雑談「知名度をあげる筋肉と漫才の技術をあげる筋肉がイコールではない。」

この度はいいねありがとうございます。

これからもイイネが頂ける文章を書ければと思います。

ということで

今回は「知名度をあげる筋肉と漫才が面白くなる筋肉はイコールではない。」

と思った事について語ります。

というのも

ネタが面白くなれば人気者になれると僕もデビューの頃思ったのですが

最近はそうではないなと思って

知名度をあげる作業と

ネタの技術をあげる作業は

分けて考えないとこりゃまずいなと思ったんですよね。

というのも

ネタでバカクソ面白くなったとしても

お笑いライブや寄席ではある程度の層に支持は受けるも

限界てあるんですよ。

例えば、バカクソ面白い漫才は日本語でかつ肉声でしゃべっているから

アフリカの人も耳が聞こえない人には受けない

というか伝わらないじゃないですか。

では、皆どうするかというと

アフリカの人に伝えたいならアフリカの言葉を勉強しないといけないですよね。

耳が聞こえない人に手話が出来る人が必要になる。

それでやっとその層に漫才の面白さが伝わるわけです。

つまり

これを知名度をあげる筋肉と漫才の技術に当てはめると

知名度をあげる=手話を覚える

漫才の技術をあげる=ネタを作り続ける(仮説)

このように分けて考える必要があるのではないかと

思います。

でも、ここでひとつツッコまれると思うんですよ。。

じゃあ、M-1ファイナリストとかどう説明するのだ。

これも某漫才師を例にあげるとこう分解できるかと思います。

・知名度をあげる= 「ダメ~!」「合体する」とキャッチーなワード作り。

・漫才の技術をあげる = 北海道、長崎、東京と毎年1度単独ライブをする。

「ダメー!」といえば、あの人達しかイメージできないから

漫才を磨くと同時にキャッチーなギャグを世に広めてしまったのだから凄いなと今も思うわけですよ。

M1ファイナリストになってる人てのは

ただ面白いネタを作るだけでないと思うんですよね。

こういった戦略立てたものがないと

ある程度テレビに映えないというのか

ネタで有名になるには

それを含めてネタを考える必要があるのかなと思います。

ちなみに圧倒的に

とにかく知名度をあげたいといえば簡単です。

ニュースになった人のやり方をパクればいいわけで

あとはやるかやらないかは自分の問題だと思います。

お試しあれ。

芸事だけで少しでも食べていきたいです。