見出し画像

ザスパクサツ群馬2018編

2018年よりJ2カマタマーレ讃岐から、J3のザスパクサツ群馬に移籍する事になりました。
ザスパには2回新加入として入ったので、今回は1回目の2018年シーズンについて書きたいと思います。
ファジアーノ岡山トップチーム編が無いじゃないか!って思われる方もいるかも知れませんが、正直面白いネタがほぼないです。試合にもほぼ絡んでないので…
なのでトップチーム編ってより、ファジアーノの恒例のウインターキャンプやファン感謝デーなど、ピッチ外での事を今度書きたいと思いますので、期待して待っててください。という訳で、ザスパクサツ群馬2018編スタートです。


2017年末のシーズンオフ期間に、ザスパクサツ群馬からオファーを貰い、移籍を決断する事になった。
本当は翌年もJ2のカマタマーレに残り、絶対的守護神の清水健太選手の壁を越えようと思っていた。そのつもりだったんだけど、契約更改の時の話や、条件面などで少し納得出来ていなかった。当時は代理人(仲介人)もおらず、全て自分で契約更改のテーブルについていたので、どう交渉していいか分からなかった。
そんな時、スマホの画面に

『布啓一郎』

から着信があり、これまた内容は言えないけど、話が進み、クラブを通じてザスパからオファーを貰った。
布啓一郎さんは、2018年からザスパクサツ群馬の監督になる事が決まっていた。
俺との接点は、ファジアーノ時代の2015.16年の2年間、トップチームのヘッドコーチとして色々ご指導を受けていた。
布さんは、サッカー好きなら勿論知っていると思うけど、強豪市立船橋高校の名監督だ。多数のJリーガーを輩出してる、超名門校を作り上げた監督として有名である。
育成年代の代表監督などを経て、2015年よりファジアーノにやってきた。

色々と伝説や噂は聞いていたので、怖いイメージはあったけど、実際に絡んでみると、優しくて選手に寄り添う人だなと思った。よくゴールキックの練習に付き合ってくれて、布さん目掛けて何百本も蹴り続けた記憶がある。本当にお世話になった。そんなご縁があり、今回のオファーに至ったんだと思う。

なので、布さん率いるザスパからのオファーを貰った瞬間、群馬に行きたい!と、強く思った。カテゴリーなんか下がっても関係ないと思った。そこからクラブの強化部と条件面などを交渉して、ザスパクサツ群馬と仮契約を交わした。

ザスパは2017年J2リーグを最下位で終えて、J3降格するチームだった。
カマタマーレに所属していた時に、忘れもしない2017年8月11日の正田醤油スタジアムで行われた、ザスパとのアウェイ戦。カマタマーレとザスパの勝ち点差はわずか3ポイント。この試合に勝てば残留争いから少し抜け出せる。しかし負けてしまったら最下位ザスパと同勝ち点になり、泥沼の残留争いに引きづり込まれる試合だ。
結果は2-1でカマタマーレの勝利。ベンチで見ていた俺は、チームメイトやスタッフと大喜び。アウェイまで来てくれたサポーターと勝利を分かち合った。
反対に、正田醤油スタジアムの雰囲気は異様だった。ザスパにブーイングが飛び、厳しい言葉がアウェイのロッカーまで聞こえた。
ロッカーを出て、バスに乗り込む時間になっても、ザスパゴール裏では何か揉めている。試合後1時間近く経ってるのに、多くの人がスタンドに残っていた。具体的には何があったのがよく分からないけど、ザスパゴール裏とチームで色々あったらしい…YouTubeで見た事がある。続きはそちらへ…

そんな風景を横目に、他人事の様に、大変だね、俺らも今日負けてたらやばかったねーなど、チームメイトと話しながらバスに乗り込んだ。ちなみに8月11日は誕生日なので、この時の事ははっきり覚えてる。
翌年の誕生日も群馬で過ごす事なんて、この時は全く知る由も知らず…笑

