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「満員電車で通勤通学」とは、常識でもなんでもなく、かつてのイノベーションの残骸でしかない。

新型ウイルスやインフルエンザなどで密室空間に感染者と一緒にするととてつもないリスクという話が取り上げられる機会が多々あります。

以下のように満員電車は「つばを交換」というパワーワードまで登場しています。が、実際にあんだけの満員状態で調子わるい人がいれば、その人のつばが撒き散らされてしまい、それを吸い込むことになりますね。もしくはそれらが手につき、そのあと自分の手を介して体内に入り込むということは容易に想像できます。

さてさて、何やら日本人にとって満員電車の通勤通学というものが日本古来のお仕事習慣のように考えられてるのか、意地でも会社に向かう、学校に通うことが良いこと、当たり前なこととして思考停止している人が少なからずいるなと思います。命がけでいくというのは、武士の魂でしょうか。笑

私も1時間以上通学時間をかけて学校まで通っていたわけですが、その時間の合計数はとてつもない時間の浪費だったな、と。特に最近通信制高校とのお仕事などをしているとますますもって、毎朝毎朝準備時間も考えれば2時間近くをかけて通うということに一生懸命エネルギーを費やしていたのか、バカバカしくなります。私は特段男でかつ別に可愛い系でもないので痴漢とかの被害にもあいませんでしたが、女性は大変ですよね、埼京線とか昔から痴漢のメッカみたいな言われ方してたり、あまりに満員電車すぎて窓にヒビが入ったとか、押し込むための仕事「押し屋」なるものがいたりとか、全くもってどうなってんの、と思うことが多数昔からあったわけです。

あれこれ通勤通学について指摘すると、無駄時間ではないこの時間で勉強ができたとか、規則正しい生活の基準になった、とかあれこれ言われる方もいるのですが、そもそも満員電車で通勤通学というのは、半世紀前のイノベーションの残骸でしかないという理解を持つべきだなと思います。

○ 満員電車で通勤通学という100年前のイノベーション

そもそも日本が近代化を推し進め、経済成長を目指していった明治以降において鉄道の敷設と工業発展、都市開発はある意味のセットだったわけです。しかし工場ができる、当時は沢山の人間が必要、稼げると行って田舎から人が出てくる、、、けどここでボトルネックが生まれるわけです。この大量の工場労働者が住む場所が足りないという話です。工場のすぐ横に生活するというスタイルが長らく採用されたものの、それもまた面積的には限りがあり、遠くの社宅に住めば通うのにも時間がかかるわけです。

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