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湘南ベルマーレ編

湘南ベルマーレ


今回は、プロサッカー選手になってから初めて経験したJ1クラブの湘南ベルマーレに所属した2019年シーズンの時の事を書きたいと思います。レベルの高さや、湘南スタイルへの戸惑い。その時感じた事を思い出しながら作っていきたいと思います。



2018年の12月上旬。ザスパクサツ群馬でのJ3の最終戦を終えてから数日経ち、来季の契約更改についてクラブと話し合いをしていた。クラブからの評価や来シーズンの編成などについて説明してもらい、俺からもクラブに対して様々な要求などを話した。このシーズンから代理人(仲介人)の野村豊幸さんと契約していたので、1度クラブと話してからの交渉は代理人に任せる事になった。勿論代理人とは日頃から親密に連絡を取り合っているので、俺の心情や希望する事なども伝えてるし、契約交渉も全部任せている。クラブに対しての要求や、金額面の交渉、その他諸々あるけど、基本的には全てやってもらっている。本当にありがたい。

最終戦から1週間程経ち、オフシーズンという事もあって、ザスパの中の希望選手でC級ライセンスを所得するために毎日指導実践や講義、レポート作成などに励んでいたとある日、代理人から連絡があった。J1の湘南ベルマーレの獲得リストに入ったとの事。飛び上がるほど喜びたかったが、オファーもまだ来ていないし、ダメだった時に落ち込みそうだったので、ほどほどに喜んだ。
とは言っても、多分近くにいる人だったらわかるが、こんな性格をしている俺なので調子に乗ってたでしょうね。本当にわかりやすい性格をしてると思う…
その連絡から数日経ち、元チームメイトやお世話になった方に会いに岡山に遊びに行っていた俺は、元岡山の清水慎太郎と知り合いの方と、よく通っていた焼肉『一番館』で食事をしていた。美味しい塩タンを食べている最中、代理人から連絡が来て、正式に湘南から正式オファーが来ましたとの報告を受けた。詳細はこれから詰めるとの事だったんだけど、もう嬉しくてしょうがなかった俺は、
『行きます!』
と返事をした。何も条件面も決まっていないのにだ。とにかくJ1という舞台に行きたかったし、悩む事は無かった。そして話は進み、湘南の強化部と会うために、3日後に岡山から始発の新幹線に乗り、高崎駅に戻り、自宅に戻って急いでスーツに着替え、もう1度高崎駅に向かい、約束された場所へ急いで新幹線に乗り、ギリギリで集合場所についた。
そして契約を済まし、正式に湘南ベルマーレに加入が決まった。

勿論ザスパに愛着もあったし、1年間スタメンとして試合に出させてもらい、翌年も必要としてもらったので、申し訳なさもあったけど、2カテゴリー上のクラブからオファーが来たら、正直行きたいと思うのがサッカー選手だと思う。ザスパには迷惑をかけたけど、ベルマーレで活躍して注目される事が恩返しになると思ったので、こいつはザスパで花が開いたんだよと言われる様に頑張ろうと思った。布監督には申し訳なかったし、スタッフ陣や奈良社長をはじめとするフロントスタッフ陣にも沢山お世話になったので、寂しさもあったけど、皆さんが頑張ってこい!活躍してこい!と背中を押してくれたので、とても嬉しかったし、いつかまた群馬で会えたらいいなって思っていた。
再び仕事を一緒にするのは1年後…笑

俺が湘南ベルマーレからのオファーを即決した理由は3つある。まずはJ1クラブからのオファーってのが1つ。2つ目は、チョウキジェ監督の作り上げる湘南スタイル。DVDとかで話題だったけど、ロッカーでのミーティングなどとても興味があった。そしてそこまで資金力はめちゃくちゃあったクラブではないと思うけど、戦力が引き抜かれてもJ2をぶっちぎりで昇格し、J1に残留し、ルヴァン杯優勝など、素晴らしいチームを作り上げる監督はどんな人なんだろう、どんなチームなんだろうと思っていた。そして3つ目はGKの2人。秋元陽太選手と富居大樹選手の存在があった。
秋元選手は、身長も同じくらいで目指すGKスタイルとして愛媛FCにいた頃から勝手に目標としていた。シュートストップやプレーにパワーや迫力があり、俺が目指すべき所は秋元選手なんだと思っていた。よくプレー集も見ていたし。
富居選手は元々ザスパで活躍していて、モンテディオ山形に移籍をし、ベルマーレに来た選手。ザスパの元守護神だったという事もあり、勝手に意識をしていた。そして元々ザスパから強豪チームに移籍をしてステップアップしていったという選手なので、そこもまた勝手に意識し、親近感が湧いていた。
早く2人と練習してみたかった。理由はそんな感じかな。

