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松本紹圭の方丈庵

このnoteマガジンは、僧侶 松本紹圭が開くお寺のような場所。私たちはいかにしてよりよき祖先になれるか。ここ方丈庵をベースキャンプに、ひじり仲間と対話と巡礼の旅に出ませんか? …
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#仏教

"民藝"という、ものと、こころと

今年のはじめ、淡交社さんより『日常からはじまるサステナビリティ: 日本の風土とSDGs』を出版いただいた。出版にあたってご協力いただいた多くの方に、心から感謝したい。 本書は第一章と第二章に分かれていて、第一章では、以下の方々との対談を通して日本の風土に根付くサステナビリティを探り、第二章では「仏教とみる、私たちのウェルビーイング」をテーマに綴った。 対談させていただいた方々は、それぞれの尊い道を歩まれている。自身を含むこの世の豊かさや幸せを問い、社会のあり方を探る道は等

バルセロナより

先日、スペイン バルセロナで開催された「The Festival of Consciousness」(2024.7.12-7.14)に、光栄にも、スピーカー参加するご縁をいただきました。参加して思い立ったことを Linkedin に投稿しています。ここでは日本語を添えて、シェアしたいと思います。 2024.7.15   “How can business people contribute to the world peace?”   I have an idea. I h

仏教的対話論

武蔵野大学で関わっているカンファ・ツリー・ヴィレッジでは、2年間、計4回の、対話の場を開いてきた。今もまだ、囲んだ焚き火の跡が生々しく残っているような、そんな気配がキャンパスのそこここに残っている。この場で重ねられた対話を振り返ってみた時、未来世代に何を渡すことができるだろうか。二つ、あると思う。それは、「どのような対話がなされたか」と、「どのように対話がなされたか」だ。今ここで、一旦、振り返って考えてみたい。 1つ目、どのような対話がなされたか。それは、なされた対話の中身

クリスチャン・マスビアウ氏との対談からの考察

世界でベストセラーとなった『センスメイキング』の著者であり研究者かつ起業家のクリスチャン・マスビアウ氏にお会いした。 ビッグデータが導き出すアルゴリズムは、大きなスケールの傾向を捉えることは出来たとしても、体験的に展開される多くの真実を取りこぼす。AIが人間の生命活動・社会活動を支える時代こそ、地道な観察から読み取る人文科学の知見が必要であるとマスビアウ氏は提唱する。彼は日本の民間シンクタンク日本医療政策機構 のシニアフェローでもあり、今回、マスビアウ氏の来日にあわせて、同

お寺を超えて、仏の智恵を-掲載記事より-

昨年、アメリカ西海岸バークレーにある「浄土真宗センター(Buddhist Churches of America)」で開かれた僧侶向け研修会で、講演のご縁をいただいた。 研修に参加されていたKen Yamadaさんから後日取材依頼をいただいて、先日「Higashi Honganji Buddhist Temples」に記事が公開されたので紹介したい。 今回、取材・執筆下さったKenさんは、浄土真宗東本願寺の教育・出版部門「Shinshu Center of America

バトンをつなぐ循環医療

どんな症状の時も、病院に行く度に大抵の場合は行われることがある。 検温する、聴診する、喉を診る。 医療の基本にあるシンプルな「検査」が町のクリニックから大学病院まで、全国、そして世界の診察室で行われている。診察室だけではない。施設や企業への訪問医療、在宅医療、定期検診、さらには山岳医療から災害救助まで、あらゆる医療の現場で行われている。 もし、絶えず世界中で繰り返される「喉を診る」経験を集めることができたならー。 各地の「喉を診る」医師たちと「喉を診られる」人たちから

仏教はOSか

人の行動や意識を司るような、身体や精神に染みついたあり方、考え方、行為など、よく、コンピューターのOS(オペレーティングシステム)やアプリケーションになぞらえて語られる。考え方をあらためることを「OSを入れ替える」と表現したり、人生の転機を迎えて「これまでの価値観をアンインストールして、新たにインストールし直す」ーーといった具合に。 宗教もまた、その人の世界観や死生観にダイレクトに紐づくことから、人が生きていく根底で稼働を続けるOSに喩えて説かれるシーンも度々ある。