んな訳で、群馬に行き、正式契約を交わし、物件探しをし、群馬での生活に備えた。高崎駅に着いた時は、新幹線が通ってて駅も広く、駅前にはビルだったりデパートや繁華街もあったので、結構都会じゃん!って思ってウキウキした。群馬での物件は、一応下増田にあるクラブハウスと練習場が通年ではないけど、使用する頻度が多いという事で、通いやすいように前橋市のとある場所に住む事になった。ラウワンが近かった。ヒントは以上。
で、要件が全て終わり、香川に帰ろうと、不動産の担当の人に前橋駅で降ろしてもらった。
前橋駅前に着いた俺は、辺り一面の風景に驚愕した。駅ちっちゃ!人全然居ない!と思わず叫びそうになった。なんで県庁所在地の前橋駅の方が小さいんだ!高崎駅の方が栄えてるじゃないか!と、心の中で叫んでいた。まぁ後に群馬県に沢山いい所を見つけ、前橋市出身の方と結婚して、高崎か前橋に一軒家か、マンション購入したいと思う程好きになったんだから、人生わからないもんだね。

そしてオフシーズンを札幌(すすきの笑)を中心に過ごし、年が明けてすぐに、ザスパクサツ群馬のシーズン始動に向けて引っ越しをし、1月10日前後から、群馬生活が始まった。
ザスパには、ファジアーノ時代にお世話になった、久木田選手、鈴木崇文選手、一柳選手の3人がチームメイトに居たので、安心して入っていく事が出来た。
移籍先に昔一緒にやっていた選手だったり、友達や顔見知りなど、知ってる人が居るとそれだけで安心する。その点、ザスパは入っていきやすかった。
逆に讃岐や湘南は知ってる人がほぼ居なかったので、解け込むまで結構時間が必要だった。飲みニケーションが俺には必要だった…

ザスパでの練習は、布監督の元、ファジアーノ時代にやっていた様な練習が多かったり、戦術やチームの共通言語なども、ファジアーノにいた時と同じ様な感じだったので、その点については、他のチームメイトより多少理解は深いかなと感じていた。
GK練習はというと、GKコーチのシュナイダー潤之介さんのフィジカル要素たっぷりの練習に、毎日練習後に倒れ込んだ。毎日3人のGKで失点の数を争ったりして、対戦方式で練習が行われる。順位が低い順から、フィジカルの本数が多くなるので、何とか毎日1位になろうとするんだが、そんなに上手くはいかない。俺と常澤選手は、シュナイダーコーチのトレーニングが1年目で、3年目のパクスンリ選手とは明らかに差があった。多分年間通してスンリ選手より、俺と常澤選手の方が、フィジカルの本数が多かったと思う。多分倍近く本数が違う気がする…笑
長崎キャンプが終わる2月中旬辺りまで、毎日全身が筋肉痛で、ザスパに来なきゃよかったと何度も思った。笑
でも練習が慣れた事には相当動けるようになったから、あのハードな練習もとても意味があったんだと思ってるけど、今もう一回やれと言われても、嫌です。

キャンプやプレシーズンマッチが終わり、始動して2ヶ月程経った3月中旬、ハードなプレシーズンを乗り越え、とうとうJ3リーグが開幕した。ザスパの開幕戦はアウェイの福島ユナイテッドFC。プロになって初のJリーグ開幕スタメンを飾る事が出来た。結果は、先制したものの、逆転負け。悔しい開幕戦となった。
第2節のホーム開幕戦、ブラウブリッツ秋田戦は完封勝利を収めたものの、そこから勢いは続かず、開幕5試合で勝点4という、J2昇格が最低限のミッションのザスパとしては非常に厳しいスタートだった。俺もこの成績だといつスタメンを外されてもおかしくないなと感じていたし、厳しいチーム状況を変えることの出来ない自分の実力に、悔しさを感じていた。

6試合目の藤枝MYFC戦から、メンバーも大幅に変わり、若手が沢山試合に絡むようになった。俺も変えられるかなと思ったけど、布監督、シュナイダーコーチが信頼して起用してくれて、スタメン出場が続いた。その試合で、2-1で逆転勝利をすると、そこから7試合負けなしで、昇格争いに絡んでいける順位になった。

