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観音する

先日、山形出張合宿に行ってきた。産業僧として関わっている、クライアント企業の社長と、少人数の若手リーダー社員、そして、産業僧事業を一緒にやっているサイエンティストチームの、総勢8名だ。庄内ではちょっと有名な水田テラスに泊まり、イタリア語のように聞こえる庄内弁を名前とするレストランに行き、羽黒山に参拝。仕事と呼ぶにはお楽しみ要素がずいぶん多いようにも思うけれど、楽しいからこそ発想も広がるわけだし、それでよかったのだろう。

自分はワークショップのファシリテーター役だったのだが、今回はあえて、ほとんど何も、ワークショップを考えずに、その場に臨んだ。その場に集った人が発するエネルギーに従って、自然と何かが生まれるような気がしたからだ。テンプルモーニングラジオでも台本を作らないように、最近は色々なことを、台本なしでやることが、面白いと感じる。ワークショップなのに、ファシリテーターがその場で進行しなければ、当然ながら、参加者はみんな戸惑う。しかし、その戸惑いこそが、思いがけないものが生まれる源でもある。

クライアントワークで「何も準備をしないファシリテーター」をやるのは、勇気が要る。社長まで呼んできて「で、この合宿って、何の合宿だっけ?」というクライアントからの問いかけに「いえ、特に目指すべきゴールも、達成すべき目的も、ありません。でも、きっと何かが生まれると思います」と答えるのは、人によってはふざけているとしか受け止めてもらえない可能性もある。

しかし、僕は今回、クライアント企業のT社長の、その許容範囲の広さを信じてみることにした。結果、みんなでやりながら、新しいワークが誕生する、とても創発的な研修になった。

T社長のマネジメント感覚は、極めて独特だ。業績の右肩上がりの成長とか、社員のあるべき規範の設定とか、考えていない。「マネジメント=管理」しようとしていない。一体このT社長は会社の何を見て、社長業をやっているのか。と、注視してみたところ、どうやらT社長は「会社全体のエネルギー」を見ている様子であることに気づいた。

ワークショップの中で「こんなタイプの社員、いるよね」という社員のタイプ分けワークのようなものをやったのだが、確かに、T社長も「この社員はこういうタイプだ」という話はするのだけれど、興味深いことに、それに対して「いい社員」「悪い社員」というような価値判断は、決してしようとしない。

T社長は、若手社員たちがワイワイと話しながら議論して出てきた、社員の多様なタイプ分け付箋が貼られた模造紙を俯瞰的に眺めながら、そうした社員の関わりから組織全体としてどのようなエネルギーが生まれ、それがどこに向かっていくのかということを、大掴みにしようとしているようだった。

普段からそのようにエネルギー視点で会社組織を見ているT社長にとって、経営とは組織のエネルギーを導くことにほかならない。それは、数字や組織構造を弄ってクリアカットにできるものではなく、常に連続性のある波乗りのような営みだ。

組織のエネルギーが停滞していると感じる時、T社長は、あえて社員の皆を揺さぶるような「台風のような」施策を打つ。人によってはついていけなくて、どこかに飛ばされていってしまう人も出ることもあるが、それも覚悟の上で、あえて組織に混乱の種を投げ入れる。「どんなものも、線的には動かない。エネルギーの動きは、螺旋でイメージしている。持って行きたい方向に、螺旋を導いていく」のだと、T社長は言う。

この会社が「変わった会社」と言われることが多いという、その理由がわかった気がした。

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