングデザインセンターOZONEを退社した後、国際交流基金が主催し、「パリ日本文化会館」で開催された展覧会「WA—現代日本のデザインと調和の精神」のキュレーターのひとりとして、2000年以降を中心とする日本のプロダクトデザインを161点紹介する機会を得た。

2008年以降数年にわたり、この展覧会の巡回に立ち会うかたちで、フランス、ドイツ、ポーランド、韓国の4カ所を回る機会があった。各地で日本のプロダクトを並べてみて、来場者の反応を直に感じることで、日本のデザインの特殊性みたいなものが実感をもってわかってきた。

日本のプロダクトのデザインにおける創意工夫と、精緻できめ細かいつくり込みは、どの国にいっても驚かれる。と同時に、そのかたちは、どこか日本らしさをまとっているらしく、小ささやかわいらしさ、削ぎ落した形状やシンプルな構造など、独特にみえる点を指摘されることで、日本ではあたり前のことが、海外ではそうでないことを思い知ると同時に、まだまだ、日本の現代の日常的なプロダクトが海外では、知られていないことを知るのだった。

 この時期、展覧会だけでなく、メーカーやデザイナーといっしょに、日本で企画・デザイン・開発したプロダクトを海外の見本市で発表する機会もあり、ロシア、フランスに行くことがあったが、ここでは、さらにリアルに現代の日本のプロダクトがどれだけ、世界に欲しがられているのかを実感した。

 これからますます、日本のものづくりを活かしたデザインが海外に広まっていくのだろう。ことさらに日本らしさを意識するのではない、伝統や文化をきちんとふまえ、物まねではない、日本のデザインがさらに花開こうとしている。


信頼関係から生まれるデザイン 2010年〜2014年

 産地のメーカーは、戦後から切り盛りしてきた経営者や職人から、世代が変わりはじめている。30代、40代の若手の経営者も増えてきた。少し前までは、産地には、金儲けが好きな経営者と頑固な職人がいるイメージがあったが、こうした世代は、デザインへの理解度が高い経営者も多く、「技術を持ったものづくりが好きな職人」と「センスを持った暮らしを知るデザイナー」が話し合いながら、デザインと品質を大事にして、お互いを認め合って積極的にものづくりを進めている。

 また、メーカーからの依頼で、デザインするだけでなく、メーカーとデザイナーがパートナーのようなかたちでプロジェクトを立ち上げ、推進するケースも増えている。ものをつくるだけでなく、それをどうやって伝えていくのか、そして、どうやって売っていくのかまできちんと考え、模索しながら進めていくことが大事になってきている。さらには、デザイナーが自らリスクをもって、製品をつくり販売することもある。

 時代の変化の中で、メーカーもデザイナーも社会全体の中でのものづくりやデザインの役割を考え直す必要に迫られている。既成のしくみを越えたところに何か新しい可能性が潜んでいるようにみえる。インターネットの普及も流通のしくみを大きく変えている。伝統的な技術と最新の技術が融合することから、新しいものが生まれる予感がする。産地にこだわらないものづくりが進んでいる反面、徹底的に産地にこだわることで新しい動きが加速しそうな気もしている。「ものづくり」と「まちづくり」が同時並行で進み、あたらしいタイプの観光と融合することで、消費地に売りにいくのではなく、生産地に買いに来てもらう流れも再びおきはじめている。

 混沌とした変化する社会の中で、日本のものづくりがどうなっていくのか。不安でありながら、楽しみでもある。結局は、人と人との信頼関係から生まれるデザインこそが、これからも日本の社会をつくつていくのだと信じたい。全国各地のものづくりの技術と、デザイナーが出会い融合することで、良質なものが広がり、もっと暮らしが豊かになっていく道筋がようやく見え始めている。

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