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Post-religionトーク(臨済宗 円覚寺・横田南嶺老師)

2021年春
post-religion対談:鎌倉 臨済宗 円覚寺派 管長 横田南嶺老師 × 松本紹圭

*本対談は、Youtube動画でもご覧いただけます。記事末尾よりご覧ください。

プロフィール|横田南嶺老師
1964年和歌山県生まれ。鎌倉 臨済宗 円覚寺派 管長。花園大学総長。1987年筑波大学卒。在学中に出家得度し、卒業と同時に京都建仁寺僧堂で修行。1991年より円覚寺僧堂で修行、1999 年円覚寺僧堂師家に就任。著書に「十牛図に学ぶ - 真の自己を尋ねて」(致知出版社)「仏心のひとしずく」(春秋社)「二度とない人生だから、今日一日は笑顔でいよう」(PHP研究所)他多数。

現在、YouTubeにて仏教、禅の一口法話やゲストを招いた対談、日々の管長日記を配信中。
▼円覚寺
https://www.engakuji.or.jp/
▼YouTube|臨済宗大本山 円覚寺
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フナイ202107月号_横田.松本


松本
横田老師には、昨年末(2020年12月)にPodcast『テンプルモーニングラジオ』へトークゲストでお越しいただいて、それがあっての今回の対談のご縁となりました。本日は、よろしくお願いします。


横田老師
こちらこそ、よろしくお願いします。

今回、松本さんとお話しさせていただくにあたって、松本さんから思い起こされる谷川俊太郎さんの詩に、こんなものがあります。

「本当のことを言おうか
 詩人のふりをしているが
 私は詩人ではない」(詩:谷川俊太郎)

これは深い言葉でして、私からすると松本さんは「お坊さんのふりをしているが、お坊さんではない」と、そんなふうに思うんですね。住職ではない松本さんの、お坊さんとしてのあり方は興味深いものがあります。

北海道は小樽のお生まれと伺っていますが、そもそも仏教に触れるきっかけとなったのは、住職をされていたというお祖父様の存在が大きかったのでしょうか。


松本
そうですね。小樽の市内から少し外れた、漁村のようなところに生まれました。実家はお寺ではありませんが、近くに住む母方の祖父が、浄土真宗 真宗大谷派の住職をしていましたので、お寺に近いところで育ちました。


横田老師
そうでしたか。私は、幼い頃に抱いた「死への問い」を追い続けて今日まできたようなところがあります。松本さんも、幼少期に死への関心をもたれていたと何かで読んだ記憶があります。


松本
そうですね。幼稚園に入る頃だったか、「人は死ぬんだ」という現実をなんともなしに知って、突き付けられたようでした。「死んだらどうなるんだ」「人はどこからきて、どこへいくのか」そして、「みんな死ぬというのに、そのことにアタフタしているわけでもないのはなんなんだろう」という疑問と不安を覚えたのを記憶しています。「死」を怖がるのと同時に、「生」をどう捉えて、限りがあるらしい人生をどう生きていったらいいのかといことが自分にとっての大きな問題になりました。


横田老師
その感覚は、私も共通したところがありますね。2歳の頃に祖父が亡くなりまして、そこで、人はいずれ亡くなり火葬場で焼かれるのだということを知りました。それについて周りの大人たちが普通にしているのはなぜだろうと疑問をもったのが、私の記憶の始まりでもあります。その疑問を持ちながら、後に様々な書物をあたっていくのですが、松本さんは何か印象に残っている書物との出会いはありましたか。


松本
生死について不安を抱いていた小学生の私に、住職である祖父がいくつか本を渡してくれました。なかでも鈴木大拙の『無心といふこと』が印象的です。文体も古く当時の私にはとても難しかったですが、「何か大切なことがここに書いてあるぞ」という感覚を得たんですね。ただ、その後その世界だけに夢中になっていたというよりは、中学、高校と進むうちに、東洋だけではない西洋にも何かありそうだと、哲学への関心を抱くようになりました。東京大学への進学は、生まれ育った北海道の外へ出る口実でもありましたが、進学にあたっては、幼い頃から抱いていた「いかに生き、いかに死ぬか」という哲学、思想、宗教といったことを学ぼうと哲学科を選びました。


