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2022 年末に寄せて

今年、安倍首相暗殺のいたましい事件を契機に、旧統一教会と政治の癒着、さらには、そのカルト性が生み出す問題の深刻さに世間の注目が集まった。

私の見るところ、組織のカルト性とは、関わる人を他から孤立させ、その組織とのつながりを唯一の依存先にさせようとする力学の強度である。その視点からすれば、カルト化するのは宗教組織だけではない。高い理想を掲げて社員を熱狂へと導くベンチャー企業のパーパス経営しかり、あらゆる集団がカルト化しうる。SNSの広がりからエコーチェンバー効果やフィルターバブル現象が強化される現代では、なおさらだ。

あらゆる依存(attachment)から自由になる道を説いたのが、他ならぬ釈迦牟尼ブッダだった。その意味で本質的に仏教は、脱カルトを指向している。依存から自由になるとは、依存しないということではない。存在は根源的に相互依存のうえに成り立つ。問題はむしろ、他に依存できぬまま自力の内に固執してしまうことだろう。依存しながらも執着をせず、変わりゆく状態に応じて新たな展開を迎え入れる、開かれた器でありたい。しかし、つながりにこそ生きる喜び(そして悲しみ)を感じる私たち人間にとって、一切の執着から離れる悟りの道は容易ではない。


では、どう生きればよいのか。残された道は、唯一ではない複数の依存先の間でできるだけ正気を保ちながら、中道を探ること。2022年、この世を去った偉大な僧侶、ティック・ナット・ハンは「Human-being(人間)は、Inter-beingである」と説いた。他者との関わり合いによって正気を失う私が、正気を取り戻すきっかけもまた、他者との関わり合いなのだと思う。


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このnoteマガジンは、僧侶 松本紹圭が開くお寺のような場所。私たちはいかにしてよりよき祖先になれるか。ここ方丈庵をベースキャンプに、ひじ…

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