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どうか、お寺を継がないで。

先日、未来の住職塾の企画で、U30世代を中心に若手宗教者の当事者ミーティング(オンライン)を開いた。当事者ミーティングとは、北海道浦河町のべてるの家などで盛んに行われている、当事者の人同士が集ってそれぞれ自分の感覚や経験をそのまま言葉にしてお互いにシェアするミーティングだ。アジェンダが決まっていて結論を出すことを目指すビジネスミーティングとは違って、一人一人の素直なナラティヴが大切にされる。

事前に男女2名ずつ4名の方にスピーカーをお願いして、当日順番に口を開いてもらったが、誰のお話もほんとうに素晴らしかった。その声が、その声の出所が素晴らしかったと言うべきか。僕は最近はポッドキャストをやっているから、その人の声がどこから出てきた声なのかに、敏感になっているのかもしれない。みんな、その人の存在に触れるようないい声をしていた。

U30の若手宗教者といえば、実際のところは宗教者以前。資格は持っていたとしても、まだ自分が将来本当に「宗教者」を生業としていくのか決まっていない人も多い。この当事者ミーティングを開く背景の話題になった時、僕は彼らに「このミーティングに出たことで、”お寺っていいな”とか”お坊さんになって実家の跡を継ぐのもいいかもな”と思って欲しい訳ではない。むしろそれは望んでない。このミーティングに参加した人の何人かは、”継がないという選択肢もあるんだ””よし、自分は僧侶にならないことに決めた”という人が出てきた方が、健全だと思う」とお伝えした。後の振り返りで、「ああ言ってもらえたことで、すごく気が楽になりました」という感想が続いた。

なぜ、U30の人たちの存在に希望のようなものを強く感じたのか、理由を考えている。

若いから。以上。という訳ではないはずで。必ずしも年齢が若くなくても、話していて希望を感じさせてくれる友人も少なくない。共通項は何かと考えてみると、「枠にはまっていない」ということかなと思った。年齢を重ねれば重ねるほど経験が増えて、どうしてもはまり込んでしまう枠が増えてくる。その点、若い人は経験が少ない分、枠からフレッシュでいられる。でも、「大人になるということイコール枠にはまること」という社会の圧力も強いから、真面目な若者ほど自らはまりに行ってしまうことも少なくない。従来型の就活などは、その典型的なイニシエーションの機会と言えるだろう。だから、僕が若者と接する時に伝えることは、ほぼこれだけ。それは「枠にはまらないで」ということ。

Over30の宗教者に希望がないかといえば、そんなことはない。輝いている友人もたくさんいる。ただ、最近どうにも自分が感じているらしいのは、宗教界の閉塞感だ。いや、宗教界の閉塞感なんて、今に始まったことじゃない。18年前、僕がお坊さんになった頃だってそうだ。むしろその頃と比べると、格段にいろんなことが起きて、チャレンジもしやすくなった。かつて年功序列、終身雇用、生涯現役が幅を利かせた日本にあって、その中でも究極の年功序列、究極の終身雇用、究極の生涯現役の僧侶界が、今やずいぶん若者にも発言権が与えられている。環境の風通しは、ずいぶん良くなった。

環境が整えば、あとはやるだけ。実際、全国あちこちでお坊さんのいろんな挑戦が出てきていて、それは良いことだからどんどんやれば良いと思うのだけど、なんだろう、いまいち「真の課題」にリーチできている感じがしない。もちろんこれは、そのまま自分の問題でもある。これだけたくさんのお坊さんがいろんなことをやっているのに、宗教が、仏教が抱えている「真の課題」にリーチできていないとすれば、逆にいえば、今起こっているいろんなことの軌跡を辿って、それらが巧妙に回避している「何か」を明らかにできれば、「真の課題」に近づくことができるかもしれない。

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