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ウェルビーイングを表す仏教語「安養」

ウェルビーイング(well-being, wellbeing)という言葉を見かけることが増えました。
政策、ビジネス、教育、医療といった様々な領域において重要な概念として取り扱われるようになっています。
しかし、適当な日本語の訳語が見つからず、混乱も招いているようです。

そんな折、ウェルビーイングの訳語にぴったりな言葉を仏教語に見つけましたので、ご紹介します!

ウェルビーイングの定義と現在

ウェルビーイングという概念はサステナビリティと並んでこれからの社会を考える上で欠かせない中心的な概念になりつつあります。
それが宗教の領域においても当てはまることは、北海道大学の櫻井義秀先生の記事によくまとまっているので、ぜひお読みください。

ウェルビーイングの基本的な概念は、一般にはこのように通用しています。

「ウェルビーイング」(well-being)とは、身体的、精神的、社会的に良好な状態にあることを意味する概念で、「幸福」と翻訳されることも多い言葉です。1946年の世界保健機関(WHO)憲章の草案の中で、「健康とは、病気でないとか、弱っていないということではなく、肉体的にも、精神的にも、そして社会的にも、すべてが満たされた状態(well-being)にあることをいいます(日本WHO協会:訳)」と用いられています。

しかし今のところ、ウェルビーイングの適切な日本語の訳語は定まっていないようです。

ウェルビーイングの定義に関して最も重要なステートメントは、WHO(世界保健機関)の憲章前文だと思われます。
WHO(世界保健機関)はその憲章前文のなかで、「健康」を

「完全な肉体的、精神的及び社会的福祉の状態であり、単に疾病又は病弱の存在しないことではない。」
"Health is a state of complete physical, mental and social well-being and not merely the absence of disease or infirmity."

と定義しています。

実は、平成10年のWHO執行理事会(総会の下部機関)において、WHO憲章全体の見直し作業の中で、「健康」の定義を

「完全な肉体的(physical)、精神的(mental)、Spiritual及び社会的(social)福祉のDynamicな状態であり、単に疾病又は病弱の存在しないことではない。」
"Health is a dynamic state of complete physical, mental, spiritual and social well-being and not merely the absence of disease or infirmity."

と改正する案が議論されたことがあるそうです。”Dynamic”と”Spiritual”という単語が追加されたのが画期的でしたが、その時点では議決までは至らず、幻の改正案となったそうです。20年前でなく今なら、議決されたかもしれませんね。

世界的な潮流としても、GDPという経済的指標だけで国の豊かさを測ることはできないことがリーダーの共通認識となりつつある中、一人一人の国民の「持続的な幸福度」であるウェルビーイングを高めていくことが大事なのではないかと言われるようになっています。

ニュージーランドのジャシンダ・アーダーン首相は、2019年1月のダボス会議(世界経済フォーラム)にて「経済的な幸福だけではなく、社会的な幸福にも取り組む必要がある」と述べ、ウェルビーイング予算の計画を世界に打ち出しました。

WIRED誌では2019年に最も読まれたトピックの一つが、ウェルビーイングだったそうです。


ウェルビーイング=「安心」案

このウェルビーイングという概念を、どのように日本で受容できるのか。本来の意味合いを矮小化することなく、むしろ意味合いにさらなる豊かさを付加するくらいの気概で、ちょうどいい日本語はないものか。たとえば、身近な仏教語の中にはないだろうか?

これまで考えた中で、一つピンと来たのが「安心」という言葉です。未来の住職塾の塾生仲間から「ウェルビーイングとは、仏教で言うならば、安心(あんじん)ではないかと思いました」というコメントをいただき、なるほどと腹落ちしたのです。

確かに、一時的・表面的な束の間の心理状態ではなく、より深いレベルでの持続する心理状態を表す点や、他者のモノサシで評価されるものではなく本人の主体的な感覚が尊重される点、あらゆるレベルでの幸福や満足を含み込むニュアンスを持つ点など、まさに「安心(あんじん)」のひとことでウェルビーイングに近い概念を表現できるなと思いました。

