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「努力をせずに夢が叶った人と努力をしても叶わなかった人、たとえ僕は叶わない人だとしてもこの足を止めはしないだろう。」

ってな題名から始まりましたが、ちょっと早めの2021年の振り返りです。題名はUVERworldさんの、
「PLAYING RUN」という曲からお借りしました。自分が折れそうな時はこの歌に励まされてきました。そんな歌にも触れながら2021年の振り返りをしていこうと思います。

というか皆さんお久しぶりです。

めっちゃ久しぶりにnoteを書きます。本当は2021年はたくさん書こうと思っていたものの、周りから沢山入ってくる良い情報にも悪い情報にもうんざりしてしまって一時的にSNSから離れようと思い、こんな久しぶりの投稿になってしまいました。SNSから少し離れて、世の中には情報の切り抜きが沢山あって、自分は良くも悪くもそれらに翻弄されている部分があったと実感させられました。そして情報というもの取得の理想は本であると21歳にして気付かされました。まだまだ未熟です。でも皆さんはどうでしょうか?トレーニング理論は一貫していますか?発信する内容は情報の切り取りに影響され過ぎてはいませんか?「中途半端はよくない」という意味を改めて学びました。

さて前置きはこの辺で、2021年を振り返っていきましょう!ぜひ皆様お付き合いください!

1月〜3月フリー練習 4月監督交代

今年に入っても例によって練習メニューが全部フリーという期間が結局2020から半年ほど続きました。やる人間はやるしやらない人間はやらない。半年有れば一流の選手でも凡人に戻れると思います。一流の才能を持った人間も辞めていきました。練習をしない弊害も大きいですが、練習をセーブしてくれる人もいない。2020年10月から2021年3月までは自分自身がコーチであり監督であり同時に選手でした。元々強くなるという点において正解はないと思いますが、メンターがいないのは競技においてここまで心細いものなのかと実感しました。しかしながら現状に嘆いても他大学との差は広がるばかり、あの時はごり押しプレイでただひたすらに走れば良いと思って手探りで走りまくっていました。
だからこそ2020年年に大したタイムではなかったもののベストを更新できた事は、自分にとって価値のあるものでした。しかしそんな日々も終わりを告げ、3年生にして3人目の監督が就任することになります。心底ホッとした事を覚えています。ようやく道筋を示してくれる方が来たと。もちろん自分で考えて結果を出さねばなりませんが、箱根駅伝というコンテンツに関しては自分は初心者です。だからちゃんと指導してくださる監督が来たことは自分にとってとても嬉しい事でした。

ゴリ押しプレイのツケ。大腿骨疲労骨折。

フリー練習のゴリ押しで走りまくってたツケが回ってきたのか、監督交代の4月に大腿骨疲労骨折をしてしまいました。
新しい監督へのアピールのスタートダッシュは遅れるわ、歩くのも痛いわで完全に気持ちが切れていました。とはいえ、怪我をしてもやるべき事は毎日同じように積み重ねていたつもりでした。しかしもう自分は3年生であり、下の学年の勢いもあり「俺の大学生活こんなつもりじゃなかったのにな」「もう終わったのかな」「あの人にももう終わったとか言われたしな」とか色々な考えが頭を巡りました。人は暇すぎるとメンヘラになると思います。(笑)
そんなもどかしい日々を毎日過ごしていました。その辺りから「別に負けたって良いじゃないか」「人と比べてもしょうがないし自分のベストを尽くそう」という考えに変化していきました。なんと言っても自分自身が他人より頑張れるとも思わないし、積み重ねるしかないなと思ったのです。
そんな時によく聴いていた曲が冒頭で述べた「PLAYING RUN」です。YouTubeのURLを貼っとくので是非一度聴いてください。「努力をせずに夢が叶った人と努力をしても叶わなかった人、たとえ僕は叶わない人だとしてもこの足を止めはしないだろう。」もう負けてもいいから、無駄なプライドは捨てようと決心しました。
どうせあと1年半で終わりなんだ。

中学生以下の6〜8月

大腿骨疲労骨折後、2ヶ月の休養を経てようやく走り出しました。しかしそこからの道のりが堪え難い現実を突きつけられることとなります。

400m×7(72“)ができない!

