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【創作小説】書道の成績が0点の高校生が平安貴族の幽霊と出会う話(6/6)

前回までのあらすじ
 七月の海辺の田舎町。高校一年生の八色透花(やしろとうか)は、夏休みの書道教室で、文字を紡ぐことで対象のモノを祝福することが出来る『言祝の筆』(ことほぎのふで)という不思議な筆と、筆に憑りついた平安貴族の幽霊〈筆子〉と出会う。
 透花が書道の成績が0点になったきっかけは、クラスの中心的存在、菜乃花(なのは)との不和だった。
 恋愛が分からない、そして、誰とでも対等でありたいという透花の願いは、菜乃花やクラスメイトに理解されず、透花は中傷を受け続けた。その結果、書道の授業中に「お前が死ねよ」と書きなぐってしまった。
 その菜乃花が、高校近くのホームセンターで、凶器を持った不審者に襲われる危険に、透花と筆子は気づいた。「菜乃花は自分の心を壊した」と迷いながらも、筆子の言葉に背中を押され、菜乃花を救うため、透花は言祝の筆を手にとり、祝福の言葉を紡いだ。

 

創作小説『少女と言祝の筆』
最終話 甘味



 七時三十二分着の市営バスに乗り込む。
 乗客は私と、運動部らしき女子生徒が数人。
 
 途中のバス停で、菜乃花たちは乗ってこなかった。昨日のショックで家に引きこもっていても無理はない。

 結局、昨日ホームセンターに現れた不審者は逃亡したままだ。
 石灰や肥料などの商品が物色され、一部が盗まれた。刃物を持っていたこともあり、地域の防災放送が朝から注意喚起を、そして灘街駅周辺では、警察官が巡回しているのを見かけたりした。

 幸いなことに、この事件で怪我人は出なかったと、学校に戻ってきた花染先生から聞いた。だけど、不審者はまだそのあたりをうろついているかもしれないと、昨日の夕方頃、学校から「文化祭の買い出し等でホームセンターに行く生徒は、必ず教師や大人に付き添ってもらうこと」、という連絡メールが来た。
 
 なんて夏休みだ、と、バスの座席に背中をぐったり預け、私はため息を吐いた。
 夏休み早々こんな事件に心を脅かされ、そのせいでまた全然寝られなくなって、ほぼ徹夜の体で今日も今日とて書道の補習で……、

『みてよ、あの雲。牛車にみえるわよね。あそこが、こう、牛みたいで、そっちが車に。えっ? 見えない? 見えなさいよ!』

 平安貴族の幽霊に、憑りつかれてしまうなんて……。

『なに? その顔は。わたしがいなかったら、あなたの〈友〉はどうなっていたかな?』

 今日も平然と私の隣に座る、平安貴族の幽霊、筆子さんは、「やんのかこら、文句あんのかこら」と言いたげな顔で、扇を振り回している。

「友……では、ないけどね」

 思わずつぶやいていたが、その後に言葉は続かなかった。
 菜乃花が無事でよかったと、心から思うから。
 
 私は結局、菜乃花という人間を、祝福する言葉を〈言祝の筆〉で紡げなかった。私は彼女の騒がしく、感情的な性格を、どうしても好ましく思えなかった。

 あのとき、私が〈言祝〉できるものは、草花だけだった。そして私は思い出したのだ。

 ホームセンターの中にあるフラワーショップ。小学生だった私は母と手を繋ぎ、店先に並ぶ季節の花を、時折買って帰ったことを。

 だから私は賭けた。
 フラワーショップに、〈菖蒲の花〉があることを。
 
 ——菖蒲の香りは邪気を祓ってくれる。魔や物の怪に襲われたら菖蒲の茂みに逃げなさい。

 そして私は信じた。菖蒲の花が、魔を遠ざけるという〈迷信〉を。
 
 あやめ草 薫ゆれば 悔ゆることなし あさましき世も 来ることなし 

「……ありがとう」

 助けてくれて。
 あのまま何も出来なかったら、きっと私、死ぬまで後悔していたと思う。

『やっと分かった? わたしの〈言祝〉はサイコーだってこと』

 最高? その言葉遣いはもはや現代人じゃん。もしや、平安貴族のコスプレした現代人の幽霊なのでは?

 私の苦笑いに、筆子さんもつられてふんっと笑い、そして言う。

『まぁ……、わたしには筆を持つ腕がないから。わたしのおかげだと貴方は言うけど、貴方のおかげでも、あるんだけどね』

 貴方が生きているから。
 貴方には筆をとる腕があるから。

 そう語る筆子さんの横顔は、相変わらず曖昧な輪郭で、まるで浅い夢のように頼りないのに、私の鼓膜を震わせたその言葉は、酷く重く、心に残り続けた。
 その重さは、きっと千年という時間を漂い続けた、孤独と悟りからくるものなのだろう。

 この先、私は生きていたいと、思い続けられるのだろうか。

 戦争、差別、格差、誹謗中傷。

 この世界の矛盾に対する緩やかな絶望は、私の心を侵し続ける。

 ——貴方が生きているから。

 だけど筆子さんの言葉を、軽く受け流すことも、私にはできない。
 言葉の重みに堪えかねた私は、ただ、頷いた。
 
   ◆

 書道教室で一人、花染先生を待つ。
 開け放たれた窓から、グラウンドを見る。昨日の事件などなかったかのように、野球部と水泳部が練習している。吹奏楽部のチューニングの音が聴こえる。