3連敗もあったりしながらも、途中加入の選手達が流れ良くしてくれて、コツコツ勝点を重ね、夏の中断期間までには充分に昇格を狙える勝点や順位となっていた。
中断期間には草津温泉でキャンプを張り、いい雰囲気でシーズン中盤、終盤戦に向かって行けたと思う。
中断明け後、FC琉球は首位で少し抜けてたものの、鹿児島ユナイテッド、アスルクラロ沼津、ガイナーレ鳥取、そしてザスパの4チームで2位を争っていたと思う。
俺もコンディションが良く、今考えたら満足出来る様なプレーではないけれど、若かったしノリノリでプレーしていた。どんどんシュート打ってこい、ファインセーブしてやる、目立ってやると、めちゃくちゃ調子に乗っていた。でもその時はそれで良かったんだと思う。自信もついたし、J3なら俺がNo. 1GKだろうなと、自意識過剰にまでなっていた。実際群馬のメディアにも取り上げてもらっていたし、チームの公式のイベントや露出にもドンドン使われてたと思う。お調子者ですねぇ…みんなそんな事を思う時期もあるでしょう

MOMに選ばれて米をもらった時
寮に贈呈したので、多分ほぼ食べてない
ザスパの勝利時のイベント
草津温泉の湯もみ
この試合は人生で1番良かった試合
この試合後から調子に乗る


群馬で困った事と言えば、春先や秋口のとんでもない風の強さ。通称『赤城おろし』である。
ザスパの試合をよく見る方は知ってると思うけど、ピッチのエンドはよく変更するし、スタジアムを彩るスポンサー看板や横断幕も、強風の為に撤去される事がよくある。
風下だと、ゴールキックやパントキックがハーフライン越える事はまず無い。真ん中に蹴るとピンチになるので、なるべく奥へ飛ばして、サイドラインを割ってスローインになる様なキックを狙っていた。
風上では軽く蹴っても相手陣地の深い所まで飛んじゃうので、加減が難しかった。あんまりキックが上手い方ではなかったので、よく観客からため息とか聞こえたけど、風強くて難しかったんだって!と伝えたい。笑
まぁ普通にキックミスをして、タッチラインを割ることも多かったけど。
あとは、夏の異常な暑さ。6月から9月まで、サッカー中生きた心地がしなかった。
40度近い中で練習をする。朝早くから練習したけど、すでに非常に暑い。試合もナイターだったけど35℃前後あったし、正田醤油スタジアムはなんか蒸し暑く感じる。ドヨーンとしてる雰囲気というか、なんかわかりますかね?
両親が6月下旬に札幌から遊びに来てくれたけど、親父は汗が止まらなく、Tシャツを何度も取り替えていた。富岡製糸場に3人で行った時も、道産子の俺らには暑すぎて、全部見ずに途中リタイアした。

そんな感じで時は過ぎ、シーズン終盤戦を迎えた。第30節のアウェイFC琉球戦。琉球は勝てばJ2昇格だった。観客も8000人程入り、異様な雰囲気だった。ザスパもここ10試合で7勝2分1敗と昇格に向けて好調だったので、負ける訳にいかなかったし、むしろ勝てると思っていた。結果は序盤から失点を重ね、2-4で敗戦。目の前で昇格を決められてしまった。
屈辱的だった。でも目を逸らさず、FC琉球のセレモニーをこの目でしっかりと見てやろうと思い、ロッカーに戻らず、スタンドの下からその光景を目に焼き付けた。
俺らもこのセレモニーを味わいたい、群馬の皆様もJ2昇格の喜びを分かち合いたいと思った。この悔しさを残り4試合にぶつけてやろうと強く思った。

ホームで行われたガイナーレ鳥取戦は3-3で引き分けたものの、同じくホームで行われたギラヴァンツ北九州戦には1-0の勝利。
残り2試合はアウェイの藤枝MYFC戦とホームでのYS横浜戦。2連勝すればJ2昇格の望みはあったが、勝点を1つでも落とすと、昇格の夢が絶たれる。昇格の為には何がなんでも2連勝する事が必要だった。

