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以前の記事で、エジソンのことを書きました。

この記事の中でも少し、結構な酷い人間だったと書いたんですが、実はこの人、そんなもんじゃありませんでした。
もちろん、その業績は言うまでもなく、発明家として、のみならず、ビジネスマンとして、マーケターとしても有能で、人類史に多大な足跡を記した人物ではありますが、「人間」としては、まさにクズと言っても過言ではない人物でした。
お好きな方には申し訳ありませんが、かなり酷い。

ちなみに、以前、野口英世についても書いたことがあります。よかったら、ついでにご覧いただければと思います。

エジソンに関する、いわゆる「クズエピソード」いろいろ

◎「発明の多くが盗作だった」と語る専門家もいます(大半盗作という説も…)。

◎「空を飛べるようになるクスリ」なるものを無理やり友人に飲ませて、病院おくりにしてしまったこともあります。

◎公開前の映画を無断で複製。アメリカ中の映画館に売りつけてぼろ儲けしました。

◎エジソンは直流型発電所をつくりましたが、より効率的で安全な交流型発電所が対抗馬として現れます。対立する交流方式の危険性を宣伝するため、しばしば動物を交流電気によって殺害していました。

◎交流方式の危険性宣伝の一環で、遊園地のゾウを電気ショックで殺す様子を収録した映画を公開しました。

◎同じく交流方式の危険性宣伝の一環で、電気椅子での死刑執行をわざわざ交流発電機で行わせ、「残酷な発電方法」だとアピールしました。

◎晩年は「死者と交信できる通信機」の開発に熱中。熱中のあまり開発中に火災を起こし、研究所を全焼させてしまいました。

まぁ、むちゃくちゃですね。

知られざる天才、ニコラ・テスラとエジソンの関係

ニコラ・テスラという人物をご存じでしょうか?
現在、発電所や電化製品で使われる交流(AC)電源は、このニコラ・テスラの発明によるものです。「テスラ」は、磁束密度(磁石の強さ)を表す国際単位でもあります。その名が刻まれていることで、功績の大きさを伺い知ることはできます。

幼少期から神童と呼ばれていたテスラは、大学時代には毎日わずか4時間の睡眠で、休日も返上して毎日毎日勉強に没頭していたと言います。
後にニューヨークへ渡り、エジソン社で電気技師として働いていたときは、1日18時間以上も仕事に邁進しました。

しかし、ある日、事件が起きました。

蒸気船の故障にヒントを得たテスラは、エジソンに直流発電機の改良計画を提案しました。その価値を認めたエジソンから5万ドルのボーナスを約束されたテスラは、ただちに仕事へ取りかかり、数ヶ月後には計画を完遂させました。
しかし、ボーナスの支払いを求めたテスラに対し、エジソンは怒りも交えてこう答えました。

「君はアメリカ流のユーモアがまったくわかってないようだな」

エジソンは、部下に対しては、再三この手の発言を繰り返していたと言います。テスラも例外ではありませんでした。つまりは、エジソンに裏切られ、他の部下たちと同様に、自身の成果もまた、エジソンにただ横取りされる結果となったわけです。
エジソンに師事し、ひたすら仕事に邁進し、エジソンに貢献してきたテスラは、失意のなか、エジソンの元を離れました。

転機を迎えたのは1888年。大学時代からのめり込んだ交流電源への執念が、アメリカの実業家であるジョージ・ウエスティングハウスに認められました。
直流の優位性をかたくななまでに主張するエジソン陣営との「電流戦争」が勃発したのもちょうどこの頃で、1895年8月、ナイアガラの滝に「ナイアガラ瀑布発電所」が完成するまで熾烈なシェア争いが繰り広げられ、エジソンによるあまりにも酷い宣伝活動も行われてきたわけです。

その後、テスラは無線技術の研究へ突き進み、1900年代へ入ると石油資源の枯渇への危惧から、太陽光や風力、地熱を使った自然エネルギーの必要性を強く訴えかけるようになりました。今から振り返れば、先見の明があったといわざるを得ません。
しかし、晩年は、飛行機を一瞬で打ち落とす「殺人光線」の発案者であるという真偽不明なゴシップに見舞われ、死後には、兵器開発に繋がる「失われた論文」が冷戦下で利用されたという陰謀論等も噴出しました。

テスラを通じてエジソンを知ることで、あらためてエジソンがいかなる人物であったのか、知り得ることは決して少なくありません。


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