見出し画像

ぶらっくラー麵しょうや~26歳で創業~爆速経営キロク(SYOYA=age3~21)

いつもありがとうございます!

株式会社SHOYAの代表麥田翔也です。
ご存じの方も、ご存じでない方も、実は「SHOYA」は僕の下の名前だったりします!

改めて、SHOYAにお越し頂いている方もそうでない方も、自己紹介ですが、当社は、広島県福山市と尾道市に3店舗のラーメン屋、フルーツサンドの移動販売を経営しています。

お陰様で、広島県の尾道、福山を中心に醤油ラーメンの奥深さを伝えたくて
創業してから多くのお客様や、メディアの方にも紹介してもらえるようになりました。

醤油ラーメン

2014年の創業以来、お陰様でここに至るまで、「無茶だよ」と多くの人をハラハラさせてしまっていたらしく、そんな中でも突き進んで3店舗、従業員28人を雇用するまで拡大できたのは、なんなんだろう?とふと立ち止まる機会があったので、キロクとして残し、(欲を言えば)この想いに共感してくれる仲間に出会える場にもできればと思い、苦手な「note」というものに向き合ってみます笑

明らか「ヤバい」少年だった_age3~10

僕のことを知っている人はわかってくれるかと思いますが、広島県福山市に生を受けた僕は、3兄弟の真ん中として生まれました。
父親はトラックの運転手、母親は保育士をしていて、おばあちゃんが僕を見てくれる、という環境。両親はいつも「好きなことをやれ」と言ってくれて、(ある意味放任主義な)家庭に育ちました。

全然落ち着きがない子供で、保育園から帰ってから遊んでいる時に車で2回ひかれたり、(医者から3回目は死ぬと言われました)小学校に入っても勉強せず、宿題はずっと同級生に代わりにしてもらったり(悪ガキ!)かなりヤンチャな少年時代を送ってきたかと思います。

兄弟は3兄弟、兄、僕、弟、という構成で、兄弟の上下関係がガチっと作られてたので、兄が当然1番上で僕たちは絶対服従…そのストレスをそのまま弟に圧かける(弟よ…)って感じです。
→位置がハマった弟はなんとこのSHOYAの神辺店の店長をしてくれてます!笑

兄の影響で小2からソフトボールを始めてボールを打った時の感触がとても快感でその点が僕には向いていたみたいでドップリハマりました!
夢は野球選手になるでした。

野球、闇落ち、また野球_age 12~age18


中学校に入って、来る日も来る日も野球に打ち込む日々。念願の4番をずっと背負って、中学卒業後は名門校に行って甲子園に出るという目標でやっていました。

ある時、プレイ中に油断をしてしまったのか、右の靭帯を切ってしまい松葉杖生活になってしまいました。
思うように身体が動かないことに苛立ち、スラムダンクのミッチーの如く、ヤンチャ街道に闇落ちしてしまうことになりました。(いや、、、ここでは書けないことも…笑)

荒れ狂う日々でしたが、僕とは真逆に野球の優等生街道を突き進んでいた兄が甲子園出場を決め、中三の夏、僕も応援に行きました。

兄が甲子園に出て、応援団バス乗って、兄がピッチの上で活躍する姿をまのあたりにして…「俺もここで野球がやりたい!」と脳天を直撃された感覚。

やっぱ俺も野球やろう、って更生する気持ちになり、
「俺やっぱり高校も行くし、野球もやるわ」と母ちゃんにに告げて、ヤンチャ時代の前の功績を認めてくれた高校があり、僕は無事高校生になれました。

本気で甲子園を目指していた少年時代

高校に入ったら寮生活。
僕は生意気だったらしく、寮生活ではぼこぼこにされました笑
今の時代だと多分考えられない位厳しい上下関係で、ある意味
社会で生きていくための「ルール」「基礎」みたいなのはこの頃叩きこまれたのかもしれません。

そんなこんなで、再び野球少年に舞い戻った僕は、最後の夏は島根県の準決勝まで進出し敗退。残念ながら甲子園の夢は破れましたが、その日の夜両親に焼き肉に連れてってもらったのは今でも覚えています。

新福菜館で芽生えた「ラーメン=ビジネス」の気づき  age 18-age20

高校卒業後に大阪行って建築の専門学校に行きました。
当時1人暮らし始めて家の近くに「うまい飯屋ないかな」と探してたら
めちゃくちゃ美味しいラーメン屋があって。毎日アホみたいに通ってたら「うちで働け、ただでラーメン食えるぞ」と当時の店長に言われ、ラーメン屋でバイトを始めました。

それが、僕の原点である「新福菜館」の大阪の支店です。
京都に本店があり、本店の売上規模はけた違いでした。とてつもない売上で毎日閉店直後の一日の売上が100万位ある。
一回だけ、新福菜館の社長さんに会えたタイミングがあり、僕がチャンス!と思って率直にぶつけた質問。

僕「ラーメン屋はやっぱり儲かるんですか?」

その時、社長から直々に行ってもらえた言葉。

「1,000円持ってて、好きなラーメンが目の前にあって我慢できるか?」

1,000円しか持ってなくも食べたい!と思うラーメンを作る。
それが儲かるということ。

#とにかくうまいラーメンを作ればいいんだな
これがSHOYAの原体験になったかと思います。

新福菜館時代!ラーメンのクオリティがすごい

age 20-age21 サラリーマンやってみた!3か月!!


その後、ふと「一生に一回はスーツを着て働いてみたい!」と思い立ち
不動産の賃貸仲介業の会社に入りましたが、形で入った僕はうまく活躍ができず、結局すぐ辞めることに…。改めて自分は何をやりたいんだろう?って思った時に「やっぱりラーメン屋で働いていた時、楽しそうにしてた人多かったな」と。そこでまた新福菜館に戻ることになりました。

>>続き オーストラリアのレモン農園で「You are Fire!」と言われてからとある人の一言がきっかけでSHOYAを創業した話

SHOYAではこんな麥田と一緒に働いてくれる仲間を募集しています★
店長候補 尾道店(正社員)
店長候補 福山店(正社員)
アルバイトスタッフ
LINE採用/インスタ採用もOK!

#創業
#経営者キロク
#尾道ラーメン
#ラーメン屋開業
#創業ストーリー