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対談:「長期思考 × これからの僕らのあり方」伊東勝さん(SHIBAURA HOUSE)


東京都港区芝浦3丁目。
東京湾にほど近いオフィス街の一角に、地上から最上階へと空間が突き抜けるように見える、一面ガラス張りの不思議な建物がある。

建物の1階はフリースペースとして街に開かれていて、誰でも立ち寄り、併設されたカフェでひと息つくことができる。打ち合せをする人や顔馴染みの利用者など、様々な人が入れ替わり立ち替わり挨拶を交わしている。そんな、オフィス街に息づく公園のようであり、お寺のようでもある「SHIBAURA HOUSE」。元は新聞や広告の「製版」を手掛けていたが、経営者の世代交代を機に、かつての仕事の一部を受け継ぎつつも、社会のニーズに応えるように業態は大きく変容した。以来、幅広い分野、地域と連携しながら、人が集い、共に体験する場づくりを通して、地域社会の多様な "声なき声" に耳を傾けてきた。

港区の行政やオランダ大使館とも協働しながら、「共生社会」 をテーマに2017年から活動を続けるプロジェクト「nl/minato」では、最近、神谷町光明寺も港区の声のひとつとしてご一緒させてもらっている。先日、僕もSHIBAURA HOUSEへ伺って、代表の伊東勝さんとおしゃべりをした。会社や土地の歴史を継ぎながら、よりよい未来へと、その活用法や自身のありようを変容させていく伊東さんの経営はとても興味深い。『グッド・アンセスター』を取り組みに活かしてくれているとのこと。自然と話題は、リアルな「長期思考」の話になった。

SHIBAURA HOUSE HPより(写真: Iwan Baan ©)



「長期思考 × これからの僕らのあり方」

対談: 伊東勝(SHIBAURA HOUSE代表) × 松本紹圭

@SHIBAURA HOUSE


企業経営と長期思考


伊東:
『グッド・アンセスター』を読ませていただきました。同じ時期に、ルトガー・ブレグマンの『Humankind 希望の歴史 上 人類が善き未来をつくるための18章』を読んでいて、重なるものがありました。

私たち 株式会社SHIBAURA HOUSE は、創業70年になります。これまでの歴史を感じながら経営をしています。それゆえ、中途半端な判断はなかなかしづらい。「業績が悪いから会社をやめよう」とは、ひと事では言えませんよね。元気なOBの方々もたくさんいます。70年の間に、業態など色々な変化がありましたが、今もこの場があって、そこで僕らが何かやっていることを通して、お世話になった人たちの恩に報いることができるのかなと思っています。

私が会社を継いですぐのタイミングで、当時60名ほどいた社員のうち、約40名の方に退職をいただきました。会社としてその意向を伝えることが私の最初の仕事で、必要なことではありましたが、50歳代以降の人生の先輩方にそれを告げるのは、キツかった。時代が変わる只中で、それまでアナログでやっていたオペレーションの多くはMACでの作業に切り替わり、若者の方が圧倒的に操作に長けている状況でした。そうしたなか、シニア世代の方々は会社に残っていてもやることがない。やることがないまま、定年になるまで10年前後の時間を過ごすというのはお互いにとってよくないな、と。十分な退職金手当と、転職支援コンサルタントの協力を得て、退職していただく形を取りました。結果的には、皆さんにとっても、よいかたちで辞めていただけたのかなと思います。今でも何人かのOBとは連絡を取り合う仲で、遊びに来てくれる人もいます。

そうした経緯がありますから、何かへんなことをしてOBの方々を裏切りたくないという思いがあります。皆さんに退職いただいた意味がなくなってしまう。ですから、過去お世話になった方々を思いながら、長い時間軸での人との繋がりのうえに経営をしていきたいと思っています。それが、SHIBAURA HOUSEのひとつの「個性」になるかもしれません。

