なぜ量子力学は哲学に通ずるのか?【悟りの叡智】
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物理学ではこの世界の本質を解明できない?
現代物理学はこの数百年で飛躍的に進歩してきました。この学問のおかげで僕たち人類は、産業革命以降様々な発明を生み出し、宇宙へと進出できる文明へと進んできました。
しかし、僕たちが知る物理学ではこの世界、宇宙そして僕たち生命の根源を解明することは出来ないかもしれません。
僕たちを含むこの宇宙は、潜在意識という目に見えないエネルギーが作り出した。
前回の考察では潜在意識がこの宇宙の全てであり、ビッグバンから現在までの歴史を形作ってきた存在という予測を立てました。
この考察は現代物理学をひっくり返す、トンデモ理論に聞こえるかと思います。
この世界が物質的に構成されているのがアタリマエだと思い込んでいませんか?
僕たち人類は、このアタリマエに支配されているせいで、この世界の本質から遠ざかっているかもしれません。
もし僕たちがじて疑わない物理学が間違ってた、としたら?
天才と言われていた物理学者で発明家のニコラ・テスラは次のような言葉を残しています。
この世界の本質を見るには『周波数』、『振動』、『エネルギー』を考えなさい。
この世界はたまたま物理学が支配する周波数帯に合っているだけであり、別の周波数帯から見る世界があるとしたら・・・?
事実、現代物理学は僕たちが認知できないエネルギーの存在を示唆し始めています。
僕たちが世界の本質に辿り着くためには、観測場所自体を変える必要があるのかも知れません。
それは現代物理学の一切を捨てることを意味します。
物理学が崩壊しない保証はない
もちろん物理学を否定するつもりはありません。
ニュートンをはじめとする過去の偉人、現代で日々研究を続けている物理学者の方々の研鑽によって、世界がより便利に豊かになっているのは間違いありません。
僕たちが暮らしているこの地球、そして存在理由の探究は人類にとっての根源的欲求です。
これらの謎を解き明かすため、人類は仮説と検証を繰り返してその正体を探り続けてきました。
一方で物理学という学間が定説となってからまだ数百年あまり。
この無限ともいえる宇宙の時間から見ればほんの瞬きのような一瞬の間に観測された現象に対して、絶対は有り得ません。
今まで築き上げられた物理学理論がある日、実は間違っていましたとならない保証はどこにもないのです。
物理学が発見した矛盾
実際に物理学は、『量子力学』というミクロの領域に踏み込んで以降、難題にぶち当たり、停滞しています。
物理学者スティーブン・ホーキング氏もこの量子力学には否定的な考えを示していました。
マクロ宇宙論では、実験や観測によって確立され続けていた物理法則が、ミクロの世界では通用しないのです。
対して、同じく物理学者のレオナルド・サスキンド氏を中心として提唱されたホログラフィック宇宙論が2000年代から台頭し始めます。
この理論は量子力学の考えを適用した理論であり、現在も研究が続けられている分野ですが、当時、物質こそ全てとする古典力学が主流だった物理学の理論に疑問を投げかけると共に、目に見えない力の存在を考えるきっかけとなりました。
目に見えない力とは何でしょうか。人類は量子力学の発見を以て、その現象の片鱗に辿り着いています。
ミクロの世界の存在するとされるこの世を構成する最小単位、素粒子の振る舞いです。
素粒子自体は人間が直接見る事ができないほどの小さな物質ですが、これを物理学者は、シュレーディンガーの猫という思考実験や二重スリット実験といったマクロ世界に適用し、量子力学の非科学的な現象を目の当たりにしてきました。
例えば光は、人間の観察下では『粒子』、非観察下では『波』として振る舞います。
ミクロの世界では物質が確率的にふわふわと浮かぶ雲のような状態で存在していますが、人間が観測した瞬間一つの状態に確定します。
光が非観察下で波として振る舞うのは、一つしか存在しないはずの光の粒子が、確率的に存在している自らと実際に干渉し合っている事を意味します。
次に、二つの粒子が見えない何かで繋がれていると思われる現象に、『量子もつれ』があります。
これは片方の粒子の状態が確定した瞬間、もう片方もその瞬間に一つの状態に確定する現象です。この現象は粒子同士がどんなに離れていても瞬時に作用します。
物理学者はこの理解しがたい現象に戸惑います。あのアインシュタインでさえも、量子もつれ現象を不気味な遠隔作用として認めませんでした。
