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【ホラー連載】 ココカラダシテ 第六顔

これまでのできごと
・ 2019年7月23日 19:11
 陳野洋平は嘔吐した。
・ 2019年7月19日 22:25 水原恵は失踪した。
・ 2019年7月23日 21:18 角田雅彦はタクシー運転手だ。
・ 2004年8月8日 20時頃 宮司東太は姿を消した。
・ 2019年7月23日 22:34
 夏野美咲は死んだ。

 雨が降っていた。

「あ……れ?」

 陳野洋平(つらのようへい)が目を覚ますと、そこは闇の中だった。「え……?」真っ暗な雨の中、ただ独り、佇んでいる。

2019年7月24日 02:01

「俺……いったい……?」

 降り続ける雨が体を濡らしている。「なんで、俺……?」洋平は膝からくずおれた。なんだ? なんで? ここはどこ? 記憶がない。自分の状況が、まるで理解できない。

 遠くで車の音が聞こえた。車の照らすヘッドライトの明かりだろうか。一瞬、闇に光が差して、眼前に古い井戸が見えた。

「あ!?」

 その瞬間、洋平の中で何かが弾けた。「うう……」頭を抱える。脳裏にチカチカと、明滅しながら光景が浮かびあがってくる。

「なんだよ……これ……」鮮明なビジョンだった。夜の闇の中、何かを引きずりながら進む主観視点での光景……この視点、この光景は……「俺、なのか……?」

 荒々しい呼吸の音が聞こえる。「俺は何を……?」そして視点は振り返る。その手で引きずるモノを、確認かのするように。「……え?」洋平は震えた。

「そんな……そんなはずは……」振り返った先、そこには冷たく固まり、動くことのない体が……「なんで!」

 美咲だ。

 洋平は頭から血を流した美咲の体を引きずり……「なんで……なんでだよ……!」裏庭の林の中へと……「美咲!」朽ちかけた井戸の前まで来た洋平は……「嫌だ……!」美咲の死体を抱え上げて……「なんで!」井戸の中へと……。

「美咲ッ!」

 洋平は立ち上がり、井戸の縁を掴んだ。「そんな……美咲ッ!」覗き込む。「美咲ッ!」声が虚しく反響する。井戸の中。そこにはただ、夜の闇よりも深い、昏い闇だけがあった。

 底知れない、闇だ。

「はは……」洋平は頭を振った。「夢だ……」瞳から、ぽたぽたと涙が零れて落ちていく。「夢だ……これは夢だ……」井戸の縁に拳を叩きつける。「夢だ……夢であってくれ……」何度も、何度も。「夢であってくれよ……ッ! こんなの……こんなの嫌だよ……!」

 雨は降り続けている。洋平は嗚咽とともに、胃液を吐いた。ぼたぼたと垂れ落ちる胃液。それとすれ違うように……井戸の奥から白い腕が伸びてきて、洋平の顔を優しく包み込む。

「かわいいようちゃん」

 そして洋平は井戸の中へと飲みこまれていった。

2019年7月24日 02:26

「う……ううっ……」

 目を開けるとそこは深い……深い闇の中だった。打ちつけられたように全身が痛む。「うぅ……」洋平は体を起こした。ぴちゃぴちゃと水音が、暗い空間に響いている。水が踝ぐらいの高さまで張っていた。

「井戸……。井戸の中!?」

 咄嗟に胸元を探る。震える手でスマホを取り出し、ライトを点けた。

「あ……」

 見たくはなかった。「ああああ……!」照らし出したその先。目を見開き、苦悶の表情で固まった……

 美咲の顔。

「そんな……!」美咲の体は半分水につかりながら、仰向けに横たわっている。

「嫌だ……こんなの嫌だ……」その体は捩じれるように不自然に曲がり、その見開かれた目はこちらを向いている。「うああ嫌だ……美咲……ッ!」

 ゴッ。ゴゴゴ。ゴウン。
 ゴッゴゴゴ。ゴウン。

「よーちゃん」
「え……?」

 美咲は洋平を見つめている。
 美咲は、洋平を見つめている。

 その捩じれた手が、足が、びちゃりびちゃりと水音を立てながら、ゆっくりと動き出した。「は……?」

「よーちゃん」

 仰向けのまま、びちゃびちゃびちゃ……水音を立て、昆虫のように四肢を動かし、美咲は洋平へとにじり寄った。「うわああああ!」洋平は叫んだ。その足を、美咲の冷たい手が握りしめる。