入団が12月のクリスマス前に決まり、湘南のスタッフと連絡を取り合う中で、まず体脂肪率を落としてほしいとの要望があった。ご存知の通り、太りやすい。ファジアーノからカマタマーレ行く時に何か変えなきゃと思い、3、4キロ落とし、ザスパに行ってもほぼその体重でキープしていた。
がしかし、ベルマーレは12%以下がマストだったので後3〜4%落とさなければならず、始動まで残り3週間程度だったので、北海道に帰らず、年末年始のオフシーズンに地元やユースの仲間と会う事もなく、家族や親戚に会う事もなく、群馬に残りただひたすらにダイエットに励んでいた。
1人で大晦日を迎えたのも初めてで年越しも初めて。勿論年越しそばなんか全く食べていない。ベルマーレのスポンサーのライザップのスタッフの方から栄養指導を受け、毎日毎食のようにサラダとサラダチキン、卵やプロテインなど、高タンパク低脂質低糖質の食事を摂り、毎日筋トレとランニングなどを休み返上でこなしていた。
始動の日までには12%を1%ほど下回れなかったものの、2、3週間で3%ほど落ち、2月に入る頃には12%を切るようになっていた。その頃から体脂肪計によって前後するけど、体重は2021年までほぼ継続し、2022年現在は、コンサドーレがGKも積極的にビルドアップに参加し、練習もフィールドプレーヤーとこなす事が多いので合流して半年後には更に2〜3キロ減った。
そう考えると岡山時代は情けないなぁと思ってるしプロ意識が全然低い!だからこその契約満了だったのだと思う。

体脂肪を落とすためにひたすら頑張ったシーズンオフを終え、ついにチームの始動を迎える。
そして初日から衝撃を受ける。

シーズン初日から何日間は、大体のチームは有酸素運動を中心に徐々に、身体を起こしていく作業をしていく。ボールを使わずに走るチームもあるし、初日からボールを使ってコンディションを上げていくチームもある。ベルマーレはどちらかというと後者なんだけど、そのスピード感が全然違った。
初日からゲーム形式のトレーニングもするし、縦パスどんどん入れて、ガンガンスプリントしていくし、ミスを恐れずに前に向かい、守備の時も判断を迷うと削られる。みんな一心不乱にボールを奪いに飛び込んでくる。もう全く頭も身体もついていく事が出来なかった。
GK練習の方は、秋元選手、富居選手とユースから上がって2年目の真田選手と齋藤コーチの5人で行う。そこでも衝撃を受けた。3人ががやってる動き方やステップワークが、全く出来ない。今度そっちを意識すると、ボールをキャッチするとかGKのプレーの方が疎かになってしまう。GKの構え方からセービング、ステップワーク、何もかも全て0からベルマーレ仕様に作り上げていく作業となった。何度も朝が来て欲しく無いなと、夜になると思うんだけど、疲労困憊だったので、9〜10時には寝てしまい、すぐに朝が来てしまっていた。

毎日2部練習をしてコンディションを上げていきながら、始動して1週間程経ち、福島ユナイテッドとの親善試合を終え、トルコキャンプに向かった。そこでも心も身体も追い込まれる事になった。
GK練習の方は少しずつついていけるようになったものの、秋元選手や富居選手に比べるとまだまだ及ばない。むしろ比べる土俵にすら立てない。J1で開幕スタメン取ろうって気持ちで入団していたにも関わらず、トルコキャンプが始まった頃にはもうそんな気持ちなんか全くなかった。まずは、この練習に慣れてついていかないといけない。ゲーム形式でも、みんなに迷惑をかけてはいけない、流れを壊したらいけない、ミスをしたらいけないと、マイナスな事ばかり考えてしまっていた。

