デザインの仕事を地域につくるには


2004年6月に、サラリーマンを卒業してから16年が経とうとしている。サラリーマン生活は、20年。二つの会社にそれぞれ、10年勤めた。

後半10年の仕事がデザイナーや建築家と展覧会をつくることだったこともあり、いつのまにか同世代のフリーで仕事をする人がまわりに増え、自分だけがサラリーマンという状況に息苦しさをおぼえるようになった。

独立して何をするかを考えてみたけど、よくわからなかったので、まずは、辞めてから考えることにした。今考えても無謀で、当時、高校生と中学生の娘がいたし、住宅ローンもたっぷり残っていて、貯金もほとんどなかった。

できる仕事は、なんでもやろうと考えていた。たいしたスキルや能力があるわけじゃないけど、たくさんのデザイナーや建築家を知ってるということだけが財産だった。最初の頃は、心配してくれた建築家やデザイナーがつないでくれた仕事をこなしながら、なんとか食いつないでいた。

独立当初から、どうせなら、自分が育った地域で仕事がしたいと考えていたけど、そんなにうまくいくはずもなく、稼ぐのは都心の仕事で、三鷹の家から六本木や銀座などに打ち合わせに出かけることが多かった。

国分寺の実家で、「つくし文具店」をはじめたり、仲間と「国立本店」という拠点をつくったりしながら、多摩地域でのつながりをつくって、仕事にしようとあがいてみたけど、そうそううまくいはいかなかった。

転機が訪れたのは、独立して5年目。ある日、メールで連絡があった。「シブヤ大学の姉妹校を多摩地域につくる構想があるのだけど、興味ありますか?」という内容だった。当時、シブヤ大学のことはメディアを通じて知っているくらいだったけど、なぜかその話に可能性を感じて、飛び込んでみることにした。

結果的には、「東京にしがわ大学」という活動をスタートさせることになり、ここから多摩地域にいろんなつながりができた。そして、中央線三鷹から立川間の高架化にあわせて発行されたフリーペーパー「ののわ」の企画編集を手がけたり、多摩信用金庫が企画していた「たまら・び」という雑誌のディレクションを担当するようになる。

2011年には、「西荻紙店」という拠点をつくり、2014年には、デザインの仕事を産むシェアオフィス「国分寺さんち」をスタートさせた。同時に個人事業を「シュウヘンカ」という株式会社にした。

16年間。地域でできることをいろいろとやってきたけど、まだまだ、何かが足りないと考えている。この地域をもっと面白くするために、デザインでできることは、どんなことなのか、どんな人と、どんなふうに進めるとうまくいくのか、まだまだ、模索は続いていく。

この地域には、美大がたくさんあり、多くのデザイナーや建築家が住んでいる。住んでいるけど、地域の仕事をすることは少ない。地域に店も会社もあるけど、デザインの力をうまく使っているところも少ない。

ニーズもあり、人材もいる。足りないのは、どんなしくみなんだろう。いっしょに考え、動いて、地域を盛り上げていく仲間が欲しい。デザインの仕事を地域につくること、その結果として、地域が面白くなっていく。

地域を良くしたと考える行政。地域をビジネスで活性化する企業。そして、想像力と創造力で、地域を面白くするデザイナー。この3者がうまく融合しながら、地域が魅力的になっていくこと夢みている。






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