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念仏サバティカル

『グッド・アンセスター』の著者、友人のローマンにメールを送ると、たいてい、数秒も経たずに返事が来る。もちろん、ローマンがいつもメールに張り付いている訳ではない。自動返信メールで、こんな感じの文面がテンプレートで送られてくる。

Hello! I'm on a writing sabbatical in 2022/23. Unfortunately this means I can only respond to urgent messages and am only doing a very limiited number of public talks and interviews. Best wishes and apologies.
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こんにちは!2022-2023年、私は執筆期間にあります。つきましては、返信は至急のご用件のみとさせていただき、極限られたトークイベント・インタビューにのみ対応しております。申し訳ありません。ご理解いただけると幸いです。

日本人にはあまり馴染みがないかもしれないが、この手の自動返信メールは、欧米の人はかなり一般的に使っている。ローマンの場合は、2年間のサバティカル(自分の研究や執筆に専念する期間)のことが書かれているが、夏の長期バカンスや年末年始の休暇などでオフィスを離れる時にも、こうした自動返信メールはよく使われている。

これを是非、僕も真似したい。

なぜ真似したいかといえば、自分の日々に、もっとゆとりが必要だと思うからだ。もちろん、本当に大事と思う仕事に集中するように心がけてはいるのだけれど、それでも、これまで日々いろんな物事が流れ込んでくるのに対応することに精一杯で、なかなかゆとりを作ることが上手に出来てこなかった。

その理由の一つには、大学卒業して以来、ずっと、個人事業主だったということがある。会社員と比べ、雇われ僧侶の立場は安定しない。ましてや、自分のような「寺なし僧侶」の場合は、なおさらだ。幸い、光明寺というご縁に恵まれたおかげで、「にっちもさっちも行かなくなったら、最後は帰るところがある」という安心感を持つことができたので、今日までいろんなチャレンジをしてきた。とはいえ、兎にも角にも自分でやっていくのが基本だから、どうしても「やってくる案件を断ること」ができずに、今日まで来た。断ったが最後、仕事が来なくなるのではないかという、恐怖がいつも、付き纏うのだ。これはおそらく、多くの個人事業主(あるいは零細企業の経営者)が経験している感覚ではないかと思う。

しかし、ゆとりがなければ、どうしても視野が狭くなる。忙しすぎて日々のタスクを回すことに忙殺されると、目の前のことしか見えなくなってしまうのが、人間だ。確かに、ヒマな人は皆視野が広いかといえば、必ずしもそうではない。しかし、忙しすぎると感性が鈍り、思いがけないことを受け入れるキャパシティが減り、視野が狭くなることは、確実に言えると思う。

実際、これは個人事業主に限らないだろう。産業僧をやっていて感じるけれど、働く日本人があちらでもこちらでも疲弊している。日々の仕事を必死に回し、日々の生活を成り立たせることに精一杯で、全くゆとりのない人が多いと感じる。そして、僕も人のことは言えない。

最近、たまたま2つの異なるオンライン勉強会に参加したところ、どちらも気候変動に対する日本のイニシアチブの弱さが取り上げられていた。科学者や政治家や財界人の間で「なぜ日本はこんなに気候変動を含めたグローバルな課題に対するコミットメントが低いのか」という議論が真剣になされていたが、ふと僕が思ったのは、「一般市民が忙しすぎて疲弊しているからだ」という考えだ。

「欧米では政治家だけでなく幅広いセクターや階層の人を巻き込んで、重要な政策を議論し、意思決定している」と言われても、日本の感覚だと、はっきり言って、私たち庶民は生活を成り立たせるのに精一杯で、そんな暇はない、ということになってしまう。

日本は世界の国の中でも、労働生産性が低いことで有名だ。結果、低賃金で長時間労働、休日にも意識を切り替えられないプレッシャーの中で、かなり多くの人が、”閉じた系”の中に閉じ込められている。そうなれば、近視眼、短期思考、にならざるをえないし、先祖のことや、自然のことなど、考えるゆとりも無くなるのは、無理もない。

そう考えると、労働生産性を高めること、つまり、賃金を上げ、労働時間を減らし、市民がゆとりを持つことこそが、実は日本の気候変動への取り組みの促進や、民主制の成熟のためにも、最も重要なことなのかもしれないと、思ったりする。

話は脱線したが、冒頭のローマンの「サバティカルメール」を真似したい。

自分の場合は、サバティカルの理由を何にするか。確かに、本を執筆したいと思っているので、ローマンと同じでも良い。でも、ちょっと捻りを加えたい気もするし、そもそも、目的や期間を限定するのではなく、もっと根本的に生き方を変えようと思ったときに、どんな判断軸がありうるのだろうか。

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