生活しやすくて、生きづらい国。

インドへ行ってきた。10年前、留学の時に1年間住んで以来だ。この10年、インドの経済は成長し、人口は中国を抜き、目覚ましい発展を遂げているというニュースを見ることが多かったので、その変貌を目の当たりにすることを楽しみにしていた。 私がかつて留学していた都市ハイデラバードは、デリー、ムンバイ、バンガロールほど有名ではないが、インド国内のみならず、世界の都市の中でもトップと言われる成長率を誇る。インドの変化を見るには最適な再訪場所だ。 確かに、10年の変化は大きかった。当時、

念仏はソナー

浄土真宗の信仰構造について、自分なりに理解を深めている。 阿弥陀仏の「摂取不捨」は、やはり一つの大事なキーワードだ。SDGsのスローガンではないが、「誰一人取り残さない」という意味だ。 仏道には、色々な道がある。これまでにたくさんの祖師がいて、たくさんの宗派があり、たくさんの思想や実践が生まれてきた。それぞれ仏道であるかぎり、「私が仏になる」に通じているのだから、どの道を歩いてもいいだろう。自分に合わないなと感じたら、途中で道を変えることも自由だ。 しかし、張り切って歩

Mindfulness for shameful evils

マインドフルネスが世界に広まって久しい。先行して広まったヨガが個人のエクササイズやウェルネスとして広まったのに対し、マインドフルネスは「生産性」や「集中力」といったキーワードとともにビジネスの文脈でより広く受容されてきた。しかし、マインドフルネス実践者が増えるにつれて、その副作用も認識されるようになってきた。 (オリジナルの英語記事) (同内容の日本語記事) このところマインドフルネスの負の側面に関する論文を読み込んでいたのだが、さまざまな調査研究が示すところによると、

パーソンあるいは一無位の真人

東大哲学科時代の恩師の一人であり、現在、武蔵野大学にてもお世話になっている一ノ瀬正樹先生から、先生が地元茨城の新聞に寄稿された「人は個人かパーソンか」という論説をシェアしていただいた。大きなインスピレーションを受け取ったので、ここにシェアしたい。 ここに、産業僧の活動を通じて私の中で浮かび上がってきていた人間観が、具体的な言葉として表現されているように感じた。そうだ。産業僧として対話者と向き合うとき、そこで何が起こっているのかといえば、パーソンとパーソンの声の響き合い、なの

親鸞の「往相」と「還相」をベクトルで読み解く

親鸞の著作には「海」が山ほど出てくる。山ほどの、海。というのも、おかしいけれども。 浄土真宗というくらいだから、この苦しみに満ちた娑婆世界から阿弥陀仏の安養の浄土世界へと往生することを念頭においた宗教なのだけど、「功徳の宝海」とか「弘誓の智海」とか、浄土のことを語るときにも「海」を使う一方で、「生死の苦海」「愛欲の広海」など、娑婆のことを語るときにも「海」を使う。 その親鸞は、主著である『教行信証』の冒頭で、浄土真宗についてこう語る。 「つつしんで浄土真宗を案ずるに、二

開教か、追教か

前回に続いて、アメリカの西海岸 バークレーと、旅の最後に立ち寄ったカナダ バンクーバー訪問を振り返りたい。 -- 浄土真宗本願寺派には、世界各地で教えをひらく「開教地/開教区」と呼ばれる支部があり、そこに身をおく僧侶のことを「開教使」という。アメリカ大陸ではカナダ、北米、ハワイ、南米とそれぞれに本部が置かれ、各地に広がる拠点の中心として機能している。 今回の旅では、バークレーで北米開教区本部のマービン・ハラダ総長に、バンクーバーではカナダ開教区本部の青木龍也総長にお会い

AWEのいしずえ

仕事でニューヨークやプリンストンなど、アメリカ東海岸の都市を訪ねた。それを機に北米を探索しようと、西海岸にも足を伸ばしてサンフランシスコにほど近い街 バークレーへ。目的は、BCA(Buddhist Churches of America)浄土真宗センターの訪問と、心理学者ダッカー・ケルトナー教授にお会いすることだった。ケルトナー先生とは、近く書籍の仕事で関わるご縁をいただいている。 彼が研究を行うカリフォルニア大学バークレー校は、浄土真宗センターから歩ける距離にある。一度カ