『グッド・アンセスター』の中で引用されていたニーチェの言葉に、私は共鳴するものがありました。「『何のために』生きるのかが定まっている人間は、『どのように』生きるとしても、たいてい耐えられる」というものです(p162 第8章「超目標」より)。私自身、自分がやらなければいけないタイミングで会社を継ぎました。そこに、選ぶ余地はなかった。覚悟が必要だったことで、今、何にでも耐えられる感覚はありませすね。自分がなんでも出来るとは思いませんが、売上が右肩上がりで上がらずとも、今いるお客さんたちに少しでもいい影響を与えられたらと思いながら、毎日を送っています。


松本:
企業側から社員を解雇できないというのは、みんなにとって不幸なことだなと、色々な企業と関わりながら思います。安定した時代であればいいですが、これだけ環境が変化するなか、雇用関係を固定していると、産業構造を転換しにくい。会社にしがみついていた結果、会社自体が潰れてしまうということになりかねません。そこは、流動性を高める必要性を感じていて、働く人と僧侶が1on1の対話をする「産業僧対話」の場でも、転職という選択肢を提示することも行っています。


伊東:
先日、新入社員への入社説明の場で「退職金」の話を聞いていて、違和感があったんですね。今の若い世代は、退職金目当てに入社する人も、一つの会社で一生働くことを考えている人もほとんどいません。退職金制度自体が形骸化しています。退職金は雇用の流動性を阻害しますし、会社に責任が押し付けられる。本当は、北欧のように、職業訓練的なサポートと併せて、人の流動性を社会が担保していく仕組みがあるといいんだろうと思います。職人さんのような仕事は別かもしれませんが、5年先の状況もわからない時代に、一つの決まった形で硬直的にやっていくことの方が、不幸を生む可能性は高いだろうと。


松本:
かつての組織は、終身雇用、年功序列の風習のもと、冠婚葬祭まで一緒にやる「村」のようなものでした。その前提が崩れたにも関わらず、その「仕草」だけが残っている状態ですよね。実態に沿ったコミュニケーションをすれば良さそうなものなのに、建前上「ここに捧げる」ような振る舞いをしている現状があります。


伊東:
経営者の多くは、そうした現状に気づいていると思いますね。産業僧のような方がきっかけをつくってあげると、状況は変わっていくかもしれません。


松本:
そうあれたらいいなと思いますね。

社会事業と長期思考


伊東:
港区は海に面していて、運河もあり、水と関わりのある土地です。お台場には「水再生センター」という浄水場もあります。そこには、一本の管を通って、都心部の多くの下水・生活排水・雨水が混ざって流れ込んできます。浄水場の処理能力を越えた雨量があると、処理し切れない排水がそのまま海に流されている現状があります。2021東京五輪では選手村のトイレの悪臭が問題になりましたが、原因はまさにそれに当たります。問題の背景を紐解くと、1890年代に行われた東京都下水道整備事業に遡ります。計画当初は、生活排水(下水を含む)と雨水を分けて処理する「分流式」が検討されていたようです。しかし、日露戦争で軍事資金が必要とされる時代にあって、資金調達がかなわずに、一本の配管で賄う「合流式」が採用されました。時代背景に応じて低コストの選択をしたことがが、今日に影響を与えているわけです。とはいえ、こんなにも人口が増加して、ゲリラ豪雨の多発する130年後の東京の姿は、誰にも想像できなかったと思います。計画に携わった人たちが想定し得る余裕をもって計画したものの、それをはるかに上回る現実があったということです。今、分流式へと整備し直すのにかかる費用は80兆円以上と言われ、相当な年月を要します。ものごとを判断する時、その時点では、100年先の未来までは想定し得ないということですよね。それが、「長期思考」がテーマの『グッド・アンセスター』を読みながら、自分が関わる港区の事例を通して私が感じたことです。


松本:
本の中では、失敗を経て実現された成功例として、バザルゲットによるロンドンの下水道整備事業(*)が紹介されていました。

*ジョセフ・バザルゲットによる、ロンドンの下水道整備事業
1858年の「大悪臭」と致命的なコレラの発生を受けて建設された。主任技術者のバザルゲットは18年の歳月をかけ、2万2千人の労働者と3億1800万個のレンガを投入した。この下水道システムは現在も使用されている。


