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昭和芸能を愛した男のお話

 私は昭和の芸能が大好きです。
 歌謡曲にはじまり、映画、ドラマ、落語、漫才、バラエティーと、あの時代のテレビを彩った芸は何でも好きで、暇さえあればそれらを目で観て、耳で触れて愛し続けています。
 この数年、昭和の芸に触れなかったことが1日たりともなかったと言って過言ではありません。
 そのくらいに私は昭和の芸に魅せられ、寄り添い続けてきたのです。

 そうした人生を歩むきっかけとなったのは、幼稚園の時に聴いたテレサ・テンの『つぐない』でした。
 三木たかしによる旋律と、荒木とよひさが書いた切ない女心の詞が、物憂げなテレサ・テンの歌声に実にマッチしていました。
 それまで、幼稚園で暢気に「かっもめ〜のすいへいさ〜ん♪」と歌っていた私にとって、このセンチメンタルな大人の歌は衝撃的でした。
 そうして『つぐない』の虜となった私にさらに餌を与えたのが、父の友人。
 この人がカセットテープ録音を何よりも趣味にしていた節があり、何かにつけて昭和の歌をカセットに吹き込んでは、父にプレゼントしていた奇特な方です。
 その中にテレサ・テンがあり、私は父から奪うようにしてそのカセットを繰り返し繰り返し聴きました。
 するとどうでしょう。『つぐない』はもちろんのこと、『雪化粧』『夜の乗客』『あなたと生きる』『東京夜景』と好みの曲が次から次へと出てくる。
 
 こうして私の「テレサ・テン 追っかけ人生」がスタートし、日本テレビ『速報!歌の大辞テン』や、テレビ東京『うた世紀ベストテン』といった、いわゆる当時の「懐メロ番組」を貪るように観たのでした。
 それによって私は美空ひばりを知り、欧陽菲菲、尾崎紀世彦、奥村チヨ、坂本九といった昭和歌謡のオールスターたちを認知していくようになるのです。

 一方で、その頃流行っていたヒット曲については、テンポの早い歌や英語の詞ばかりなイメージを抱いており、どうにも好きになることはできませんでした。「ノリさえよければ何してもいい」という風に感じられてしまい、完全に受け入れられることができなくなってしまいました。
 おかげで流行には大変疎くなり、その後に学校で友人との話に混ざることができませんでした。それが原因でからかわれ、不登校になったこともあります。
 それでも、私の昭和歌謡好きはどんどん拍車をかけていきました。

 小学校に入ってからまもなく、並木路子と三波春夫が亡くなり、この2人と同時期に活躍していた歌手たち(田端義夫、ペギー葉山、村田英雄等々)が次々にコメントを出しました。
 当時の私にとって知らない歌手たちが続々に登場、さらに追い討ちをかけるように、NHKラジオ『ひるの歌謡曲』で、藤山一郎、岡晴夫、霧島昇、並木路子、織井茂子の特集。
 これを聴いたことで昭和の歌への興味は一気に加速し、気がつけば戦前〜昭和30年代の歌も好きになっていました。
 特にテレビ東京で放送していた『昭和歌謡大全集』は、司会の玉置宏とコロムビア・トップの名調子で戦前〜昭和30年代の歌を貴重な映像で振り返るそれはそれは素敵な番組で、録画したVHSを10回以上は繰り返し観るほどハマりました。

 中学生の頃になると、今ほどではありませんがYouTubeが流行り始め、そこには懐かしい映像が色々とアップされていました。
 その中には、過去に放送された『昭和歌謡大全集』の映像をアップロードしてくれる投稿者がおり、それまた一つ一つを貪るようにして観ていましたが、この他にシャンソンやジャスの歌手たちの映像もアップロードしていて、その投稿者のおかげで私はシャンソンやジャズの魅力にも精通していきました。今でもその投稿者の方には、素敵な映像を観せて頂いたことに感謝しております。

  YouTubeのおかげで興味の幅は広くなり、歌にとどまらず演劇や落語にも触れるようになりました。年を重ねるごとにその興味は加速し、挙げたもの以外にも、作家、スポーツ、政治などにも触れるようになり、気づけば「昭和の文化」を愛する人間になっていました。
 しかし、それらの「愛」は、「人」に対しての愛が強いのです。
 その人が見せる芸、残した言葉、歩んできた生涯に私は心を惹かれ、昭和を追いかけているうちにあらゆる昭和の人に興味を抱くようになっていったのでした。

 昭和が終わって30年以上が経ち、残念ながら鬼籍入りされる文化・芸能人が多くなってきました。
 昭和を彩った人たちをこよなく愛する私にとって、知る人が一人またひとりと世を去ると、何とも言えない虚しさと悲しさに包まれます。
 そして、その残した物も時の流れに乗って消えてしまうのだろうか。それではあまりに儚すぎる…せめて生きた証を残したい、語り継ぎたい…私は常々そう思っていました。
 今回このnoteを立ち上げたきっかけはここにあります。

 私が愛した昭和の人たちを、個人的でありながらも思い出として語り、次の世に「こんな人がいたんだよ。この人こんなに魅力的だったんだよ」と継承できる一つの材料になれればと思っています。

 不定期に書いていきたいと思いますので、どうぞ温かい目線でのご支援をよろしくお願いします。

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