横田老師
そうですか。私も、幼い頃の死の疑問から離れられずに、宗教書や哲学書を読んだり、天理教や報恩講*1 を尋ねるなど様々をあたりました。そうした中で、「ここには、解決に導く何か他とは違うものがある」と、禅の世界に出会ったのが小学5年生の時でした。その後も、進学(受験)や就職といった、社会的な "人生の節目"を迎えても、「いずれ死ぬのになぜ競争するのか」という疑問から、頑迷にも坐禅をし続けたのが私です。

*1 報恩講:浄土真宗の宗祖親鸞の祥月命日の前後に、阿弥陀如来と親鸞への報恩謝徳のために営まれる法要のこと。

松本さんは、大学を卒業されてお坊さんの道を選ばれたのですよね。


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松本
就職活動をはじめた頃は、お坊さんになることは頭にありませんでした。周りの学生と同じように、民間企業か公務員もしくは大学院という選択肢の中で、広告代理店への就職を考えた時期もありました。ただ、10年、20年後の姿を想像すると、そこに向かいたいと思えなかった。同時に、大学2年の頃に他界した祖父が生前、「圭介(本名)がお坊さんになって仏教界を変えてくれたら」と言っていたというエピソードを耳にして以来、その言葉が自分の中に残っていたのか、気付くと仏教やお寺をいかに世に届けるかということを考えるようになっていました。お坊さんになる道は、先が想像できないということも、歩んでみたいと思わせる動機となりましたね。


横田老師
そうして、卒業後は浄土真宗本願寺派の神谷町光明寺に向かわれるわけですが、幼い頃から抱いていた死の問題の解決が、親鸞上人の教えにあると思って浄土真宗を選ばれたのですか?


松本
いいえ、そうではないですね。親鸞さんの教えは、確かに親しみやすいところにありましたが、そもそも宗派というものに特別なこだわりがありませんでした。どこか、仏教という世界にあって、宗派は沙婆のお話のように感じられたんです。祖父が住職をしていましたので、そもそも私にとってお寺は庫裏(住職の居住スペース、台所)から入る場で、生活の延長にありました。冷めているように聞こえるかもしれませんが、「お寺」や「宗派」といったものにドラマを見ていなかったところがあります。親鸞上人の教えや仏道に生きることは、お坊さんにならずとも出来ることですが、それでもあえて、社会で言われるところの「仏教の担い手」になろうと弟子入りをし、ゆくゆくは、その改革にも携われたらと、どこか起業家精神のようなものも当時の気持ちに含まれていたように思います。

そういう意味でも、「なぜ浄土真宗なのか」に答えるとすれば、やはり縁としか言いようがないですね。大学時代からの同級生でもある小池龍之介さん(元 浄土真宗僧侶)とのご縁もあって、光明寺に住み込みで入ることになりました。


フナイ202107月号_松本


横田老師
私の場合は、「禅と念仏は究極だろう」と思いながら、様々な仏教思想家や僧侶の影響を受けて中学・高校時代を過ごしました。当時の私は、親鸞上人の仰る「最後はすべてお任せする」というところには、とても至れそうにないと思いましたね。学んでも学んでも、飛び込むことはできない世界でした。歳を重ねればいつの日か、究極のそこへ辿り着けるかもしれないが、今はとても無理だと。けれど禅であれば、その手前で自分にも出来ることがありそうだと思ったわけです。そうしてご縁もあって、今私は禅宗にありますが、大乗仏教の究極はお念仏にあるだろうと思っています。ですから親鸞上人の念仏の教えは、今も親しみをもっています。広く世に広めるということにあっては、親鸞さんの教えは向いているかもしれませんね。


松本
浄土真宗や親鸞さんの教えは、一見広まっているように見えますが、本当のところ何をいっているのかを捉えるのは難しくもあり、問いながら深めていく世界なんだろうと思います。「お念仏を唱えれば救われる」ということでもないー。23歳で仏門に入った私にわかるものではありません。祖父の影響で親鸞さんの教えが身近にあったというのは前提にありますが、これだけ長い歴史を通して受け継がれ、人々が魅力を感じて参照してきたという、そこには "何か" あるのだろうと、そんなふうに思っていました。

