2020年代J-POPの現状に対する考察


J-POPのヒットチャートがつまらない(完全主観)ので、なぜつまらないのかを考察し、何の出典も根拠もないままに論ずるものである。

・使用される和声、進行が原因か?

まず初めに、つまらなさの原因として和声、進行の流行の変化にあると考えた。味わいのある和声の使用が減り、進行が単純化しているのでは?という仮説だ。
しかし、結論から言うとこの仮説は有力ではない。
和声の複雑さにおいては特に時代による変化は乏しく、また単純な和声を使っているからと言って味わいがないわけでもない。
進行の単純化は一部発生しているように感じる。所謂「丸サ進行」の流行りはあるが、「カノンコード」や「王道コード」などもずっと擦られ続けていることから、"進行に聴き飽きたからつまらなく感じるようになった"ということだけが原因とは考えづらい。

・J-POPの音楽性の統一、ビートの単一化

90年代の様々な曲を紹介する書籍を読みながら聴いていてふと感じたのは「90sはミクスチャーの年代である」ということである。
シティポップの流行りから所謂歌謡曲が主流から完全に離れ、平成になってバンドブームが興り、様々な音楽のバックボーンを持ったアーティスト達がメジャーシーンになだれ込んできた。その結果、様々な言語やルーツを持つ音楽ジャンルが日本語で歌われるようになりJ-POPというものが形成され始めた時代であった。

90年代末期に現れた宇多田ヒカルによってその後のJ-POPの潮流が決定付けられる。それはRnBを基調としたトラックメイキング的な音楽だ。これ以降のJ-POPは四つ打ち調の音楽へと変わっていき、四つ打ちのビートに適合しないジャンルを使う楽曲はメインストリームから外れていった。それにより楽曲のビートが単一化され、J-POPというジャンルが内包するリズムは一本化されていった。

・近年のJ-POPについて
現在のヒットチャートに名を連ねるアーティストは若い世代が多い。これらの人々はルーツが直接外国音楽にあった世代とは違い、90年代、00年代のJ-POPを聴いて育った"洋楽2世"なのである。日本語のリズム感の中に希釈された様々な音楽ジャンルは若いアーティストによってさらに希釈され、もはや原型を留めていない。

ビートの単一化や世界観が世代を超えて擦られ続けた結果、"J-POPと言えばこの曲調"というものが明示された。ミクスチャーの時代に興ったJ-POPは2世代を経てその形を統一させたのだ。

・これからのJ-POP
"J-POPといえばこういう音楽"という枠組みが定まったことは、良く言えば醸成され爛熟を極めた、悪く言えばこれ以上の発展は見込めないとも言える。現在のメジャーシーンではJ-POPの枠組みから外れた音楽は総じて変わり種のような扱いを受け、ヒットチャートから外れてしまっている。しかし、商業的ではない確かな音楽性はそのようなサブカルチャーシーンに健在であり、現在の音楽シーンは"歌謡曲vsその他の音楽"といった構造に戻ったとも取れる。これからJ-POPを廃れさせる新たなジャンルが確立しようとしているのか…

・終わりに
ワールドミュージックやクラシックなど、ある程度広く音楽を聴いている身にとっては、ビートの単一化やサブジャンルの廃れは音楽シーンをつまらなくさせる大きな要因だと感じる。
商業に傾ききったJ-POPは"わかりやすく、お決まりのこと"を守る風潮が強く、様式美に固執した消えゆく産業である。再度、国内外のあらゆる音楽に耳を傾け、その可能性の深さと広がりを認識する必要がある。

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