結局現代物理学は、多世界解釈、所謂パラレルワールドという見えない世界の存在を前提にしなければ成立しない領域を発見してしまったのです。
仏教と量子力学
このように現代の物理学を持ってしても苦戦を強いられる量子力学ですが、はるか昔にそれを予言していた集団が存在していました。
それが『仏教』です。
彼らは、現代の物理学者とは全く違うアプローチでこの宇宙の根源へとたどり着こうとしていました。それは現代でも哲学や神話として彼らの痕跡が残されています。
仏教の「色即是空」という思想は、物質は無であり、無は物質である。という意味になります。また人間の五感や意識の全てが無だという考えに「無眼耳鼻身意」があります。
この2つを量子力学に照らし合わせると、素粒子が持つ不確定性、五感や意識が無から発生するという3次元世界ではない別次元の存在を示唆しているように思えます。
僕たちが五感で捉えている物質的な『もの』の本質は『無』、つまり『情報』というエネルギーの塊であり、それを僕たちの脳が『もの』として知覚している。
このように物理学が発展していなかったはるか昔に仏教は量子力学に近似した世界の見方をしています。
あくまでも僕自身の考えですが、量子力学以降の謎は、人類が肉体を持った3次元にいる以上、解明は不可能な領域なのではと考えます。
そしてこの3次元世界の物理法則を証明すればするほど、人類はこの宇宙の本質に辿り着けないのです。
なぜ仏教が量子力学を予言できたのか
なぜ昔の人々が、仏教というある種の哲学的な思考によって、現代物理学でようやく発見された量子力学的な物の見え方を予言できたのでしょうか。
僕が思うには、当時は物理学という一般常識が無かったからだと考えます。
彼らはこの世の法則、森羅万象について、想像する事、感じる事しかできませんでした。
現代においては物理学の進歩により、ほぼ全ての人々がこの世界が物理法則に支配されているという常識を共有しています。
例えば物が勝手に動く事は無い、物は壁をすり抜ける事はあり得ないという、たくさんの固定観念に縛られているとも言えます。
物理学の進歩に伴い、この世の法則が解明されていくにつれて、身の回りの動きは全て物理法則に従っているという知識が人々に根付きました。
その結果、物理学が固定観念として人々の集合的無意識に浸透しました。
一方で常識化されたこの物理知識は、他の考え、思想を寄せ付けなくなります。
これは一種の宗教信仰であり、他の宗教の考え方を否定してきた歴史を踏襲しているように思えます。
物理学という宗教を信仰している現代人は、皮肉ながら物理学が避けてきた目に見えない力を認めざるを得ない状況になっています。
もし古代人が目に見えない力を有していたのならば、過去の人類の文明、歴史にその痕跡があるかも知れません。
古代人が持っていた力
古代人には『中今力』という力が備わっていたと言われています。これは過去や未来に囚われず、この瞬間が全てであり、今だけを生きるという考え方です。
この力を持っていた民族の一員に、今から約1万3千年ほど前に存在していた『縄文人』が挙げられます。
現代人との決定的な違いは、当時の人々は過去や未来といった時間を司る左脳よりも、この瞬間が全てと認識する右脳の機能が相対的に発達していた事です。
右脳は無意識を司る潜在意識と深く関わっています。
潜在意識には現代人が理解できない物理学を超越した知識を内在していると言われています。
故に日常的に右脳使っていた彼らは、無意識的に目に見えない力を感じ取りその力を利用して生活をしていました。
分かりやすく表現すると、神と日常的に繋がりがあった時代です。
当時、縄文人の間で『岩石信仰』がありました。日本の各地に磐座(いわくら)という石を祀ったとされる遺跡がたくさん残っています。
同様に岩石信仰は日本だけでなく世界中に散見されます。エジプトのピラミッドや、ストーンヘンジなどがその名残です。
また、巨石遺構のどうやって重い石を運んだのか、という謎に音を利用していたのではないかという仮説があります。
実は音波浮揚は現代でも研究されており一部の物質・条件下では浮揚が確認されている現象ですが、現状とても制御できるようなシロモノではありません。
古代人はこのような現代技術でも解明されていない技術を潜在意識から受け取っていたのかも知れません。
僕たちが古代遺跡を理解できない理由とは?
僕たちが古代遺跡を理解できない理由とは?
