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#『歎異抄聴記』をインテリアにしない No.2

1.著者について

『歎異抄聴記』で曽我師は、まず『歎異抄』の著者(編者)について論じます。
この『歎異抄』には、著者(編者)が記されていません。よって、それが誰であるのか、種々論じられてきました。

曽我師の論を、簡単に整理してみます。
著者については三人の説があります。

説① 覚如上人(1271〜1351・親鸞のひ孫)
覚如上人の『口伝鈔』『執持鈔』と『歎異抄』が共通のことが書いてあることを理由とする。

説② 如信上人(1235〜1300・親鸞の孫)
香月院深励(1749〜1817)の説。
説①にあるように共通のことが書いてあるが、表現内容が違うので、覚如ではない。

説③ 唯円(1222〜1289・関東在住・親鸞晩年の弟子)
説②を唱えた香月院の弟子である妙音院了祥(1788〜1842)の説。
『歎異抄』のなかで、著書唯円が自ら名のっている。

このなか曽我師は説③の唯円説を支持しており、多くの研究者も同じく唯円と考えている。

さまざまな根拠があるが、如信上人と唯円で考えたとき、如信のものとなると、『歎異抄』の大部分は如信が親鸞聖人のそばで、他の人に話すことを聞いていたことの記録となる。

対し唯円となると、親鸞聖人が弟子の唯円に直接語りかけたものとなる点を、曽我師ははじめに指摘している。

『歎異抄』の性格からして、やはり唯円との問答であると考えるべきであろう。


2.「歎異精神を基軸として」12頁

曽我師は、繰り返し真宗再興について述べ、それは歎異の精神の原理であるとしている。

そして歎異について、
「信じ異なることを歎く精神、だれが異なるかというと、自分が異なっている。異なるのは自分である。」12頁
と述べている。

さらに「異なる」ということについて、興味深い指摘をしている。

「この異なることを歎く深い歎異感情をつきぬけて如来回向の一味の安心が自証されるのである。ゆえに、ここにはじめて真宗再興ということが成就するとわたくしは深く感じているものである。」

ここで曽我師は何に注目しているのであろうか。
注意深く見ていかなければならないところであろう。

「異なることを歎く深い歎異感情」とは、異なることを否定するのではなく、異なることを前提とする歎異感情であると読むことができる。

真宗において信心を語るとき、それは仏の信であり、信心は同じであるとされることが多い。

それは確かにその通りで、例えば器(私)が違っても、そこを満たそうとする側(仏)が、さまざまな器を信心という水で満たすとき、満たされた器の中味の信は、みな同じである。

法然聖人と親鸞聖人の信心が同じであるというエピソードも、これである。

ただ曽我師は、単に信心が同じで片付けてはならないと指摘するのであろう。

それほどに私たちの捉える「同じ」という概念は危ういものであることを、訴えているとも言える。


3.同じではなく違うことを大切にする

このことについて曽我師は、
「ただ抽象的な共通点よりも、各自各自異なっている具体的内容がだいじである。それを抽象して同一といっても無意味なことである。具体的なものが大事である。」
と述べている。

如来よりたまわる信心を、私と他者の共通点として見出すのではなく、信心が私のうえに、具体的に何を課題として明確にしたのかを見るべきであると。

信が私に明らかにした、人生をかけて求めざるをえない課題は、何であるのか。

その個々において異なる具体的なものを課題としたとき、それを突き抜けて、はじめて一味という共通の信心として明らかになるのであろう。

だからこそ、如来を根拠に共通の信心を見出そうとするのではなく、異なる個々の具体的な課題を突き抜けたところに共通の信が自然と明らかになるのであると指摘していると考える。

私たちは、その信仰生活で、つい共通点を探していこうとすることが多々あるかもしれません。

しかし曽我師は、共通点を見出すのではなく、各自異なっている具体的内容について、「こういうことをあきらかにしたいと自分は思っているしだいである。」と、異なるところを具体的な内容として明らかにしていきたいと述べている。

異なることを歎く。

曽我師の言葉に触れると、これ程難しく厳しい歩みはないと、改めて身の引き締まる思いであった。

日付が変わってしまいましたが、この11月28日には書いておきたいと思い、まとまりのないままに。

南無阿弥陀仏




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