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想像力という名のやさしさ。

前回から随分と期間が空きましたが、今回は日々過ごす中で感じたことを過去の広告と絡めて書いてみようと思います。

少し前のこと、Twitterでとある広告コピーに対して燃えさかるような議論が生まれているのを目にしました。
どんな内容だったかは伏せますが、私自身も読んだ時、喉元で何かが痞える違和感を覚えました。「この言葉を目にした人は、捉え方や解釈によって、あまり良い気持ちにならないかもしれない」「何か足らない気がして、モヤモヤする」

その時、ふと頭をよぎった広告ありました。
1989年、新聞に掲載されたTOTOの企業広告。

「人間は、全員疲れているのだ」
と仮定する。

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引用元:https://mag.sendenkaigi.com/senden/201411/read-advertisement/003573.php

これはコピーライターの巨匠、仲畑貴志さんによって、
TOTOという企業の製品開発における姿勢と思想を言語化した広告です。

そして文章は以下のように続きます。

頑強な人間、剛健な人間をイメージすると人間にやさしい
商品は生まれにくい。人間は弱い。人間は不器用だ。人間は疲れている。
と、仮定して、TOTOの商品づくりは出発します。
弱いから、思いやりがいる。不器用だから、心づかいがいる。
疲れているから、いたわりがいる。そんな想いで商品を作る、
ハイ・タッチの発想が先にあって、それを実現するためにハイ・テックも活用する。
TOTOは、いつも「人間たいせつ」から始まるのです。

「そうか、何か足りないと感じたのはこれか」と思った。

この社会に生きる人は、誰もが弱さを持ち、不器用で、大なり小なり悩みを抱えながら日々を懸命に暮らしている。この仮定と前提に立つこと。故に人を幸せに、愉快にしたいと思える。
この時代に、生活者がどんな暮らしの中で、どんな気持ちで、どんな悩みを抱えていて、どんな言葉をかけられたら嬉しいのかを考えることができる。
すべては想像力という名のやさしさから始まっている。

私がTwitterでみた広告には、その「想像力=やさしさ」が少し足りなかったのかもしれない。

時代背景や掲載される場所、そこを利用する人の特性を考慮し、真に伝えたいメッセージを如何なる言葉で伝えるのがベストなのかを考える。それは決して容易ではないし、SNSを通じてターゲット以外の人も広告を目にできる現代ではさらに広域的な視点と社会感情を汲み取ることが要求される。だからと言って毒にも薬にもならないのでは意味がない。広告やコピーを見て背中を押されるような、そっと抱きしめられるような、世の中捨てたもんじゃないと思えるような気持ちになって欲しいと思う。間違っても誰かを傷つける存在であってはいけない。

多くの人が言葉を扱い、価値観も多様化した時代だからこそ企業・ブランドが発する言葉は一層シビアな目に晒され続ける。

言葉は放たれた瞬間に、全ての解釈が受け手に委ねられるもの。「白色」だと伝えても、受け手が「黒色」だと解釈したならその人にとってはもう黒色になってしまう。伝えたいことを、どこかに存在する伝えたい相手に正確に伝えるのは本当に難しいことなのだと改めて痛感したと同時に、だからこそ想像力が今まで以上に必要だと思いました。

ブランド・商品・サービス・表現・言葉と生活者が出会い触れ合った時に、少しでも幸福を感じてもらうため、届けたい相手の人生も、頭の中も、心の中も想像する。そんな優しいハイ・タッチの発想はいつの時代になっても忘れず持ち続けられるようにしたい。

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