「ジョーカー」のジョークと雑感

セリフはこのサイトから抜粋、編集して使っている。
ネタバレがあるので未視聴の方はご注意を。

アーサーの日記に書いてあった文章

I just hope my death makes more cents than my life.

発音の似ている cents と sense を掛けたジョーク。"I just hope my death makes more sense than my life." では、「生きてることよりも死ぬことの方が納得いくもの (理解できるもの) であってほしい」という意味となる。sense を cents として読むと、「生きてることよりも死ぬことの方が稼げるものであってほしい」という意味になる。 (このジョークは当初マレーの番組で自殺しようとしていたこととつながるように思える。)

タイムレコーダーを殴るジョーク

アーサーは職場を出た後再び部屋に戻ってきて、

I forgot to punch out.

といってタイムレコーダーを殴り始める。punch out はタイムカードに穴を開けて帰ること。ここでは punch を上記の意味と殴る punch とを掛けている。「タイムカード押すのを忘れてた」といって部屋に戻ってきて、言葉通り punch し始める、というジョーク。

コメディークラブでのジョーク

I hated school as a kid. My mother would say, "You should enjoy it. One day you’ll have to work for a living." I said "No, I won’t, ma. I’m going to be a comedian!"

コメディアンは職業ではない、ということなのだろうか?これはよくわからなかった。

もう一つコメディークラブで言ったジョーク。

It’s funny, when I was a little boy, and told people I was going to be a comedian, everyone laughed at me. Well, no one’s laughing now.

laugh at は「あざ笑う」という意味。2つ目の文章は直訳すると「今は誰も笑っていない」という意味になる。アーサーがどのような意図でこれを言ったかはわからないが、自虐ネタという可能性はある。それを知ってか知らぬか、マレーは番組で「本当に誰も笑っていないな」とアーサーを馬鹿にして笑う。

ゲイリーを驚かすジョーク

アーサーの前を通る小人症の元同僚であるゲイリーを驚かすシーンがある。これは、人を驚かせてからかう、というジョークなのではないか。(なぜなら「人をからかうのは『面白い』」ということを知っている必要があるから。)

マレーの番組でのノックノックジョーク(Knock Knock Joke)

ノックノックジョークには決まった「型」がある。この「型」についてはWikipediaに解説があるのでそちらを見ていただきたい。劇中のノックノックジョークは以下のようなやり取りだった。

アーサー:Knock, knock. (コンコン)
マレー: Who’s there? (誰ですか?)
アーサー:It’s the police, ma’am. Your son’s been hit by a drunk driver, he’s dead. (警察です。あなたの息子は飲酒運転をしていた車に跳ねられて死にました。)

これは、聞き手はノックノックジョークを期待していたのにただの悲しい会話だった、というオチのジョーク。

マレーの番組でのクリスクロスジョーク (Criss Cross Joke)

クリスクロスジョークはミックスアンドマッチ (Mix And Match) ジョークとも呼ばれるもので、

問:What do you get when you cross ○○ with ✕✕?
答:You get △△!

という形をとる。問の意味は「AとBを掛けると何ができる?」というもの。例えば、

問:恐竜と豚を掛けると何ができる?
答:ジュラシック・ポーク!

といった具合だ。

劇中でアーサーは、

問:What do you get when you cross a mentally ill loner with a society that abandons him and treats him like trash? (孤独な精神障害者と、そいつを見捨ててゴミみたいに扱う社会を掛けると何ができる?)
答:You get what you fucking deserve! (これだ!)

と言ってマレーを銃で撃つ。

通常クリスクロスジョークの you は特定の主体を指さないが、アーサーのこのジョークの場合 you が (マレーを含む) society を指す単語にかわる。さらに、what you deserve ( = 報い) という答えを出した後にアーサー自身の行動でその答えを相手に理解させる。これは、聞き手は具体的で意外な主体 ( = 聞き手) を持つ答えを聞いた後、その内容を身をもって知るというオチのジョーク。

雑感

アーサーには、既存のギャグを復唱するだけではないオリジナリティがあるように思える。特にマレーの番組で披露した2つには定形に当てはめないというメタ的な意外性がある。

自分のジョークが大衆受けしないことをアーサーはどの程度知っていたのだろうか。知らなかったとしたらコメディークラブでやった2つ目のギャグは実際に面白くないが、知っていたとしたらジョークとして成立する。(コメディークラブでのギャグは、ペニーに「あなたは面白くない」と言われた後にやっている。)

アーサーは作中を通して、(意思に反して笑ってしまうことを除いて) 通常の会話では特に問題はなかった。punch out のジョークからも、他人と共通するユーモアも持ち合わせていることがわかる。

ペニーの病室で「私の人生は悲劇ではなくて喜劇だと気づいた」と言っている。また、マレーとの会話で「コメディーは主観的だ」と発言している。最後のカウンセラーとの会話でも、「君には(このジョークが)わからないだろう。」と言っており、自身と他人のユーモアを識別している。アーサーは全体を通じて「ユーモアは絶対的なものである」という認識から、「相対的なものである」という認識に移っていったのではないか。

アーサーがそれぞれの場面で、どこまで自分と他人のユーモアを理解して発言していたのかが気になる。

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