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細田守監督が宮崎駿監督を批判!?

たまたま、竜とそばかすの姫について検索していたら、とあるまとめサイトから↑のFrance 24の記事にたどり着いたのだけれど、この記事…結構面白いんだけど同時に「大丈夫?」って思う部分があるので、一応英語やってる系ニート(期間限定ですよ、当然…/笑)として触れていこうと思う(笑)

上の記事では、カンヌ映画祭での細田監督のインタビューを掲載していて、名前こそ挙げてはいないものの…インタビューの中で「宮崎駿作品」におけるヒロインの描き方を批判しているのではないか、と記者が感づいている、あるいは邪推している…?箇所が一部サイトで話題になっている。尚、この記事は日本語訳となって各ニュースサイト等には一切掲載されておらず、一部まとめサイトで取り扱われているにとどまっている。

日本語訳については、自分で翻訳してみようとも思ってみたけど…ちょっと面倒になってしまったので(笑)下記のサイトをご参考に頂ければ幸いです。

まず、細田氏が言うところの「巨匠」は宮崎駿なのか…正直、元記事を辿っても「記者の推測」にしか感じられない部分も多いし、この発言だけで宮崎駿氏への批判と取ってしまうのは無理があると思う。あくまで、「若い女性を神格化するアニメーション」というような、曖昧な表現にとどめているのだから…正直、該当する日本の作品は相当あるし、これを宮崎氏に限定してしまうのは逆に危険すぎる。

一方で、「若い女性をヒロインにする巨匠は、男として自信がないからそういうことをのではないか」という、一応「誰とは言わないけど」という前置きを含めた発言だけど…これも、宮崎氏に向けられたものとは限らない…いや、むしろ宮崎氏の作品にリンクさせてしまうのは乱暴ではないかな、と思う。宮崎氏はそもそも男性のコンプレックスを作品で描いているわけでも、ご自身も抱いているような印象も個人的には感じられない。むしろ、そうした歪なマッチョイズムとナショナリズムへの強い反発から、女性を主役に物語を展開しているようにも思えるから…。あるいは、記者が彼の作品にそういうものを感じたが故に…という可能性もあるけど、それも「細田氏の発言」とは全く別のことだからなぁ…。

最も、あえて曖昧に堪えてしまった細田氏の責任もあるのは否めないのかもしれないけど…恐らく、本質的に「日本のアニメーションが陥ってしまう傾向」を批判しているのだと思う。いずれにせよ、普遍的にかなり踏み込んだ発言にもかかわらず、「宮崎駿」と限定するのはやっぱり危険で乱暴だと思うなぁ…。何より、アクセス稼ぎの疑いもある、どっちも大物だからセンセーショナルな見出しになるってのも考慮しないとね…現に、こうして俺も記事にしてしまっているし(笑)

では、どうして記者が「宮崎駿批判」と捉えてしまったのか…それは、

「Suzu and her computer geek friend are far from the women that usually populate Japanese anime -- which is where Hosoda takes issue with Miyazaki, the Oscar-winning legend behind classics such as "Spirited Away"」

「スズと彼女のオタク友達は日本のアニメ作品でお馴染みの女性キャラとはかけ離れている(描き方をされている)、これは細田がオスカーを獲得した名作「千と千尋の神隠し」で知られる(←作品比較のための引用ではない)宮崎駿に強く反対(意義を唱える的な)している箇所(から)である(であろう)」

としていて(変な訳ですみません)これも実際…当たり前ではあるが、細田氏からの直接的な言及は記事では見られない。故に、先にも触れた記者による「主観」が含まれているのではないかなと…。自分はまだ「竜とそばかすの姫」を見ていないので、実際に宮崎批判のための「スズと彼女の友達」の存在、なのかは分からないけど…、やっぱり記事的には「日本のアニメーション全般」的なニュアンスでとどめておくべきだったと感じる。

故に、この記事が日本語訳で正式に採用されなかったのか…分かった気がする。そのまま訳して載せるにはリスクが大きすぎる…(苦笑)最も、細田氏もあえてフランスのメディアのインタビューで、日本のアニメーションへの批判を展開するのも…何らかの意図や微妙な気遣いがあってのことだろうし、当の本人たちは「三面記事」程度の話で気にすることもないだろうしね…(笑)