確かスイスのチームだったかな?そのチームとの練習試合に90分使ってもらえる事になった。結果は3-4。もう俺のせいでしかなかったと思う。1度ミスをして失点してしまってからは、そのミスと失点を取り返す為に、良いプレー良いプレーをしようと考えてた俺は、完全に空回り。するプレーするプレー全て良くなかった。結果的にフィールドプレーヤーが頑張って追いついてくれたものの、最後の最後に壁の作りやポジショニングが甘かった事もあり、直接FKを決められてしまい、負けてしまった。
試合後監督に呼ばれた俺は、色々な事を言われた。
とにかく自分の為だけにプレーするなと言われた。あとは内緒。自分の心の中に閉まっておく。
まぁそんな感じで色々言われた俺は、大号泣していた。27歳にもなる大人が、ピッチ上で人目も憚らず、泣いていた。言われたのが悔しいとか、ムカついたという理由ではなかった。監督に自分の心を全て見透かされた気がしたから。正直、自分の為だけにプレーしていたと思うし、カッコもつけてたと思う。チームの為にプレーしていなかった。チームとしてGKとしてトライしている事に対して全くトライせず、ミスしたくない一心でプレーしていた。今でもそんな時もあるけど…まぁ今は、この時よりは成長している事でしょう。

その日の夜、同部屋の秋元選手に色々と相談し、ベルマーレというチームについて色々話してもらい、様々な事を聞き、このチームでやっていくには何が大事か伝えてもらった。

翌日、試合に出たメンバーは10時位からリカバリーだったけど、早く準備して、9時にはグラウンドに向かい、コーチに練習を付き合ってもらって、昨日出来なかったプレーをひたすら繰り返してやっていた。昨日を引きずってると思われてもいいけど、この現状を変えたい、どうにかしてこのチームのスタイルについていきたい、と感じたからこの朝練に挑んだ。
何が正解かわかんないけど、俺はこのやり方でこれからもやって行こうと思う。


シーズン初めのお寺に行った時かな


約2週間のトルコキャンプが終わり、日本に帰国して、最終調整をしてとうとうJ1リーグが開幕した。開幕戦はホームでの北海道コンサドーレ札幌。無論、俺はベンチ外でスタンドからの観戦。自分のルーツのクラブとの対戦に、普通はウキウキして楽しみにしてると思われるけど、この時はそんな余裕もない。むしろメンバーに入れるとも思っていなかったし、自分の事でいっぱいいっぱいだった。それでもチームの為に、常に明るく振る舞って、勝てる様に自分なりに頑張った。
結果は2-0。勝利して嬉しかったけど、初めてJ1の試合の当事者として味わってみると、まだまだこの舞台には立つ実力が無いなと感じていた。

リーグ戦と並行して行われたルヴァン杯では富居選手がスタメンだったので、何試合かベンチに入り、公式戦を体感することが出来たけど、サブ組中心のカップ戦も出場する事が出来ないのかと、とても悔しかった。まぁそれでも試合に出てやっていく自信はなかったんだけど。

そんな自信のない中でプレーしていく中でも、コンディションとメンタル面が徐々に慣れてきて、4月半ばのリーグ戦、ホーム松本山雅戦と、アウェイ川崎フロンターレ戦にメンバー入りさせてもらう事になった。特に最初の松本山雅戦の前は、脇汗止まらない、足の震えが止まらない中で試合のウォーミングアップを迎える事となった。いつまで経っても緊張しいなのだ…
アップが始まったら汗もかいてきて、少しずつ緊張が解けて、周りを見る余裕が出来た。スタンドやピッチサイドを見渡すと、サポーターの数やメディアの数もカップ戦と大違いでこれがJ1のリーグ戦なんだなと感じ取る事が出来た。また1歩前に進めた気がした。
ベルマーレは今やってるか分からないけど、スタメン組がアップの最後にステップからダッシュのメニューをこなす時、ゴール裏やスタンドから拍手が沸き起こる。その時の雰囲気が大好き。京都サンガでもやっていたけど、ここから選手もサポーターも試合に向けて戦いに行くんだ、という雰囲気を作り上げてく拍手が大好きだった。
あとは選手紹介で、選手のキャッチフレーズからの選手の苗字までDJのロンドさんが叫んだ後に、下の名前をスタジアム全体でコールしてくれるのも大好き。初めてコールされた時は、みんな俺の事、しゅーへー!ってわかるかな?と、心配にもなった。まぁそんな心配はいらなかったけど。
試合は1-1のドローだったかな。内容は全然覚えてない。ただとにかくアップも何もかも全力でやった記憶はある。
続くフロンターレ戦は、初のアウェイ戦。金曜なのにパンパンに埋まったスタジアムを見て、うわ!これがチャンピオンチームか。これが川崎かと。こういう舞台で試合には出れないものの、大声援を受けてピッチでウォーミングアップをしてるだけで、興奮が止まらなかった。試合は負けてしまったし、悔しかったけど、ずっと興奮し続けていた。

