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藤井風さんのスピリチュアリティ探求(4)『へでもねーよ』MVの回

藤井風さんが作る曲のスピリチュアル性を何だか知らないけど猛烈に解明したい!という欲望に従って始めた今回のシリーズ。(突然何言ってんだと思われた方は、こちらをご参照願いたい)

4回目となる今回は、公開されたばかりの『へでもねーよ』のMVを取り上げます。その出来たるや素晴らしくて「か、かっこよ…♡」と惚けながら何度も見ていたのですが、そのおかげで「そうだったんだ!」と腑に落ちる部分があり、曲の理解が深まりました。私なりの考察をつらつらと書いていくので、よかったらお付き合いください。

大五郎は自分自身?

冒頭、大五郎こと男の子を抱いて海辺を歩く風侍。大五郎は小さな手でしっかりと風侍につかまり、二人は同じ方向、海の向こうを見つめている。

この大五郎は風侍の子ども設定かと思いきや、実は風さん自身(スピリチュアル的にはハイヤーセルフ)なのでは?と気づいたのが大きな収穫だ。

犬に阻まれて身動きが取れない…

野菜ばっかの生活しょんのに
腹が立つことちょっくらあんのは
カルシウムちと不足しとんじゃわ
おどれ (怒)
慎ましやかに生きていきょんのに
いつもなんかが邪魔をするんじゃわ
こんな時ゃ人目もはばからずに
踊れ

曲調の変化とともに、現代版風さんの登場。ベッドに座る風さんの前には大きな犬がいて、どうやら思うように動けない様子。腕は犬と鎖でつながれていて、逃げ出せないままついにはベッドに倒れ込んでしまう。

這ってでもたどりつきたいのはどこ?

かと思いきや正反対
とても平穏な新世界
願うはここへずっと居たい
もう限界
神様、力をちょうだい
あんたがいれば無問題
変わらぬものにしがみついてたい

シーンが変わり、砂浜に倒れている風さん。その場所は冒頭で風侍と大五郎がいた海だ。這いつくばり砂まみれになって進む方向は、二人が見つめていたのと同じ、海の向こう。平穏な新世界がある場所だ。

先ほど触れた「大五郎=風さん自身説」を採用すると、ここまでのシーンはこう解釈できる。
腹が立ったり、邪魔されていると感じたりしてうまくいかない毎日。そこから抜け出すために、本当の自分(ハイヤーセルフ)とともにありたいと願っている。だから、風侍と大五郎(ハイヤーセルフとともにある自分)が見つめている同じ方向、あの海の向こうへ進みたいんだ。砂まみれになって這いつくばってでも、自分自身を取り戻して平穏な世界にいきたいんだ。

自分と対峙する闘うべき自分

あんたの軽ぃキック へでもねーよ
あんたの軽ぃパンチ へでもねーよ
あんたの軽ぃブロウ へでもねーよ
へでもねーよ バカじゃねーよ
あんたの軽ぃディス へでもねーよ
あんたの軽ぃヘイト へでもねーよ
あんたの軽ぃマウント へでもねーよ
へでもねーよ それでえーの?

シーンが変わり、サムネになっていたいろいろな風さんが登場する。背中を向けて立つ風さんに対峙する7人の異なる風さん。彼らはおそらく、心の中にいる闘うべき別の自分だ。次々と現れる別の自分に苦悩しているよう…。

帰れ うちへ帰れ
黙れ しばし黙れ
騒げ よそで騒げ
騒げ

場面が変わり、金網の前で動けない様子の風さん。まるで見えない鎖で縛り付けられているようだ。後ろには4匹の犬が囲われている。しかしなぜ、自由で安全な金網の外にいるのに動けないのだろう?

それはおそらく、「本当は自由なのに、動けないと思い込んでいる」ことを表しているのだと思う。自分自身を縛り付ける恐れや不安(=闘うべき自分)に「帰れ、黙れ」と言い放つけれど、実はそんなもの見せかけで、勝手に作り出した幻にすぎない。消そうと決めれば、すぐに消えるものなんだというメッセージだ。

その予感をさせたまま映像は続く。

かと思いきや急展開
自分次第で別世界
作り変えられるみたい
信じたい
神様、力をちょうだい
一人じゃ何も出来ない
確かなものにしがみついてたい

ショーの舞台裏のような場所を歩く風さん。苦悩を浮かべた表情で、着飾った美しい女性がいても一瞥するだけ。

頭を抱えて立ち止まったとき、ふと思い浮かんだのは自分にしがみつく大五郎の小さな手。まるで本当の自分が「思い出して。僕はいつもここにいるよ。一緒にいるよ」と言っているかのように。

そして、闘うことを決意したボクサー・風の登場だ。自分の手で世界を作り変えることを選んだ場面が展開されていく。

あんたの軽ぃキック へでもねーよ
あんたの軽ぃパンチ へでもねーよ
あんたの軽ぃブロウ へでもねーよ
へでもねーよ バカじゃねーよ
あんたの軽ぃディス へでもねーよ
あんたの軽ぃヘイト へでもねーよ
あんたの軽ぃマウント へでもねーよ
へでもねーよ それでえーの?

シャドーボクシングのように見えない敵と闘う風さん。けれども、“別の自分の姿”が瞬間的に挟まれることで、闘っているのが「自分自身」だとわかる。

7人の自分にキックされ、パンチされ、ブロウを食らう。7人の自分にディスられ、ヘイトされ、マウントをとられる。歌詞でいう「あんた」はほかの誰でもない「自分自身」なんだと気づかされる。

傷だらけになって何度倒れても、決してあきらめはしない。なぜなら、大五郎が小さな手でしっかりとつかんでいてくれるから。もう、本当の自分を裏切って逃げるわけにはいかないから。これ以上ない最大の味方が一緒にいてくれるから。

だから「へでもねーよ」と、最高の笑顔で言えるのだろう。

解釈を終えて

はじめて『へでもねーよ』を聴いたとき、「風さんが…怒ってる?世間に?」と驚いたのを覚えています。けれども、フィクションの世界かもしれないし、達観したように見えても23歳の若者だし、そういう部分も当然あるのだろうと新しいスタイルの曲を存分に楽しんでいました。

ところが今回のMVを見て、やはり“HELP EVER HURT NEVER”精神の風さんの音楽だったと恐れ入っています。他人や世間に立ち向かっているのではなく、自分自身と闘う曲だったのですから。

風さんには本当にいつも驚かされてばかり。こちらの予想なんてあっさり超えてくる。曲の世界観をあんなにカッコよく実写化する山田健人監督の頭の中もすごい。才能最高!これからも、バシバシ才能を見せつけられてもだえ苦しみたいです(悦びで)。

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