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現代仏教と古典仏教の配合比

ふと振り返ると、テンプルモーニングラジオのトークゲストには、アーティスト系のお坊さんが登場する率が高いです。実際に美術や音楽のプロフェッショナルとして二足のわらじを履いている人もいるし、お坊さん専業だとしてもかなりアーティスト的な性質の強い人が多いと思います。お坊さんならそれが当たり前では?と思われるかもしれませんが、実際のお坊さん世界ではむしろ理論派というか学者肌というか、右脳よりも左脳系の人の方が「出世」している印象。テンプルモーニングラジオでは、トークの内容以上に「言葉になる以前の何か」を重視しているため、必然的にアーティスト系の方が多くなっているのかもしれません。

さて、今週はトークゲストに僧侶でありコンテンポラリージュエリーアーティストである石田メイリさんをお迎えしているのですが、ラジオでお話しした前後で雑談しているときに、「現代美術、コンテンポラリー・アートというものがあるなら、現代仏教、コンテンポラリー・ブッディズムというものがあってもいいのではないか」というアイデアを得ました。そう、芸術と宗教の近似性がよく言われるように、芸術には何百年も昔から時代を超えて受け継がれる古典芸術もあれば最先端の技術や社会問題を反映する現代芸術まで幅広くあるように、宗教にだって古典宗教から現代宗教まで幅広く存在していいのではないか。そういう問題意識です。


いや実際、アカデミズムの中には古典宗教の研究から現代宗教の研究まですでに幅広く存在しています。ですが、それはあくまで芸術の世界を引き合いに出すなら古典芸術研究から現代芸術研究の話であって、コンテンポラリー・アーティスト、現代美術家に相当するものが宗教世界にあるかといえば、どうでしょう。少なくとも、僧侶同士の会話で「僕はずっと古典仏教をやっています」「僕は、最初は古典仏教から入ったんですが、今はコンテンポラリー・ブッディズムに転向しました」とかいう話は出てきません。みんな一緒くたに「僧侶」で終わってしまっています。

僕が最近、自分のことを「僧侶です」って名乗ることに違和感があったのも、多分この辺りの問題が関係しているんだろうと思います。「僧侶です」と名乗るのが、「アーティストです」と名乗るのと同じようなもので、それだけだと幅が広すぎるんですよね。でも、アーティストの場合は「それで、どんなアートをやっているんですか?」という質問が来るので、「油絵をやってます」「現代アート寄りの活動をしています」みたいにもう少し詳しく語ることができるんですが、僧侶の場合は「はいはい、法事とかお葬式でお経を読む人ね」という具合に、そこから想起されるイメージの幅が狭すぎるんですね。なので、僕の場合はそのイメージと自分のやっていることが乖離しすぎていて、これでは自己紹介にならないな、と感じているのだと思います。

その点、自分は広い意味では仏教をやっているのは確かだけれど、その中でも「現代仏教=コンテンポラリー・ブッディズム」の領域に寄った活動をしているんだ、という風に自己認識すると、だいぶ収まりがよくなりそうです。もっとも、現代仏教と対比される古典仏教が意味するものが何なのかは、それこそ人によってずいぶん異なるでしょう。古典仏教=原始仏教・初期仏教と捉えるならばタイやスリランカの上座部系の伝統を思い浮かべるかもしれませんし、日本国内に限っても古典仏教=祖師への回帰を志向する仏教を想起する人もいるでしょう。あるいは、もっとふつう一般のイメージだと古典仏教=葬式仏教、それがどれほど歴史的な意味で古典的かは置いておいて、法事や葬式でお経を読む葬式仏教を思うのかもしれませんね。


いずれにしても、自分のやっている分野を「現代仏教」と表現することで、それら古典仏教とは何かちょっと違うことをやろうとしているのだなというニュアンスが伝わるので、多少は居心地が良くなりそうです。なぜそういう風に区別をしたいかというと、何か自分を他のお坊さんと区別して違うものとして見せたいとかいう自意識からではなくて、実利実害の面からです。「私は僧侶です」「私も僧侶です」という大雑把なコミュニケーションでは、僧侶同士で大きなすれ違いが起こります。それぞれ異なる「僧侶とはかくあるべし」という思いから、「あいつは僧侶のくせに、なんだ」という軋轢が生まれやすい。その点、「現代仏教の方をやらせてもらってます」とはじめから伝えておけば、まぁ、古典系のお坊さんから良い印象は持たれなかったとしても、「違う分野の人」として認識してもらうことによってストレスは多少軽減しそう。

「ひじり」というのも、いわゆる葬式仏教とはちょっと違う分野で活動する僧侶というニュアンスを表現したいから使っているのですが、そもそも「ひじり」というのが一般に馴染みがないことと、仏教世界ではそれはそれで「ひじり」の伝統があるため、これまたちょっと難しいなと思っていたんですよね。

早速、プロフィールの「僧侶」を「現代仏教僧」に変えてみよう。英語版は「Contemporary Buddhist」。これで意味、通じるのかな。とにかくしばらくこれでやってみたいと思います。

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このnoteマガジンは、僧侶 松本紹圭が開くお寺のような場所。私たちはいかにしてよりよき祖先になれるか。ここ方丈庵をベースキャンプに、ひじ…

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