その後、仏門に入り学びを深めるわけですが、法然上人が「智者のふるまいをせずしてただ一向に念仏すべし。」と仰るものの、実際には語られるものが多く、頭でっかちのようにも思われました。そこを軽やかに乗り越えて、日常の暮らしの中で教えの真髄を生きた人々を綴った『妙好人』には、惹かれます。


横田老師
東日本大震災の際は、何も力になれないようにも思えたお念仏こそ、被災された方々に求められ、気付かされるものがありました。時に、教えや坐禅が必要なこともありますが、深い苦しみを前に、悲しみと共に手を合わせ、一心に回向(えこう)する*2 、そのことのもつ力を再認識しました。

*2 回向:お経やお念仏の功徳 ( くどく )、自分が積んだ善根の功徳を、ご先祖さまや亡くなられた方のために「回し向け」てご供養すること。

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松本さんの提唱される「お寺は二階建て論」に照らせば、お念仏や法要といったものは一階の「先祖教」に当たりますが、理屈ではなく求められるものが、この一階にはありますよね。


松本
そうですね。「お寺は二階建て論」での二階部分は、今(=瞬間という永遠性)を生きて耕す「仏道」に当たりますが、ここに関心をもたれる方の多くは、禅的な部分(マインドフルネスや坐禅瞑想など)に魅力を感じておられると思います。日常でハマり込んでいたことから離れ、正気に戻る瞬間を得たり、それぞれの深さで何かしらの気付きを得ている。とはいえ、日常に戻ればふたたび凡夫(ぼんぶ)*3 に戻り、正気を失いがちなのが私たちです。そこには往々にして、人々の生きる「意味」を求め続ける「生」のあり方が伺えます。

*3 凡夫:煩悩と迷いが消えず、欲望、怒り、妬みなどが心にある愚かな者

一方で、これまでお寺の一階部分は、ご先祖様との繋がりの上にある「生」を与え続けてくれました。私という存在は、今日まで続いてきた命を受け継ぐ、その一点であるということ、そして次世代にバトンを渡していく、そこに自ら立っているということ。人生は、私一人の個に閉じたものではないのだという、大きな命の繋がりを感じるスペースがお寺の一階にはあるのではないでしょうか。


横田老師
単なる先祖供養ではなく、大きな命を感じる場ということですね。


松本
はい。それに気付かせてくれたのが、昨年、海外のオンライン会議に参加した際に出会ったRoman Krznaric氏の著書『Good Ancestor(よき祖先)』です。自分の先祖がどうかという話ではなく、未来の世代の目に、自分たちが「よき祖先」として映るかということ。時代は閉塞感に満ちていますが、それは同時に、自分の人生が、自分という個に閉じ込められている閉塞感でもあると思っています。そこに閉じ込められてしまうと、どんなにSDGsを掲げて地球規模の問題に取り組もうにも、恩恵を受けるのは "自分ではない" ということが立ちはだかります。自分という人生に閉じず、意識を拡張していくような視座がないことには糸口は開かれていきません。Roman氏のいう「deep time(悠久の時間)」に自らを紐付けることのできる空間こそ、お寺の一階部分ではないかと。「今ここ」に意識を向ける二階と、「時間軸を拡張する」一階というように、二階建ての構造を捉えることもできると思います。


横田老師
次の世代のために種を撒いておこう、畑を耕そうという見方ですね。日本は農耕民族ですから、元々連関の中に生きてきました。松本さんは、これからその『Good Ancestor』を日本語に翻訳されるのですよね。楽しみにしています。

一階部分について、「先祖教」に代わるいい言葉がないでしょうかね。


松本
そうですね。「先祖教」という表し方も一つの側面としてありますが、「先祖」といった時、これまで私たちは過去を向いてきたわけです。それを、自分たちが先祖になることも含めて未来にも軸を引き伸ばす。過去も未来も無限に見通していくような「deep time」として再定義していきたいですね。そういった意味で、より相応しい表現を見つけたいと思っています。