がしかし、そこからメンバー入りも続かず、またスタンドやテレビで応援する機会が増えていった。でも俺の中では1度公式戦を近くに感じた事で、明確な目標も出来たし、絶対に絶対に届かない場所でもないんじゃないか、と思う事が出来たし、日頃のトレーニングでも自分とJ1の差というものが分かった事によって、モチベーションを落とさず、むしろアゲアゲでトレーニングに励んでいた。

すると7月頃から怪我人も出たので、再びメンバー入りのチャンスが来た。天皇杯では敗れたものの、リーグ戦は7試合連続でベンチに座る事が出来た。チーム自体も調子が良く、残留争いから何歩も抜け出し、この調子でいけば上位争いの方に顔を出していけるんじゃないかという順位まで来ていたと思う。

そのリーグ戦の間の中で行われた、昨年のルヴァン杯を優勝した事によって出場権を獲得した、南米のカップ戦王者と対戦する試合に、スタメンとして出場させてもらえる事になった。
ベルマーレでのデビュー戦でもあり、唯一の試合だ。相手はブラジルのクラブ、アトレティコパラナエンセ。パラナエンセの印象としては、Jリーグで活躍するブラジル人が昔所属していたイメージ。よく選手名鑑のブラジル人選手の欄に書いてある印象だった。とりあえず強いんだろうな、と思っていたし、とにかくガムシャラにぶつかろうとしか考えてなかった。
Jでやってるスピード感や感覚と違うぞ!とミーティングで言われた気がするけど、そもそもJ1も 出場無し、J2も1試合しか出場した事ない俺は、そんな感覚もイメージも無かったので、手を挙げてそんな事言われてもわかりません!って言いたかったが、そんな訳にもいかず…笑 
まぁとにかくやるしかないし、分からない相手に緊張しても仕方ないと思っていた。

試合前日から当日の昼までは、意外にリラックスして過ごせた。クラブハウスに集合してからは、多少は緊張や興奮もしてたけど、GKが不安そうな雰囲気を出していたら、チームに良くない雰囲気を持ってきてしまいそうなので、なるべく色々な人と話したり、キメ顔を作ったりして、周りに影響を与えないでおこうと思った。
ウォーミングが始まり、とにかく自分の事に集中しながらも、少し余裕を持ちたいという事もあり、スタンドや相手チームの様子も伺いながらアップに励んだ。一応ベルマーレのホームだけど、アップの時間、スポンサー看板、場内のアナウンス、音楽、相手サポーター。雰囲気はいつもとちょっと違っていた。なんか独特の雰囲気だった気がする。少し戸惑ったものの、この試合は後輩の真田選手がサブだったという事もあり、先輩の俺がフワフワしたらいけないと思っていたので、ドシってしておこうと思った。
まぁでも雰囲気に飲まれる事なく、アップが進み、最後に齋藤GKコーチに、気合のビンタの闘魂注入してもらい、アップを終え、試合に臨んだ。

試合はというと、終始パラナエンセペース。始まって10分位で、あーこいつらやべーな、めっちゃ強いわと感じていた。前半はなんとか持ち堪えていたけど、終了間際に失点。後半も修正出来ず、0-4でなす術なく敗戦してしまった。めちゃくちゃ強かった。今、俺はJ2も経験したし、練習試合でJ1のクラブとも沢山試合してきたけど、現時点でも1番強いと思ったチームだった。試合の時に感じた事は沢山あるけど、1番感じたのが、相手FWや攻撃的な中盤の選手がいつもゴールを見てる事。いつも以上に、色んな相手選手と目が合う回数が多かった。常に見られてると思うと、少しポジションがおかしいと、シュートを打たれる気がするし、積極的な位置の高いポジショニングが全く取れなくなってしまう。不安そうな顔や、コーチングが途切れたりしてしまうと、つけ込んでくる感じもあった。本当に、精神的にも肉体的にも疲れてしまった。試合後あんなにグッタリしたのは初めてだった。

アトレティコパラナエンセ戦
試合中。

この試合からすぐ、またリーグ戦のアウェイでジュビロ磐田と対戦。この試合もまたベンチ入り。そして試合当日は27歳の誕生日。逆転勝ちを収めて、最高の誕生日になった。
はずだった。

