1999年から2019年の振り返り

毎年、なんらかのかたちで一年を振り返っているのですが、今年は、1999年からの20年間を振り返ってみたくなりました。

この20年間で、社会が変わる中で、デザインに期待されていることがどう変わっていったのか。そして、その変化の中で、自分自身が、どんな取り組みをしてきたのか。

ざっくりと言えば、この20年は、社会も自分も「共的な暮らし」を模索してきた時代と言えます。

パブリックとプライベートの間にあるコミュニティのあり方が問われてきました。血縁や地縁をこえたつながりが、SNSによって加速しました。

少子高齢化、ひとり暮らしが進む中で、家族、親戚、会社、町内会などのコミュニティが機能しずらくなり、あらたなソーシャルキャピタルの試みが増えていきました。

1990年代はじめのバブル崩壊後、暮らしを足元から見直す動きが生まれ、暮らしにまつわる住宅、家具、日用品などのデザインが脚光をあびます。

2000年前後は、まさに暮らしのデザインブームで、一般雑誌がこぞって、デザイン特集を組み、デザイナーズマンション、デザイン家電という変な言葉も生まれました。

ぼく自身は、1994年に、リビングデザインセンターOZONEの立ち上げに参加して、10年間で300以上の暮らしに関わる展覧会の企画運営を手がけ、1000人以上のデザイナーや建築家の仕事や考え方にふれてきました。

そんな中で、1999年には、仲間と、クリエーターズファイルをつくり、暮らしをデザインするクリエーターを、数多く紹介してきました。2006年からは、雑誌Penで、2年半にわたり、50人近くのクリエーターを紹介する連載も手がけました。

2000年頃から国の後押しによるジャパンブランドや地方創生の動きが活発になり、ものづくりやまちづくりに、多くのデザイナーや建築家が駆り出されます。

この頃には、デザイナーは、先生ではなく、地方の中小企業や行政のパートナーとして、活動をはじめ、東京のデザイナーではなく、地方で活躍するデザイナーも増えていきます。

大企業の顔の見えない誰のためのデザインなのかわからない仕事よりも、中小企業と組んだものづくりや、地方の行政とまちづくりに取り組むデザイナーが脚光を浴びはじめます。

2000年以降、商業的なデザインではなく、社会貢献的なデザインを指す「ソーシャルデザイン」という言葉も浸透しはじめます。

それと同時にインターネットが普及する中で、UXデザインやサービスデザインという役割が増えていき、もはやデザインは、モノよりコトやしくみをつくるために必要とされていきます。

ビジネスの世界では、マーケティングの一部としての商品のカタチを考えるデザインや売るためのデザインから、デザイン思考やデザイン経営といった課題解決、イノベーション、ブランディング とつながったデザインが求められていきます。

こうした中で、デザイナーは生き残りをかけて、作家的、職人的にふるまうか、プロデュースやコンサルを含めて仕事にしていくか考えはじめます。

そんな中で、自らブランドを立ち上げたり、ショップをはじめたり、クライアントワークではない自主事業としてのデザインビジネスを模索するデザイナーも増えていきます。

ぼく自身は、2004年に、会社を辞めてからは、プロジェクトファームという働き方を考え、やりたい人だけが集まって活動するかたちを模索してきました。

2004年から10年間で、20以上のプロジェクトが生まれ、商品や拠点、メディアなどを生み出してきました。

ものづくりのプロジェクトでは、かみの工作所、かみみの、3120、カミプレ、てぬコレ、仏具のデザイン研究所、104など。

拠点づくりのプロジェクトでは、国立本店、西荻紙店、国分寺さんち、国立五天、マルヒノ、ホロ弘前など。

その他、複合的なプロジェクトでは、コド・モノ・コト、がようしラボ、旭川木工コミュニティキャンプなど。

生まれ育った多摩地域のプロジェクトとしては、2005年に実家のあとを継いではじめた「つくし文具店」。2010年にはじまった「東京にしがわ大学」から地域のつながりが増えていきます。

東京にしがわ大学のつながりから「たまら・び」という多摩信用金庫が企画する雑誌や、「ののわ」という中央線の三鷹から立川間をつなぐフリーペーパーに関わります。

東京にしがわ大学に関わったあたりから、地域の学びの場をつくることが増え、ちいさなデザイン教室、しごととデザイン研究室をはじめ、ヒガシヤマト未来大学、こくぶんカレッジ、TeiP SchooL などが立ち上がっていきます。

2014年からは、日野にある明星大学デザイン学部の設立から専任教員として教えはじめ、同時に、株式会社シュウヘンカという会社もはじめました。

明星大学の教授になったこともあり、行政と関わることが増えはじめ、国分寺市、東大和市、日野市、八王子市、青梅市、三鷹市、武蔵野市、小金井市などとの取り組みもはじまりました。

そして、大学で教えはじめたことで、ぼく自身、デザインについてあらためて考える機会がふえ、「産地とデザイン」「デザインとコミュニティ」というふたつの研究にも取り組んでいます。

2018年からは、「ローカルラボ多摩」という取り組みもはじまり、地域に根差したデザインの模索は続いていきます。

2019年の今年は、「ベースクール」や「日野まちのき」「くにきたデザインクラブ」プロジェクトなど、あらたな取り組みもはじまりました。

東京のにしがわにある郊外住宅地である多摩エリアを、もっとクリエイティブな場所にしていきたいという想いは、ますます強くなっています。

自分が育った地域がどうやったら、もっと多様なつながりがうまれ、面白いことがおきるのか。まだまだ、模索は続きます。そして、仲間探しも続きます。

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