横田老師
ぜひ、新しい言葉をつくっていただきたいなと思いますね。少し視座を変えるだけで、随分と変わってくると思います。


松本
このことは、実は、お寺のマネジメントにも関係してくるんです。例えば、若い住職やお坊さんたちがお寺の改革をしようという時、総代さん方*4 の了承を得られずに進められないということがよくあります。お寺や地域社会の今後について語る時、予測できる状況を踏まえた上で、自分の孫たち、地域を駆け回る子供たちに何を遺せるか、どうすることが、彼らが大人になった時に喜ばれることかといった視点で投げかけると、理解を示していただきやすくなったりします。次世代を勘定に入れて考えるということ、ものごとを捉えて意思決定をする時、その場に未来の世代を招き入れるということは、非常にパワフルだと思います。

*4 檀家の代表であり宗教法人の責任役員である場合が多い。

フナイ202107月号_松本2


横田老師
松本さんの思想の中で大事なキーワードとなるのが「post-religion」と思いますが、いつ頃からこの言葉を提示していらっしゃいますか。


松本
2-3年前になりますが、もっと以前から自分の中にそうした感覚はありました。「religion」とう言葉は明治時代に西洋から入ってきて、そこに「宗教」という言葉が当てられました。そうした新しい概念が入ってきたことで、仏教は宗教に値するのか、それとも哲学なのかといった様々な議論が湧き起こりました。日本は元々、神さま仏さまが混然となって共存しながら、信者であるかそうでないかを問うこともなく、人々の心には信仰があったかと思います。

そもそも「宗教(religion)」とは、アブラハム系の一神教の世界観からやってきた概念で、「固く結ぶ、再び契約する」といった意味合いをもって使われる言葉です。それは、日本古来の神仏共存の世界観には無かったものですが、仏道も神道もあらゆる信仰が、気付けば「宗教」という、何か一つと深く繋がり、縛られるという新しい概念にハメられ、そして自らハマりこんできたとも言えます。

仏教を預かるお坊さん自身も、数多ある宗教の一つとして仏教を捉え、どの宗派に属する人間であると言ったアイデンティティをもつようになりました。私自身は、どの宗教の、誰の、どの宗派であるということと、何を旨として生きるかということにあまり強い関連性をもたせていません。ただ、一般的には、仏教の世界をもってしても、そのような枠をもって見られるようになりました。

そうしてお坊さんたち自身、宗派という属する組織の力学がはたらくの中で、自らの思想や話す言葉、放つ声が、組織の一員としての振る舞いになっているところがあるようにも感じています。

それは、宗教であれ企業であれ、あらゆる組織でみられる現象で、そうした構造が、社会全体の閉塞感を生んでいるのではないかと思います。そこをいかに生きていくかと、別の見方を提示していくところにこそ仏教の智慧が大きくはたらくはずであるにもかかわらず、仏教を預かる人たち自身が、同じような組織の罠にハマってしまっている現状があるのではないでしょうか。

そもそもは生きるための智慧のはずが、組織の論理や力学がはたらくと、ものごとを数で計り始め、いかに信者を獲得するかという成果目標の世界観へと向かっていきます。こうして、宗教が本来のあり方から離れてきたのと同時に、これは世界的に起きている潮流として、「spiritual but not religious」というように、人々の意識が教団宗教に属することから、自らの心を耕すことや精神的な智慧を求めるspiritualityへと移ってきています。「宗教」という概念が次なるところへ移行していく、その流れを捉えて、私は「post-religion」 という言葉を使っています。

宗教を預かっている私たち自身、人類のspiritualityが向かう方向へと合わせていく必要があるタイミングではないかと思っています。


横田老師
私たち組織の人間は、どうしても組織の維持と拡張を求めがちで、なかなかそこから抜けるのは難しい現実もありますね。


松本
そこは、動機によるものも大きいかと思います。宗教が稼業になっている場合、どうしても宗教が「手段化」していってしまう。宗教的他者との関わりが手段化されたところにある、"貧しさ" や "悲しみ" のようなものを感じています。本来の喜びは、「それをもって飯を食える」 というところにはないですよね。それは、宗教者の声にも現れることを、podcastでの対話を通じても感じてきました。専業で宗教を扱っているが故に、出しにくい声があるのだろうと思います。

先ほど触れた『妙好人』に綴られるような、宗教の組織性とは離れたところにある人々の、暮らしやあり方に現れてくる "抑えようのない宗教性" の源は、決して手段化されたところではありません。ですから、これからのpost-religion時代、信仰というものは、プロではない、専業ではない人々が担っていくのではないだろうかと、個人的には予感しています。