伊東:
今、ロンドンのテムズ川ではテムズ・タイドウェイ・トンネル(*)が建築されていますね。デンマークのコペンハーゲンでも、最近下水道を整備し直したと聞きました。

*テムズ・タイドウェイ・トンネル
 建設事業 公式HP(英語)
 https://www.tideway.london/

「イギリス、テムズ川の水質を守る新潮路トンネルの建設を決定」
 https://tenbou.nies.go.jp/news/fnews/detail.php?i=14413


社会の課題にどう応えるか
〜一緒に考え、一緒に答えを探し続ける〜


松本:
今考えていらっしゃる、新しい事業や取り組みはあるのでしょうか。


伊東:
港区に対して、地域の課題を掘り起こしアウトプットを提示していく「nl/minato」(*)というプロジェクトに関わっています。そこでは『グッド・アンセスター』でも紹介されていた「ドーナツエコノミー」(*)の考え方を採用しています。様々なアーティストやオランダのデザイナーチームに関わってもらいながら、課題を可視化したり、課題解決を図るようなことをやっています。その過程で、共通する問題意識をもつ他の地域との交流があり、現在は神戸、九州、港区の3つの地域が連動して取り組んでいます。ドーナツエコノミーの考え方を共有しながら、それぞれの地域にアウトプットしていこうという試みです。活動には、オランダ大使館や神戸市役所といった行政も関わっています。

ドーナツエコノミーは、自然環境、人の暮らし、倫理観など、様々な要素のバランスを取りながら着地点を見出すための考え方として、日本人にも理解しやすいと思います。ただ、ドーナツエコノミーを用いた営利活動は認められていないので、広く展開しづらい現実もあるようですね。

nl/minato「ダイアローグ・オン・カミングアウト」(2017)
SHIBAURA HOUSE HP より

*nl/minato
nl/minato (エヌエル・ミナト) は、2017 年3 月から始まった、港区を舞台にした学びのプログラムです。SHIBAURA HOUSE を拠点に、オランダ大使館や地域の団体や個人と協働し、「InclusiveSociety (共生社会)」 をテーマとしたイベントを実施。オランダの事例を軸にしながら、日本の状況や課題へどのようにアプローチしていけば良いか、対話を通して理解し考えることを目的としています。プロジェクトメンバーと共に、定期的な勉強会や記録・発信を行うなど、参加者と運営者がともに学び合う場を設けています。

引用元:SHIBAURA HOUSE HP

*ドーナツエコノミー
 https://ideasforgood.jp/glossary/doughnut-economics/


松本:
確かに、ドーナツエコノミーは理解しやすい考え方だと思います。私自身は、環境問題や戦争といったこの世の問題に「仏教」としてどう応えていくかも考えます。大事なことの一つは、二元論を超えていくということです。右でも左でも、保守でもリベラルでもない。仏教でいう中道とは、答えのないところに、自分にとってのど真ん中はどこなのかを、ダイナミックに探り続けるということなのかなと。SDGsは、人間中心主義的な側面があります。人間の話に完結すると、どうしても、陣営に分かれて対立する構造になりがちです。人間は言葉で社会をつくる以上、言葉で切り分けることをしています。仏教でいう「色即是空」の「色」はそれを表しています。ものごとにラベルを貼ることではっきりとはするものの、本来は言葉を超えた「空」であるということです。すべては、繋がりのなかに相寄って成り立っていて、それ一つで存在し得る「これ」というものは何もないということです。ただ、空の中だけでは生きられないので、「色」に戻り、また言葉で区分けしながら生きていく。そこには対立も生まれるわけですが、「色即是空 空即是色」を両方踏まえてものごとに向き合っていく姿勢を、仏教からこの世界に提示していく必要があると思っています。

それを、日々の生活や、例えば企業経営の中においていかに実践していくかということが課題です。僧侶の仕事は、ブッダの言葉を現代社会に伝わる言葉で伝える「翻訳者」であると思っていますので、そこをがんばっていきたいところです。