運命のアウェイ藤枝MYFC戦。ザスパのサポーターも沢山駆けつけてきてくれて、アウェイスタンドを埋めてくれた。全員の思いは『J2昇格』のみ。クラブ全体で昇格の切符を取りに行った。
結果はデザインされたセットプレー1発に沈み、0-1で敗戦。J2昇格の希望が絶たれた。
頭が真っ白になった。布監督をはじめスタッフ陣、奈良社長をはじめとするフロント陣、選手達とサポーター、スポンサーの皆さん全員の目標が絶たれてしまった。
全試合フル出場してた俺は、責任をとても感じていた。プロになって初めてJ3とはいえど、スタメンとしてシーズンを過ごし、充実していた年。個人のパフォーマンスも、その時の自分にしては出来過ぎなくらいだったと思う。しかし、チームの結果がついてこなかった。シーズンを通して、あの場面でセーブしていたらとか、あと1センチ届いていたらとか、後悔ばかりしていた。

最終戦のYS横浜戦も、チーム、俺個人共に良くなくて、2-2の引き分けで終わってしまった。
ちなみに、この試合でロスタイムにFKを直接決められてしまったんだけど、この時の相手キッカーは三沢直人。京都サンガでチームメイトになり、ロッカーが隣。短い期間だったし、三沢選手が大きい怪我をして、あんまり深く絡む事はなかったんだけど、札幌移籍が決まった時にLINEをくれた。めちゃくちゃいい人だった。この世界にいるとこういう縁がある。特にGKっていうポジション柄、やられた相手の事は絶対忘れないし、相手FWや攻撃的MFの事は大体覚えてる。なので、三沢選手のFKは鮮明に記憶している。

という感じで、J3リーグが終わり、17チーム中5位という成績でザスパクサツ群馬の2018年シーズンが終わった。翌年からは降格救済金としてJリーグから渡されていた分配金も減り、経営規模が縮小。大量の選手が契約満了を通達されていた。実際に契約更新を貰っていた選手も、チームを離れ、翌2019年は前年度からプレーする選手がわずか5人というチームの大幅入れ替えが行われた。
その俺自身も、J1湘南ベルマーレからオファーを貰い、移籍する事になった。
まぁそこからは、湘南編でのお楽しみにしてくれ。

そしてこの年、ある男と知り合った。その名は星原健太。3月に松本山雅からレンタル移籍で加入し、右のWBとしてスタメン定着していた。

詳しくはこちらから


今でも連絡は取り合ってる。4つ上の先輩だけど、あんまりそんな事は思っていない。基本馬鹿な事ばかりしている。2020年のコロナ期間に彼のYouTubeに出て、使えない話を勝手にアップロードされ、俺やチームの確認もないまんま世に出た為、ザスパのスタッフに、結構怒られた。
彼とのエピソードは、ここではほぼ書けない…

平日も練習が終われば一緒にランチに行ったし、寮で食事を共にした後に、ケヤキウォークのスタバが前橋南モールのスタバ、高崎の貝沢のスタバのどこかに行き、2、3時間特になんかするわけでもなく、ひたすらお茶してた。
オフやオフ前日も、ご飯がてら飲みに行ったり、栃木の宇都宮や東京、松本に行って遊んだりと、ほぼほぼ一緒にいた。カラオケに行けば、ジャッキーチェンの映画の歌『英雄故事』『東方的威風』を何度も聞かされたし、毎度のお約束になっていた。家にもよく行って自家製カレーを食べさせられた。岩田もたまに誘った。俺の車でゲップをして後部座席で堂々と寝ていた岩田の事はいまだに許してない。

そんな星原選手も、サッカーになるとキャラが急変し、熱くなる。俺がキックミスや、良くないプレーをすると、訳わからん関西弁で暴言を吐いてくる。言い返すと、面倒な事になるので、フルシカトしていた。サッカーに関してはとても真面目だったね。
まぁこの辺で、星原健太とのエピソードはこの辺で終わり。