その試合の後、皆さんが報道で色々目にした事があると思うけど、俺はここでは話すつもりはない。あくまで俺のnoteなので。

その後、高橋健二コーチが代行監督になり、秋には浮島敏さんが正式に監督就任となった。

俺はというと、ホームでのサガン鳥栖戦を最後にメンバーにすら入れなくなった。チームも中々勝てず、残留争いに巻き込まれた。本当にチームが苦しい時に、近くで支えたり力を貸すことができず、周りの皆にただひたすら頑張ってもらってベルマーレをJ1残留を願うだけだった。勿論練習はずっとずっと頑張っていたし、なんとか試合に絡んで行きたかったけれど、自分の不甲斐なさ、能力の無さ、メンタルの弱さが仇となって、絡んでいけなかった。

とは言っても、チームのみんなとは仲良くさせてもらってたし、苦しんでるのもわかってたから、クラブハウスやピッチの上、プライベートでは、常に明るく、全力で、誰とでも分け隔たりなく喋り、たまにはバカになったりしながら過ごす事を意識した。どうにかしてチームの力になりたかった。

そしてリーグ戦を16位で終えてしまい、J1.J2入替戦に回る事になった。相手は徳島ヴォルティス。ホームで引き分け以上という形上、有利な戦いではあるけれど、全然そんな事は無いと思う。当事者ならわかるけど、本当に難しい。今年の入替戦を見てても思った。
先制されたものの、なんとか追いつき、ドローで試合終了。J1残留となった。
試合後のみんなの涙には、とてもグッとしたものがあったし、スタンドで見てた俺には到底分からないプレッシャーもあったと思う。けどそれをチームで乗り越えてJ1残留した湘南ベルマーレを誇りに思った。
そして、秋元選手、富居選手2人共が、J1のリーグ戦で良いプレーをして、チームを後ろから支え続けたのは、とても刺激になった。一緒に練習してたベルマーレのGK、2人のどちらが出てもリーグ戦で結果を残せる。だからそこに割って入っていける選手になりたいと、心から思ってた。誇らしくもあり、悔しくもあるけど、そんな素晴らしい先輩GK2人と、若い真田と4人一緒に乗り越えた2019年シーズンは、忘れられない。

そしてチームの活動が終わり、オフシーズンを迎えた。単年契約だった俺は、延長のオファーを貰う事が出来た。来年もJ1クラブで厳しい立ち位置に置かれてるけど、ベルマーレは練習でやり続けてたら必ずチャンスは来るクラブだと思っていたので、頑張ろうと思っていた。

そう思う反面、J2クラブでの試合経験がなかった俺は、まずJ2のクラブで試合に出て、経験を積み、市場価値を上げてこの世界に残りたいと思っててもいた。J1クラブのファースト、セカンドGKの経歴を見ても、やはりJ1やJ2リーグでシーズン通して試合に出ているGKが多く、そこに割って入るためには、まずJ2での実績を作りたい気持ちがあった。

代理人の方には、翌年もベルマーレに残ってプレーしたい気持ちもあるし、今後も考えてJ2クラブに移籍して実績を積み上げたいとの両方の意見を伝え、このオフシーズンのストーブリーグに挑んだ。迷惑な選手のリクエストだと思うけど、快く承諾してくれた。

結果、2019年にJ3で2位となりJ2に戻ってきた強化部やスタッフ陣も一新された、新生ザスパクサツ群馬から獲得オファーが来た。


と、ここからは群馬編2020-21年編にて続きを書きます!
1年間濃すぎた経験をしたし、チームがいい時も悪い時も経験し、俺個人としても、すごく波があったシーズンとなりました。
湘南ベルマーレで学んだ事は、チームプレーの大切さ、本気で全てをぶつけ合う集団の強さ、練習のスタートから、いやスタート前の準備から100%で挑み、全力をお互いに出し合う大切さを学びました。
このシーズン、秋元選手や富居選手、その他にも沢山の選手から多くを学びました。
練習の2時間半前に行く様になったのもこの時からです。全てを変えました。これからもこのスタイルを変えるつもりはありません。2019年の湘南スタイルを心の中の1つに刻み、これからもサッカー選手を頑張りたいと思います。
今回も見てくれてありがとうございました。

感想をコメント欄やTwitterに書いてくれると、書く甲斐があります!応援、批判なんでも受け付けます。ただし、この記事に関係する事でお願いしますね。笑

以上、あざっした!

毎年、プロレスラーをモチーフにプロフィール画像を作ってくれる瀬戸さん。
この歳は中邑真輔選手。
毎年作って頂いてます。
ハロウィンパーティーで、急遽呼ばれた俺は近くデパートでスポブラを買って着替えて行った。
浅尾美和です。アウトです。
選手のお子さんたちが、近寄って来ませんでした。

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