伊東:
よく、人から「何の会社なんですか?」と聞かれることがありますが、一言では表現できません。よくも悪くも、SHIBAURA HOUSEには「ゆるさ」や「遊び」があります。会社を継いですぐの頃は、私自身に、色々な制度でルールを作り、システムでコントロールしようという思考がとても強くありました。「うまく回るためにどうするか」という視点から仕組みの必要性を感じていたわけですが、人数が少なくなったこともあって、都度、一対一のコミュニケーションから解決していくようになりました。その方がやりやすい。それができるのは20名ぐらいが限度だろうと思っっていて、その規模を維持してやっていま

4年前から継続している「nl/minato」プロジェクトでは、LGBTがテーマの一つになっています。けれど、僕らに専門性はまったくありません。分からないからこそ、自分たちが学んでいくプロセス自体を企画にしました。学ぶ過程をお裾分けするので、一緒に学んでいきましょうという考え方です。そもそも、答えがあることはありません。みんなで考え続けることの中から、様々な創発や作用が生まれてきます。BtoBの仕事では「答えを出すこと」が求められますが、僕らは「一緒に考えること」「一緒に答えを探していくこと」を区役所の人たちとやっています。たとえ、そこで僕らが一方的に答えを出して提示しても、相手の担当者は変わってしまう。文化を根付かせていくためにも、自分で考える機会や、自信をもってもらえる機会をつくっていくことを大切にしています。偉そうなことを言えば、「教育的」な視点がそこにはあるかもしれません。

ついつい、「僕らは答えを出せますよ」と言いたくなりますが、「僕らに答えはありません」というところから出発する。そういうあり方であれば、「答えを返さなくては」という肩肘張った状態から力が抜けて、楽にいられます。


松本:
産業僧対話でも、方法論やゴールは設定していません。設定すると、みんなマニュアルに従い始めて質が変わってしまいます。間違っても「産業僧検定」なんてものが生まれないように、「思いがけなさ」を招き入れるようにしています。


AIとの関わり


伊東:
昨日ラジオで、キーワードを打ち込めば、AIが勝手に文章を作成してくれるという話を聞きました。人間が退化していくなか、そんな機能は要らないなと思う一方で、役所の書類や医療現場でのカルテ作成など、過剰になっているルーティンの書類作成業務においては必要だろうなと。ただ、過剰な書類作成を要する状況自体に問題を感じますし、考える能力が落ちている自分自身を省みても、テクノロジーや情報の取捨選択をいかにしていくかは課題ですね。


松本:
特に都心部にいると、人間が多く、溢れる情報も人間に関することばかり・・・人間酔いしながら、正気を失っていったりします。一つの生命として、自分が立っているベースを思い出すということが求められていると思いますね。自然に触れることは、その一つのプラクティスです。今、私たちが吸っている空気も、内に抱える腸内細菌も、人間の意思ではコントロール出来ません。人間ばかりを見ていると、何か極端な思考にも引っ張られます。「人新世」とも言われる通り、確かに、環境に対して人間の与える影響が大きくなっているのは事実ですが、そもそもコントロールなど出来ないという前提を忘れてはなりません。


伊東:
港区の模型を上から見てみると、そこにあるのは直線ばかり、つまり人口的な建物がほとんどです。埋め立てられて100年余りの土地に、こんなにも人口的な世界を作り上げた人間はスゴイなと思いましたね。僕らなんかは、こうした人口的な世界に疲れてしまって、自然のある郊外を求めたりする一方で、この土地に育つ子どもたちが、直線に囲まれた風景に「ほっとする」感覚を覚えている事実もあります。本来、人間が必要を感じて建物を建てたわけですが、いつのまにか、建物が人間の感覚をつくっているー。言い換えれば、人口的な環境に慣れるように、人間が促されているわけです。この逆転の状況は、面白いと言えば面白いですが、そうした子どもたちに僕らは何ができるだろうかと。田舎の田んぼに連れていくと、これまで見たこともないようなすごくいい顔をして、夢中になって時間を忘れて遊ぶんですね。そうした、子どもたちの中にある「本能的な野生」を知ってもらう機会を、港区にいながらも用意できたらいいなと思います。