そうです。私の体力は中学生の自分よりも落ち込んでしまっていたのです。これには自分自身びっくりですし凹みました。まあでも凹んでる暇もないのでどう体力を戻していくか近道を探りました。もちろんそんなものは存在しません。何せ強くなるには「積み重ねる」しかないのですから。
この時ばかりは正直もう「俺終わったわ」と悲しい笑いしか出てきませんでした。でも走る足を止めようと思った事は陸上人生で一度もありません。きっとこのままいけば、足を止めるのは死ぬ時なのかななんて思ったりもします。

↓ドンピシャでその練習出来なかった時の写真

過去最低値の貧血9〜10月

夏合宿はAチームに帯同できなかったものの自分なりに距離は踏んできました。「よっしゃこれは手応えあるな予選会のメンバー狙ったろ」と思っていた矢先、全く体が思うように動かないという症状に陥りました。集中も全く続かないのです。最初から最後まで全力疾走の疲労感。漠然と疲労かと思っていましたが、病院で採血をしてあらびっくり。基準値大きく下回った貧血になってしまっていたのです。これには私もかなり焦りました。予選会まで時間がない上に早急に調子を上げなければいけない。正直無理ゲーな課題ばかりでした。そんな中で迎えた選手選考を兼ねた日体大記録会。私は14分55秒。ベストから大きく遅れました。匿名の書き込みで「小野は殻破れませんね」みたいなのを見て「は?」と思ったのを思い出します。その時はもう14分一桁で走っていたみんなを遠い存在に感じ羨望の眼差しで見るしか私にできる事はありませんでした。
しかしどんなに結果が悪かろうと、私は自分の歩みは止めようとは思いませんでした。

あれ俺まだ意外といける?11月

色々な方の支えもあった事で徐々に貧血も治り、練習もようやくAチームにつけるようになってきた頃、”良い違和感“を感じていました。「なんか最近練習マジ楽じゃね。」設定は圧倒的にキツい筈なのになんかいける。いうたらマリオのスター状態になった気分でした。予選会の次の週の4000mTTを11分18秒の13分台ペースで走り、その時にその違和感は自信へと変化しました。
「あ、これいけるやつや」練習でスタートラインに立つたびにその自信は大きくなりました。「鉄は熱いうちに打て」とこのチームの柱である樋口と松岡にアドバイスを貰って、12月ではなく、11月の日体大記録会でベストを狙うことに決めました。

私にとって一つの集大成

11月13日の日体大記録会はようやくやってきたことが形になった瞬間でもありました。
結果は29分00秒69と従来の自己ベストを48秒更新することができました。レースに向けた準備が完璧に整っているとスタートラインに立った時私は「ベストは絶対出るだろう」という気持ちになります。これを前回感じたのは高校3年生の時でした。そこからこの日まで苦しかった日々を思い出すと、幸せな気持ちになれました。
少しだけ自分を褒めてもいいかな、と。

私にとって2021年とは。

私にとって2021年は陸上人生で1番苦しい年だったのかな、
と思います。何より疲労骨折やら貧血やらでマジで終わった感がありました(笑)それでもやっぱり諦めなかったら少しづつ形になってきたし、競技者として少しは階段登れたなと感じます。ようやく一流の選手へ挑戦していくスタートラインに私は立ちました。ここからは中高大と名をこの世に轟かせてきた学生のトップクラスの人達に挑戦していきたいです。現状に満足することなく、またやるべき事を毎日繰り返して行こうと思います。また挫けそうになった時は、「努力をせずに夢が叶った人と努力をしても叶わなかった人、たとえ僕は叶わない人だとしてもこの足を止めはしないだろう。」の精神で。

追伸 

ふと山梨学院の栗原君のnoteを読んでて、とても嬉しい内容が書かれていました。今回箱根メンバーには選ばれなかったかもしれないけど、間違いなく進歩してる!
このままじゃお互い終われない気持ちが強いから、来年は学生最後の年になるけど小さい頃のドキドキワクワクを忘れずに挑戦し続けよう笑
最初で最後の箱根駅伝走るしかねえ!

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