星原とのプリクラ。手相落書きは地球初なはず。


他にもザスパ自体、チームのみんなも仲が良かったと思う。大久保選手や、松下選手、坪内選手などベテランの方々が沢山いたけど、皆優しかったので、日頃からいい雰囲気で練習もしていたし、仲良くプライベートも過ごせていたんじゃないかな。

環境面ではまだまだで、練習環境には色々苦労したけれど、そんなのもう慣れっこだったので特に苦じゃなかったし、移動も関東圏という事もあり、全然大した事がなかった。昔のあのバス移動の経験が生きてくれた。

そして最後にザスパのサポーターについて書きたいと思う。ザスパサポーターは熱い方が多く、負けるとすぐブーイングが飛んできた。そうではない方も沢山いたけれど。でもゴール裏からは厳しい言葉を浴びせられ、言い合った事もあった。でも、クラブに対する愛はそのくらい熱いモノを持ってる方が多いと感じたし、実際に俺らの背中を押してくれたと思っている。
岡山や讃岐では、ブーイングを経験した事が無かったし、厳しい事も言われた事が無かったけど、ザスパで初めてブーイングを経験して、これはこれで好きだった。
うるせーよ!って思う事もあったけれど、負けた試合で、拍手されて励まされるより、ボロカス言われて、ブーイングされてる方が俺には合ってると感じた。
試合終盤のチャンスでの
『草津!草津!草津』
の大音量の声援は、絶対に何か起こしてくれるんじゃないかと感じるコールだった!
他にも、サッカー選手として初めて松原修平チャントを作ってもらえた。この人達に認められたんだと思うと、感慨深かった。またどこかで聞けたら嬉しいな。
1年でお別れする事は辛かったけど2年後、戻ってきた時に、沢山の方におかえりの言葉を頂けたり、21番のユニフォームを沢山着てる人が居て、とても嬉しかった。

まぁそんな感じで1年が終わり、初めてJリーガーとして、シーズン通して試合に出るという事が出来た。GKは1年通して試合に出る事で、色々な所で評価されていくんだな、この年のオフシーズンで感じる事が出来た。やっぱりなんていうんだろう…契約交渉だったり、世間や代理人間、クラブ間の評価だったりね。あとはプレー集などがネットに出ていくのも、シーズン通して試合に出ているからだとか感じた。いくら良い選手でも、プレーがわからなければ、評価されないしね。実際に2018年のJ3リーグで各チームのレギュラーだったGKが、2022年シーズンに、J1クラブでプレーしている選手が何人かいる。
鳥栖のパクイルギュ選手、清水の永井選手、浦和の牲川選手。そして当時ガンバU-23でプレーしていた現湘南の谷選手もこの年J3リーグでプレーしていた。福岡の永石選手もセレッソU-23で対戦したと思う。他にもいるかな?居たら教えてー!漏らしてたらごめんなさい。古い記憶なもんで…
この世界は一瞬で上にも下にも行く所だし、厳しい世界だと思うけど、こうやって同じ時期に同カテゴリーでプレーしていたライバル達がJ1という舞台で活躍してるのは、とても刺激になる。
今、J3やその下のカテゴリーでプレーしてる選手達の希望となる存在に、自分自身含め、なっていく責任があるんじゃないかと思っている。
大きなお世話かもしれないけれどね…笑

そして2019年はとうとう、自身初のJ1への舞台に挑戦していく事になる。


これにてザスパクサツ群馬2018編終わりです!
まぁまだ書けるけど、長くなりまくってるので、この辺で終わらせときます。
いやー色々あったけど、この年が1番サッカー選手として楽しかったかもと思っています。
J3とはいえど、色々注目されて、地方のテレビにも出れて、充実していました。
調子にも乗ってたし、イケイケで、ビックマウス的な発言もしてたはずです。翌年に、圧倒的な実力差を感じ、メンタルもフィジカルもコテンパンにやられる事なんか、この時知る由も知らずに…

また湘南ベルマーレ編を楽しみにしててください!

以上あざっしたー!

シーズン最終日の練習にて
シーズンスタートの時の決起集会の時


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?