ただ、「ウェルビーイング=安心」と表現してしまうと、仏教的な「安心(あんじん)」のニュアンスに親しんでいる人には良いですが、安心(あんしん)があまりにも身近な言葉で「気にかかることがなく心が落ち着いていること」という意味が定着していますので、これはこれで難しさも感じました。

「安心(あんじん)」

「安心(あんしん)」

「安心」の意味が伝わったとしても、ウェルビーイングのMentalやSpiritualな側面はいいとして、PhysicalやSocialな側面をも包含するのは、やや無理があるように思います。

ウェルビーイング=「養生」案

一方、私の友人の医師、稲葉俊郎さんが提唱されるのが、「養生」という概念です。

稲葉先生は、西洋医学ばかりでなく伝統医療や補完代替医療も広く修め、また、伝統芸能、芸術、音楽、民俗学、農業などにも医療との接点を見出し幅広く活動されています。今、命を語る医師として注目を集めており、「治療を目的にした医療に頼りきりになるのではなく、自らの健康を保つ養生という考え方をもっと大切にするべき。そして、その養生の場として、古来あるお寺や温泉は最適だと思う」と発言されています。

私はウェルビーイングを表す日本語として、「養生」はかなり良いのではないかと感じました。健康を長い目で捉える時間軸と、環境との関わりによって捉える空間軸、その広がりがとてもしっくり来ます。

「養生(ようじょう)とは、本来のあるべき姿でいられるよう、保護をすること。 対象が人の場合は、健康に注意して元気でいられるように努めること、病気や怪我の回復に努めることという意味になる」

「養生」という考え方は、老荘思想に由来するみたいです。

後漢時代の中国では、戦争が相次ぎ、世が乱れ、世俗的になっていた。そうした世俗的な世から逃れるために隠遁を重視したり、無為自然を重視する老子や荘子などの思想が盛んになり、その動きの中で、過度な飲食を慎み、規則正しい生活を重視した養生という考え方が生まれた。その後、養生は、疾病予防、強壮、老化防止などの手段として医学に取り入れられていった。

こうしてみると「養生」は良さそうですが、PhysicalやSocialな側面はいいとしても、MentalやSpiritualな側面を表すのに、少し弱いような気がします。

ウェルビーイング=「安養」案(本命案)

「安心」と「養生」、どちらも良いけれど、帯に短し襷に長し。

ならば「頭文字を合わせたらどうか?」と思いつきました。

安+養=安養。

「安養(あんよう、または、あんにょう)」は日常生活であまり見かける言葉ではないけれど、仏教世界では割と良く見る言葉です。

安養寺というお寺も、浄土系のお寺にたくさんあります。

それもそのはず、「安養」は「安養国」「安養浄土」などでもわかるように、極楽の別名であり、阿弥陀仏は安養仏とも言われます。

そのため、「安養」は浄土真宗で日常的に読まれる正信偈にも登場します。

「安養界」は、心が安らかとなり、身が養われる世界ということなので、言ってみれば、ウェルビーイングが完全に実現された世界と言っても良いでしょうか。

真宗学においては、「安養」という言葉が、親鸞聖人の顕浄土真実教行証文類の序の部分に「竊かに以みれば、難思の弘誓は難度海を度する大船、無碍の光明は無明の闇を破する恵日なり。しかればすなわち、浄邦縁熟して、調達、闍世をして逆害を興ぜしむ。浄業機彰れて、釈迦、韋提をして安養を選ばしめたまえり」と出てきます。浄土真宗で大切にされる韋提希の救いの箇所です。

また、仏教学の先生にも尋ねてみたところ、「金光明最勝王経」の中に「白佛言世尊。於諸國中。爲人王者。若無正法、不能治國、安養衆生。及以自身長居勝位。」という用例があることを教えてもらいました。ここでは「衆生を安養する」と動詞として読めるので、少し幅を持った使い方もできそうです。

今後、私ももう少し「安養」という言葉の理解を深めていきたいと思いますが、ぜひあなたのご意見もお聞かせください。


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