横田老師
確かに、組織の弊害や閉塞感は否めませんが、誰もが所属から解かれて「ひじり」のように活動できるかというと、そういうわけにもいかない現実がありますね。松本さんも、組織を否定しているわけではありませんよね。


松本
はい、決して否定しているわけではありません。「post-religion」 という言葉は、あくまで時代の流れを表現したものであって、何か、宗教に代わる目指すべきビジョンを提示しているものではないのです。


横田老師
伝統の枠がありながら、風通しのよい開かれたところに自らがある。枠がありながら、それに囚われない生き方を目指すということなのでしょうか。


松本
今あるものをすべて捨てて、違うものになりましょうと言っているわけではありません。ただ、それぐらいの気持ちをもって、取り組んでみてもいいかも知れないとは思います。そうして強い気持ちをもって動いた結果、同じところに還ってくるということはよくあることです。ただ、戻ってきたときには、恐らく自由自在に往来ができるようになっている。そこにいてもいなくても、どちらでもいいという状態です。そうすると少なくとも、手段化するところに宗教を収める必要はなくなっているのではないかと思います。そのように自らがあることが、「接するとなんとなく心が軽くなる」というようなところに、立つことになるのではないでしょうか。それこそが、閉塞感のある時代に求められる宗教の価値のようにも思うんです。


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横田老師
冒頭に、松本さんのご紹介にあたってお話しした谷川俊太郎の「詩人のふりはしているが私は詩人ではない」というの詩の意味は深い。詩人ではないものを持ち続けているからこそ、彼の詩は光っているんだろうと思います。私たちも、どの宗教のどの宗派に属する僧侶の身でありながら「実は私は僧侶ではない」ということを自覚しているかどうかは大きいと思いますね。その自覚があれば、たとえ組織の中にあっても、閉塞感はないだろうと思うのです。

松本さんは、僧侶と呼ばれることに違和感があるとどこかで仰っていましたが、違和感を持ち続けているということが、大事なのではないでしょうか。


松本
何をもって僧侶なのか分からないのです。分からないままにやっています。


横田老師
答えが出たら、それがまた枠になるわけですから、出ない中で彷徨っているわけですよね。怯えながら彷徨うのではなく、「大きな安心の中で彷徨い続ける」ということ。重要なのはここではないかと、最近私は思っているところです。

そのように分からない中で彷徨いながら、今、2021年を迎えて、どのようなことを考えていますか。


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松本
これまで、仏教を通じて色々なことを学んできました。縁起や空といった大乗仏教の基本となる世界観、そして、ティクナット・ハン氏が「人間は人と人との間に存在する "inter-being" である」と言うように、関係性の中から立ち現れてくる現象の連続が「わたし」であり、全ては変化し続けているということ。そういったことについて、「本当にその通りだ」という確かな実感がありながらも、人に伝えるとき、"お坊さんである自分" が、 "仏教的ものの見方" として語ってきたところがあります。ビジネスのど真ん中で交わされる議論を前にして、どこか遠慮するところがありました。でも、「世界はそうなんだ」という普遍的真実があるのであれば、もっと世界に向けて発言していいんだと思うようになりました。

私自身、そうやって世界を分けて遠慮をしてきたわけですが、社会の仕組み自体、分離の構造に限界を迎えています。「確かな個がここにある」というものの見方では前に進めないところに来ている今、仏教を預かり社会に関わる身として、さらに踏み込んでやるべき仕事があるんじゃないかと。


横田老師
以前、人から仏教の話をして欲しいと頼まれてお話しさせていただいたところ、思いがけず感動していただいて、こちらが驚いたことがあります。私たち仏教界の人間にとって慣れ親しんでいる教えが、初めてその視点に触れる方々にとっては大きな気付きとなることがあるのですよね。松本さんは、そこのところを、自ら企業などに入っていって伝えていこうとされているわけですね。


松本
そうですね。伝える時の伝え方には、「方便」が必要と思っています。どの世界にも慣性の法則がはたらきます。これまでの背景もありますから、仏教の話をそのまま持ち込んでも、「そうか」と発想を得て終わってしまうところがある。異なるものとしてぶつかっていくのではなく、一度は相手の枠組みにのって熟知しながら大事なところに近付けるようなルートを探しています。