人類は進化ではなく変化している。
しかし農耕、稲作、共同生活といった進歩の中で少しずつ人々は力を失いつつありました。
その中で弥生時代以降は徐々にその力が神話として語り継がれるようになっていきましたが、その見えない力を取り戻そうと、畏敬の念を具現化し崇拝する意味で各地に巨大な大仏や装飾を凝らした神社仏閣を建造しました。
こう考えるとこのような一見無駄が多いと思える建造物をコスト度外視で作ったのも頷ける気がします。
古代の人々の一般常識であった霊性に重きを置く精神主義の時代から、物理学という現実主義へ変わっていき現代に至ります。
この過程で現代人は「今」よりも「過去」や「未来」を司る左脳が支配するようになり、潜在意識との距離も離れていくと共に中今力が失われていく結果となりました。
人類は物理学という現実世界における叡智と引き換えに、見えない力を感じ取る能力が失われてしまったのです。
潜在意識とアカシックレコード
果たして人類は物理学が支配する世界において、この宇宙の根源を解明する為にどうすればいいのでしょうか。
現代物理学は、この宇宙の本質は目に見えない力が鍵になってくることを示唆しています。
ところで、この世の全てが記録されているというアカシックレコードという場所があると言われています。
電気や電磁波と同様に、感情や意識を構成するエネルギーもまた目に見えない力と言えます。
もともと一つだった意識の塊がこの宇宙形成し現在に至るのならば、ビッグバンからの全ての歴史、この宇宙の万物理論でさえも潜在意識に刻まれているはずです。
ということは潜在意識がアカシックレコードそのものという答えも十分あり得ると思います。
しかしながら、潜在意識を持っているはずの僕たちは、この万物理論を介在しているとも言えるアカシックレコード(潜在意識)にアクセスが出来ません。
何故か?ここで今回の考察で仮説を立てた、固定観念と現代人が失った力が関係してきます。
それは僕たち人間の自我(顕在意識)と潜在意識の間にあるフィルターが、物理学という固定観念によって目詰まりを起こしているが故に感じ取る事が出来なくなってしまったからです。
言い換えると自我が、物理学という現実世界を仰し過ぎたあまり、潜在意識という存在自体を疑い拒絶しているのです。
量子力学が物理学を超える日
数々の偉人たちが研究によって積み上げてきた物理学。
今回の考察から、僕たちがこの宇宙の真実に辿り着くには潜在意識へのアクセスがポイントとなります。
その為に必要なことは人類が今まで積み上げてきた物理学という一般常識の一切を手放す事なのかも知れません。
本来、万物理論の知識は、潜在意識側から自我(顕在意識)へ自然に滲み出してきていたものだと思います。
これを古代の人々は素直に受け入れた事で身近な存在として感じ取ることが出来ていたのではと考えます。
これは、現在でも建造方法が判然としない巨石遺構であるストーンサークルやピラミッド、オベリスクなどの過去の痕跡からも窺い知れます。
考えてみると現代人よりも古代人のほうが宇宙の本質により近かった存在でした。しかし古代人はそれを感じることは出来ても理解する為の知恵が無かった。
しかし僕たちは違います。物理学によって、その先にある未知の存在を理解する為の知恵を手に入れました。
人類が辿ってきた物理学の最終地点の答えは、目に見えない力の存在を証明する事です。そしてその力を借じ疑わないこと。
人類はまた一つに戻っていく
インド哲学に「アートマン」と「ブラフマン」という言葉があります。
アートマンは我「個の根源」であり、ブラフマンは梵「宇宙の根源」でありこの2つは「梵我一如」とされ同一の存在とされています。
これは僕が立てた仮説の一つに過ぎませんが、ビッグバン以前にエネルギーの揺らぎとして存在していた潜在意識であり宇宙の根源である「ブラフマン」は、万物理論を介在する完璧な状態で存在していました。しかし潜在意識と相反する感情のうねり、自我を持つ「アートマン」が、ビッグバンを起こして3次元空間を形成しました。
それと共に万物理論も情報として宇宙空間に拡散し霧散しつつある状態が今であると考えてみます。
これはやんちゃな「アートマン」が宇宙を作り出してしまった状態であり、ブラフマンとしては不本意な状況だとすると、同一体であるやんちゃで奔放な「アートマン」を自分の元に帰って来させようとしている力が人類の知的好奇心だと考えます。
宇宙の根源という謎が人々を惹きつけ合い、人類はこの最大の謎を解明していく過程で、潜在意識レベルで再び一つの集合体に戻っていくのでしょうか。
人類が宇宙の根源に辿り着くゴールは、「ブラフマン」が持つ潜在意識であり、人類は「アートマン」のその破片を拾い集めてブラフマンの元に返すために刻まれたDNA(本能)なのかも知れません。
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