意味をひらく

「意味をひらく」ことで見える事

これは、老子の言葉です。モノゴトにはカタチ(有)意味(用)が与えられており、このふたつの関係で価値(利)が創られています。(…と、この言葉から解釈してます。)
 ※ここで言うカタチとは「様(さま)」と捉え、プロダクト・サービス全般を指して「モノゴト」と表現しています。

いま「意味のデザイン」が注目されている背景では
カタチをつくるための元になる「意味」が、まるで一つの正解しか無いかのように、みんなで同じような「意味」に対してカタチを与えようとしているから、どこの製品も似たり寄ったりで、選びようがない今の市場があるように思います。

ここで、他よりも魅力的に見せるために「カタチ」のプロフェッショナルたるデザイナーの存在もありますが、そもそも「カタチ」の元となり「価値」を創り出す「意味」を考える事は、根本的に問題を解決できるような方法なのだと思います。自分たちだからできる独自の「意味づけ」これは、他者にはマネできないとても強力なデザインの幹となる部分です。

■ そもそも私たちは何に「価値」を感じるのか?

もう片方で、私たち生活者の目線で考えると、一体何に「価値」を見いだしているのでしょうか? テレビを事例に考えてみると...

このなかで一つテレビを購入するとしたら、あなたならどれを選びますか?
テレビの佇まい、部屋の雰囲気との統一感、映像の表現力...どれを比べてもイマイチ決定打には欠けるのではないでしょうか?
これは、最初に触れたように「部屋に置かれる映像の出力装置」という一見すると本質的な意味を、みんながカタチにしようとしているから起こることです。

では、もう少しテレビの意味を考えてみると「映像として出力される情報を楽しむ」というふうに開くことができます。すると、テレビというモノの固定概念の枠から外れて「どう楽しむ?」「なにが映像で出たら楽しい?」のように発想ができるようになります。例えば…

▼映像だけが空間に浮かび上がるような

▼もっと親しみやすい距離で映像を楽しむ!

▼アートのように映像で部屋を"飾る"

...こういったモノが、テレビの意味を考えていった先に発想されそうですよね。サービスで考えてみると、NETFLIXやhuruのような映像配信サービスも「映像として出力される情報を楽しむ」意味の文脈でテレビを捉えていると言えると思います。

 私たち生活者がほしいのは、テレビと言う額縁の存在ではなく
楽しい時間を過ごすという「価値」をもたらしてくれる
「意味」の存在である

つまり、意味を考えると「他者とは違う、我が社の独自の価値を生み出すこと」と「提供するモノゴトに、生活者が価値を感じてくれること(ロベルト・ベルガンティ氏流に言えば「愛してくれる」)」を同時に叶える事でもあります。

■ どうやって「意味をひらく」?

意味をひらくという一連の行為には、ふたつのステップがあります。

これは「すでに記号化しているものを崩して、もう一度構築し直す」という<de・sign>の考え方でもあります。

[まずは、モノゴトの意味を開く]
私たちはモノゴトを固有名詞で呼んでいます。これは会話の中でのショートカットとして有効に使えますが、モノゴトが内包している「意味」を見えづらくしている原因でもあります。また、固有名詞を使う事で知らぬ間に既成概念に囚われてしまうことも多くあります。

例えば、会話の中でペットボトルの事を「飲料の入ったプラスチック製容器」と言う人はいないと思いますが、新しいペットボトルを考えましょうと言うときには「飲料の入ったペットボトル容器」に隠された意味までも考えないといけません。その意味を開いてみると...

これが「ペットボトル」と呼んでいるモノゴトの内包する意味です。
※歴史、社会背景、環境変化の文脈など、いろんなレイヤーで意味を開いていく事ができると思いますが、今回はモノの側面から意味を開いています。

ここから色々な気づきが生まれると思います。
モノとして見ると、サービスとして考えると、システムで捉えると…など「ペットボトル」と言う固有名詞からはおよそ思いもよらなかった発想の種が散らばっているハズです。

[開かれた意味から、存在の意味を拓く ]
意味を開いた状態は、料理で言うところの下ごしらえの部分です。材料を様々に切り分けたり、皮をむいたり、塩で揉んだり…ある文脈の中でモノゴトの意味を明らかにしていきました。

この先は「ある人」にとって、そのモノゴトとの関係性(存在の意味)を拓いていきます。わかりやすく言えば、「私にとって、車は”相棒”のような存在です」みたいな視点で開いた意味の中から、その意味を変化させていきます。
(上の車の例の場合、「遠くに行くための移動手段」という意味から「私にとっては相棒」という視点で「いつも一緒に居たくなるような良き理解者」としての存在へ意味を変化させています。)

ペットボトルの続きで言うと、「水分補給だけでなく気分転換をしたりと、ふとした時にすぐ飲みたいから、かばんの中にペットボトルを常備しておく人」にとっての存在の意味を拓いてみると、「いつでもすぐそばにある"カバンの中のカフェテリア"」なのかもしれません。するとボトルやラベルのグラフィック的処理だけでない、生活の中で飲料を摂取するという行為自体の体験をデザインする課題が見えてきますね。

課題を「解決すること」に、知恵を絞ることはもう手慣れたプロセスだと思うのですが、そもそも解決する問いを創り出すことが今は重要になってきています。それはモノゴトへの意味づけを、いかに自分だからこそできる独自の文脈・視点・切り口でおこなえるかにかかっていて、そのためには「意味をひらく」ということが第一歩としてとても大切だと思っています。

意味を開く→内包された意味を明らかにすること
意味を拓く→あたらしい意味に変化させる、切り拓く
意味をひらく→一連のプロセス全体を指して使っている
こんな感じで、3つの「ひらく」を使い分けてます。

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