「青梅の田んぼで稲刈り体験」(2021.10)
SHIBAURA HOUSE HP より


日々のわたしと長期思考


伊東:
コロナや紛争といった不安要素が次々と起こる中、日々の暮らしが苦しくなったり、毎日をどう生きていったらいいか分からなくなってしまう状況に置かれることもあります。そうしたときに、『グッド・アンセスター』が唱える長期思考を、どうやって一人一人の日々の行動に取り入れていけるだろうかと考えます。「衣食足りて礼節を知る」ではありませんが、頭でわかっていても、実際にそうあることはとてもキツイ時代にあるなと思うんです。そこをどう乗り越えていけるだろうかと。


松本:
よりよい方向へ向かっていく一つの方法として、顔の見える人間関係が一つの鍵になるのかなと思います。「個人か、国家か」という中間共同体が痩せ細ってしまった現代社会では、立場の弱い人がネトウヨになってしまうようなことが起きています。アイデンティティを見出せる場所がないということでもあります。ですから、自分自身の正気を保てる大事な人との繋がりを、手触り感のある範囲で一人一人がつくっていくことから始まるんだろうなと思いますね。


伊東:
そうですね。本当にそうありたいなと思うと同時に、その難しさも感じています。SHIBAURA HOUSEで、様々な場づくりや活動をしながら「開いていますから来てください」と言ったところで、そこに来られない人、アクセスしない人が圧倒的に多い。僕らの子ども向けのワークショップに来れる人は、大抵の場合、お母さんが元気で、色々な情報にアクセスしていて、それなりにいい環境にある親子です。本当に困っている人や経済的に厳しい状況にある人は、参加する余裕もないわけです。それが出来ていない状態で「地域のため、子どものため」と言っているのはちょっとおかしいなと思っているんです。ですから、これからは「来てください」というよりも、どれだけ自分からそっちへ入っていけるかをテーマにしています。100%は難しいにしても、少なくとも今よりはやっていかないと、自分達が口で言っていることとやっていることのギャップが広がってしまうと思うんですよね。それが一番怖いです。自分達だけでは出来ないので、そこを埋めていくための作業を同じ意識をもった人たちが横に繋がりながら、一緒に取り組んでいくことが必要かなと思っています。


松本

SHIBAURA HOUSEの空間や存在のあり方自体が、私からすると「お寺っぽい」と感じます。「なんの場所だかよくわからい」のがいいと思うんです。神谷町光明寺で行っているテンプルモーニングという朝掃除の会は、みんなでお経を読んで、掃除をして、話をするという会ですが、参加する人にどんな風に体験して欲しいかは考えていません。意味づけはせずただ開いていて、どう受け取るかはその人次第です。「どうしてお経を読むんですか?」「そうですね、なんででしょうね」というあり方は、SHIBAURA HOUSEに共通するものを感じます。贅沢な空間づかいは、無駄が多いとも言えますが、それはなかなか出せないことです。分かりやすい目標や、答えを素早く求める時代の限界がみえるなか、こうしたあり方に可能性があるんだろうと思います。


伊東:
励みになります。この社会も、業界も業態も、正直どうなっていくかわからないです。分からないから、その時その時、考えていく力、順応していく力があれば乗り越えられるんだろうと思います。最初から答えを求めてしまったら、逆に行き詰まってしまう。だからこそ、ひとりでなく、一緒に考えていける仲間があれば、そしてそれができる環境があれば、それでいいなと思うんです。


松本:
大企業がイノベーションを起こそうという時に、「必ず成功するイノベーションを起こそう」といって、結局何もできないということはよくあります。「思いがけなさ」をいかに招き入れられるかが大切ですね。意図をもたずに保留する力、なんだかわからないけれどやってみる、といったことが、いよいよ大事になってきそうです。


伊東:
保留しているうちに、それこそ「思いがけない」タイミングで何かがぽっと出てきたり、誰かが発見してくれたりする瞬間はよくあります。面白いですよね。考え続けて悩めるということは、すごく恵まれたことだと思います。それが出来ているからには、存分にやっていきたいなと思います。


(左)伊東勝|Masaru Ito さんと


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