日記「とにかく丁寧にやっていく」
時がたつのは早いものだ。
狂乱の季節の到来である……。
当然参加はする……参加はするわけだが!
逆噴射小説大賞、例年はとにかく勢いだけでやってきたわけですが、さすがに四回目(マジか!)となるとそうもいかないなあ、という気分がある。それに進めている長編作品で今は頭がいっぱいだ、ということもある……なので。
応募本数を絞って、丁寧にやっていく。
という感じで取り組んでいきたい。
とにかく丁寧にやっていく
「丁寧にやっていく」というのは逆噴射小説大賞に限らず、今進めている長編(アラガイザル)でも一緒で、とにかく焦らず丁寧にやっていきたい。
結果、以前であれば二か月か三か月もあれば書けたような文量でも、かなーり時間がかかってしまっている。たぶんだけど以前の三~四倍は時間がかかるんじゃないかな。
でも間違いのない手ごたえがある。今までにない「深み」みたいなものが自分のなかで醸成されていく感覚がある。そして「これは僕にしか書けないんだ」という感覚も強く抱いている!
いずれにしても一度、僕はしっかりと腰を据えて書いていく、丁寧にやっていく……ということをやるべきなのだ。天性の素養がある人ならシュパパッて書けてしまうかもしれないけど、残念ながら僕は天才ではない。なので丁寧にやっていくしかない。そして丁寧にやればやるほど、それが小説を書きあげるうえで大切なことなのだとはっきりとわかるようになってきた。
今までは理解していなかったプロットの重要性も、ようやく実感として飲みこめてきた。これは本当に大事。感覚だけで書いてはいけない。初期衝動はしっかりと織り込みつつ、小説として成立させる。読者がどのような印象を抱くのか、どのような体験をするのか。そこをしっかりと押さえていく。今という時代のなかで、自分の作品がどのように位置づけられるのかを考えていく!
ところで藤本タツキの「ルックバック」、どう思いました? もちろんいろいろな意見はあると思うけど、僕は心の底から「あ、この人は本気なんだ」とガツンとやられた気分になった。藤本タツキはマジなんだよ。本気なんだよ。だから当事者からの訴えがあったとき、それすらもしっかり飲み込み消化して、自分の作品を昇華させていくんだよ。趣味レベルを超えたいのであれば……という前提で書くけど、やはり創作で良いものをつくりたいのであれば、どこかでマジにならないとダメなんだよ。そう思った。
「ジョジョリオン」の最終巻を読んだ
読みました。
以下、軽いネタバレもあるので気になる人は読まないでください。
ラスト、ジョジョリオンは「呪いを解く物語」だったのだ! というテーマが鮮明に浮かびあがってきて、すごく感銘をうけ、「おおお……」となってしまった。
以前から書いている通り僕が書こうとしている「アラガイザル(仮)」も呪いをテーマにしている。だから偉そうに書くと、「共通する時代性」みたいなものを感じたというか、僕の描こうとしているものは間違ってないのだなという心強さをもらったというか。読後、作品自体の良さとか余韻も当然ありつつ、同時に、そういう感覚を勝手に抱いて勝手に「よし!」と励まされていた。
ラスボスの能力が「避けようのない災厄」というのもすごく良かった。ジョジョの第三部以降のラスボスは一時停止、早戻し、スキップ、早送り、ダビングと「映像媒体の操作」と関係しているという説があったけど、今回のラスボスはそういう意味では「すでに撮影済みの映像再生」と言えるのかもしれない。結果はすでに確定していて、そこに向かって映像の再生は進んでいく。そしてだからこそ、それを破るには映像表現そのものの外、条理の外側からの一撃しかなかった、というのもすごく納得がいくなぁなんて思ってしまったのでした。
【おしまい】