ただ確かに、細田氏と宮崎氏の女性の描き方は異なっている部分は多いと感じる。というより、基本的に宮崎氏の作品におけるヒロインは「母性」が強い。それの好き嫌いは別としても、確かに最初期の「パンダコパンダ」におけるヒロインの描き方は紛れもなく「トトロにおけるメイちゃんでサツキやナウシカの母性を描く」ような印象で、あの作品自体は好きだけど…ちょっと、少女に対していろいろ詰め込みすぎじゃ…と感じたのは事実(笑)

一方、細田氏の作品では…自分は「サマーウォーズ」と「オオカミこどもの雨と雪」を見たのだけれど、よく言えば現代的で等身大、悪く言うと…若干感情移入しにくく、あまり魅力を感じない…あるいは2作品においてはヒロインを描くことに「実はあんまり関心がない?」ような印象を受けたんだよね。

オオカミこどものほうは、若くしてシングルマザーになった女性の奮闘記、という形で個人的にもう少し本人に対して距離が近かったり、あるいは2度目に見たときは「割と依存症チック」な印象も受けたり…要するに、ちょっとヒロインが気になる作品にはなっていたけど、確かに神格化された女性像や母性ではない(色々邪推する見方もあるけど、あれは不完全な女性が母親を務める感じが印象的な作品)故に、そういうヒロインを宮崎作品のアンチテーゼ、と捉えることもできなくはないけど…。

他方、サマーウォーズにおけるヒロインの女の子…前評判とは裏腹に、なんか個人的に共感するような印象が少ないというか、あんまり、魅力的に思えなかったんだよね…。どうして主人公がヒロインの子を好きなのかがイマイチ分かりにくかったのもそうだし、単にアイコンとしての「サバサバ系」を具現化したようなだけという印象も…。しいていうなら、作中で(主にフェミニスト的視点から)評判が悪かったという「親戚のおじさん連中」のほうが、個人的に親近感を感じてしまった…(笑)

とはいえ、実は上記2作品は細田氏とは別の方による脚本なので、意向が若干なりとも含まれているのかもしれないが、彼のヒロイン像とは別なのかもしれない…。細田氏が脚本も担当した「バケモノの子」と「未来のミライ」は未視聴なので、恐らくこういうラインから探っていくと…ちょっとは、見えてくるのかなと思うけどね…。

というわけで、改めて…「竜とそばかすの姫」を見ていないので、完全に否定できるわけではないが…やっぱり、宮崎駿氏への批判とは違う気がする。いや、あの発言の中に彼の作品が含まれている可能性は、あるのかもしれないが…やっぱり、駿氏の作風を考慮しても個人的には違う気がするし、細田氏もフランスのメディアで、そういう曖昧で下らない小細工は展開しないと思うから…それでこそ、北野武監督の「日本のアニメは嫌い、宮崎駿が嫌い、インチキ臭い」という位ハッキリした主張なら、わかるんだけど…(笑)

ちなみに、このインタビューで細田氏が一番言いたかったのであろう一文を翻訳して、締めくくろうと思う。

「Human relations can be complex and extremely painful for young people. I wanted to show that this virtual world, which can be hard and horrible, can also be positive」

「人間関係は若い人々にとっては複雑で、とても痛みを伴うものです。私は厳しくかつ恐ろしくもあり、同時にポジティブでもある仮想世界を見せたかったのです」

細田氏は家族とインターネットという、一見すると保守と進歩という相容れない概念軸で物語を展開することが多いけど、根底にはネットへの強い関心と可能性への信頼があるのかなって思う。作品で展開されるメッセージは其々好みがあるとして、彼が確かに既存のアニメーション作品で展開される女性像や若者像とは別の位置を目指している、ということは確かなのだと思う。

余談だけど、細田さんは作品の好みは別として…多分、直接話すと面白い人だと思う(笑)個人的に、彼の作品で一番好きなのは「デジモンアドベンチャー ぼくらのウォーゲーム!」。あの短い尺であれだけの展開と物語をまとめてくるのは、本当に凄いと思いました。

画像は「となりのトトロ」に登場するゴッドファーザー…いや、大トトロに敬意を表して作られたっぽい木の看板です(笑)川越の菓子屋横丁のはずれにあるので、ご興味のある方はぜひ…!

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