 何事もなく、世界は回っている。
 
 そんな意味のないことをぼうっと考えていたら、勢いよく書道教室の扉が開いた。
 花染先生が来たのかと振り返ると——そこには、菜乃花が立っていた。

「……」
「……」

 今日もいくつの校則に違反しているのだろうかと、皮肉を言いたくなるほど、化粧も髪も爪もスカート丈も絶好調だ。昨日、あれほど怖い目にあったとしても、彼女は変わらない。その強さに、内心感心してしまう。
 お互い一向に何も言い出せず、睨み合っている感じになる。『修羅場? やるのね? あんたたち、とうとうやるのね?』と、野次馬根性の幽霊が興奮しているのを無視する。

「……きのうは、」

 沈黙を破ったのは菜乃花だった。

「……」

 しかし言葉は続かず、もぞもぞと動くだけだ。
 何か用? そう尋ねようとした瞬間、菜乃花が先に、止めてた息を吐きだすみたいに、続きの言葉を発した。

「サ、サトセンから聞いた。昨日、うちらがホームセンターにいるって、言ったの、あんたでしょ?」

 気まずさから頬を染めた彼女はうつむきがちだが、その強気な瞳はこちらをしっかりと見ている。彼女の挙動を静かに観察していると、突然、菜乃花はこちらに数歩近づいてきた。

「だから、これ」

 バシッと良い音を鳴らしながら、菜乃花は「何か」を私に押しつけ、すぐに教室の外へ駆けて行ってしまった。

 菜乃花に渡されたのは、淡い青色のパッケージの、ソーダ味のキャンディだった。
 多分、コンビニで売っているのだろう。夏限定の、すずしげなお菓子だ。

 私は視線を上げて、菜乃花を目で追った。
 書道教室を出ればいいのに、菜乃花はまだ、扉の辺りで、こちらに背を向けていた。左手を扉に、そして右手は制服のスカートをぎゅっと握っている。廊下から誰かの笑い声が聴こえる。

 ——ごめん。

 廊下の騒々しさを貫いて、私にははっきりと、菜乃花の声が聴こえた。

 今度こそ、菜乃花は出て行った。
 遠ざかっていく足音はすぐに、校舎の喧騒に消えていった。
 きっといまの、菜乃花の震えた声を、この世界で聞いていたのは、私だけだ。

『……言ったでしょう? ひとつとして、同じ朝はやってこないのよ』
「……そうかもしれないね」

 菜乃花に渡されたソーダ味のキャンディの封を切り、ひとつを口に入れた。
 パチッと、優しく舌の上でキャンディがはじけた。

 甘い。とんでもなく甘い。そう感じる瞬間、私は、どうしようもなく生きているなと、思った。恥ずかしくなった。
 死にたがっていたのに、こんな可愛いキャンディを舐めていることの歪さに、心が軋んだ。

『それはなに? おいしそうじゃない』
「んー……、これは砂糖を固めたお菓子で、味は——」

 ソーダ味を平安貴族にどう説明したらいいものか悩む。キャンディを舌の上で転がしながら、ふと、記憶の引き出しのどこかから、潮のかおりが、鼻の奥をよぎった。

「——甘い、海の味」

 七月の太陽の光を浴びて、淡く青く輝くこの小さな珠は、私にはまるで、あの海の雫を固めてできた、甘いお菓子に思えたのだ。

『……』
「……」

(……やばい。いまのは、すべった)

 自分で言ったくせに、恥ずかしさで頭が沸騰し、のぼせそうになる。
 〈言祝の筆〉と出会って、周りの景色を美しく切り取ることの良さを知ったから、自分にもそういう文学的才能があるのだと、勘違いしてしまった。

 自惚れすぎた、バカだ私……。

 なんとかごまかそうと、筆子さんの丸くなった瞳から、窓の外に視線を投げた。そして筆子さんにもバカにされてしまう前に「今のは無し」と、言葉が漏れそうになるが、

『いいじゃない、甘い海があっても。わたしは、嫌いじゃない』
「えっ?」

 視線を筆子さんに戻す。涼しげな目元がどこか嬉しげで、でもどこか儚げなその瞳を私は見つめる。
 筆子さんは言う。

『この世を、〈おかしく〉思う心こそあれば、ひとは〈貴さ〉を失うことはない』

 強い風がひとつ、教室に吹き込んだ。
 私の前髪が揺れる。筆子さんの長い髪は揺れない。
 
「……家の周りにね、まだ、名前の知らない花が、たくさんあるんだけど」
『ええ』
「それ、全部、教えてほしい」
『いいわよ。この世のすべてを祝ってやりましょう』

 花の名も知らぬのに、この世界に絶望するのは、まだ早いかもしれない。


(おわり)



お読みいただきありがとうございました。
参考にした図書です。手にとっていただければ嬉しいです。

・服部早苗『「源氏物語」の時代を生きた女性たち』(NHK出版新書)
・川村裕子『平安女子の楽しい!生活』(岩波ジュニア新書)
・『墨』編集部・編『教えて先生! 書のきほん』(川口 澄子・絵、芸術新聞社)
・山本淳子『「春はあけぼの」に秘められた思い 枕草子のたくらみ』(朝日選書)


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