ビジネスは政治体制と違って、世界共通のわかりやすいルールに基づいて成り立っているものです。そして、よいものは積極的に取り入れていこうという姿勢がありますから、変化が早く、貪欲さもあります。よきイノベーションを引き起こせると思えば取り入れてくれる。ただ、仏教が「宗教」であり、「宗教」と「ビジネス」は別ものと捉えられている環境ではなかなか難しい。そういった点から、国内より海外の方が持ち込みやすいのではないかとも思っています。政治的に国境を超えるのは難しくとも、ビジネスという様式は軽々と国境を超えていきます。

昨年、ワシントンで法律事務所を経営する友人の依頼を受けて、実験的に、彼の事務所に友人僧侶を派遣するという僧侶派遣(「monk manager」と呼んでいます)を行いました。業務に追われて殺伐としたオフィスに僧侶に滞在してもらうことが、職場全体にマインドフルネス効果をもたらすのではないかというのが彼の意図するところでした。コロナによって短い期間で実験は終了しましたが、手応えを感じています。


横田老師
それは面白い発想ですね。かつて、良寛さんが在家のお宅を訪ねられると、何をせずとも、そこに居るだけで家の中が穏やかになったと言われています。今おっしゃられた取り組みは、良寛さんをオフィスに派遣するようなものですね。


松本
はい。今回は海外での取り組みでしたが、海外の反応で面白いのが、「宗教者が布教している」という感覚を持たれないということです。宗教者というよりむしろ「マインドフル・マスター」というような感覚で受けとめられるのは、仏教が世界に出た時に認識される位置付けの面白さでもあります。


横田老師
ただ、それだけに、(派遣される僧侶が)本物かどうかという点で、どうなんでしょう。下手に邪心があったりすると上手くいかないかもしれませんしね。


松本
その点については、私もこれまで随分多くのお坊さんと交流してきましたが、一つ言えることは、お坊さんはいい人が多いということです。僧侶の世界も世俗の側面があって、皆が悟っているわけでも聖人であるわけでもありません。とはいえ、お坊さんが一般社会の世俗に身を置いたとき、異なる何かをもたらすことができるという確信もあります。


横田老師
そのうち、私もダンボールに入れられて輸出されるのでしょうか。本当に、松本さんの発想は意表を突きますね。

今日のはじめに、奇せずして「お坊さんであってお坊さんでない」という話をしましたが、そこが大事なのでしょうね。お坊さんでありながら、お坊さんでないものを保っていられれば、たとえ枠の中にあっても、それに囚われずに生きていける。そしてそういう存在でなければ、先ほどの取り組みも上手くはいかないでしょうね。組織を変えようという下心が働いては成り立たないわけで。何者でもない者として、お茶を飲んだり掃除をしたりして、ただそこにあるということですね。

それは、理想の姿かもしれません。


松本
本日は、貴重なお時間を、本当にありがとうございました。


★フナイ202107月号_横田老師


◉Youtubeチャンネル
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【お寺で対談】横田南嶺老師 × 松本紹圭(2021年春)
① お坊さんのようでお坊さんではない / 死への問いから、想像のできない道へ
② 宗派の教えと、自らが何を旨として生きるかということ
③ 神谷町光明寺での取り組み /「お寺は二階建て」の構造をみる
④ 今という瞬間と、悠久の時間を生きる
⑤ Post-religion - 移り変わる「宗教」と、これからの信仰を担うもの
⑥ 分けることなく、遠慮せず / 仏教の真髄を、ビジネスの様式にのせて


① お坊さんのようでお坊さんではない 死への問いから、想像のできない道へ


② 宗派の教えと、自らが何を旨として生きるかということ


③ 神谷町光明寺での取り組み /「お寺は二階建て」の構造をみる


④ 今という瞬間と、悠久の時間を生きる


⑤ Post-religion - 移り変わる「宗教」と、これからの信仰を担うもの


⑥ 分けることなく、遠慮せず / 仏教の真髄を、ビジネスの様式にのせて

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このnoteマガジンは、僧侶 松本紹圭が開くお寺のような場所。私たちはいかにしてよりよき祖先になれるか。ここ方丈庵をベースキャンプに、ひじ…

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