「ねえ……なんで、私を、殺した、の……?」
「違う! 俺じゃない……俺はやっていない!」

 振り払うように後ずさる。

「洋平くん……」

 右腕を、誰かが掴んだ。

「え……」

 洋平は右腕を見た。腕を掴んでいる……水面から伸びる小さな白骨が。「洋平くん……」ボコリ。水面が揺らぎ、子どもの骸骨が浮かび上がる。「返してよ……」洋平は喘いだ。「あああ……!」「洋平くん……返してよ……」

 骸骨が顔を上げ、洋平を見つめる。

「僕の顔を……返してよ……」

 そこには、何もない。顔があるべき場所には何もない。虚ろに、暗い闇だけがぽっかりと浮かんでいる。

「返してよ……僕の顔を……返してよ……洋平くん……」
「違う……俺は知らない! 俺はお前なんて知らない!」

 ゴッ。ゴゴゴ。ゴウン。
 ゴッゴゴゴ。ゴウン。

「洋平……」
「うあぁぁあ!」

 左腕が捻じあげられた。水の中へと引きずり込むように、水面から骸骨が浮かび上がってくる。「うわあ……!」洋平は振り払おうとした。そして「あ……」固まった。その骸骨が身に付けている朽ちかけた服……それには見覚えがある。

「親父……? なん……で……?」
「お前だろ……」
「え……」

 骸骨は冥いがらんどうの目で、洋平を見つめていた。

「すべて、お前がやったことじゃないか……」
「ち……違う! 俺は何もやってない!」

 ゴッ。ゴゴゴ。ゴウン。
 ゴッゴゴゴ。ゴウン。

「陳野くんさぁ……」

 どさり、と冷たい何かが洋平の背にもたれかかった。

「うあああ……」

 洋平の顔を覗き込むように、青白い顔が右肩に頬を載せている。その顔は口を開け、だらしなく舌を出して、瞳孔は斜めに傾き固まっている……それは……。

「水原課長……なんで……!」

 ゴッ。ゴゴゴ。ゴウン。
 ゴッゴゴゴ。ゴウン。

「よーちゃん……」
「洋平くん……」
「洋平……」
「陳野くん……」

 死体が、骸骨が、洋平の体を掴みながら、にじり寄ってくる。洋平は慄き、喘いだ。

「俺じゃない。俺は何もやってない!」

 だから、許して!

「かわいいようちゃん」

 声にならぬ叫びをあげる洋平を見下ろすように、ぼぅっと、闇に白い顔が浮かび上がった。「あああ……!」記憶にはない顔だ。しかし、その名前だけは……怖気立つ恐怖とともに、なぜかわかってしまう。

「……エミリ」

 白い顔は笑った。

「お顔は大切にねえ」

 洋平は泣いた。
 目をつむり、拒否するように顔を振り続けた。

「もう……やめてくれよ……」
「お顔は大切にねえ」
「もう……許して……」
「お顔は大切にねえ」

 少しずつ、白い顔は迫ってくる。

「なんなんだよ……お前ら……もう……やめてくれ……やめてくれよ……」
「お顔は大切にねえ……」

 近づく白い顔の冷たい吐息を、洋平は感じた。

「かわいいねえ……かわいいようちゃん」

「え」

 洋平は、はっと顔を上げた。白い顔が揺らぎ、その奥から……白いしゃれこうべが浮かび上がった。しゃれこうべは再び言った。「かわいいようちゃん」

「あ……?」

 その声には、聞き覚えがあった。

「洋平……」

 左腕を掴む父親が、そのがらんどうの目で洋平を睨みながら言う。「すべて、お前がやったことじゃないか……」

「あ……ああああ……」洋平は喘いだ。記憶が弾けた。幼き日々。「かわいいようちゃん」そう言って、洋平の頭を優しくなでる女性。それは……。

「お……母さん……?」

 骸骨がもう一度言った。

「すべて、お前がやったことじゃないか……」

 ゴッ。ゴゴゴ。ゴウン。
 ゴッゴゴゴ。ゴウン。

「よーちゃん……」
「洋平くん……」
「洋平……」
「かわいいようちゃん……」

 死体が、骸骨が、洋平の体を掴み、にじり寄ってくる。「あ……ああああ……そんな……そんな……」洋平はその冷たい感触に震えた。

「陳野くんさぁ……」

 耳元で嘲笑うように、水原恵がささやいた。

「エミリなんて、最初っからいなかったじゃない」

続く】 

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