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人間の存在価値:なぜ労働時間は短縮されないのか

労働時間はなぜ短くならないのだろうか。不思議な社会問題の一つだ。働き方や職種が多様化する現代においては、「労働時間」という考え方に違和感を覚える者もいるだろう。しかし、一般的な企業に勤める者が、1日8時間、週に約40時間という雇用契約を結び、働いていることは事実だ。

ちなみに週当たり40時間という労働慣行は、カール・マルクス(1818-1883)の生きていた時代に、すでにアメリカの一部では実現していた。そこからおよそ150年の月日が経過しているにも関わらず、依然として労働時間は固定的で、その形態に大きな変化はない。

技術の発展に伴い生産性が向上しているのだとすれば、労働時間はやがて短くなる。多くの人はそう考えた。しかし、現実はそうはなってはいない。それはある意味、資本主義という碁盤の上で利潤の最大化を求める企業としては、当然のことなのかもしれない。世界市場に対して利益が見込める限りは、際限なしに生産する。新しい技術の開発と普及が行われていると言えども、単純作業でさえ、まだ人手を必要とする水準だ。

一方で、テクノロジーの進化によって、新たなビジネス分野が開拓され、仕事が増えたとも考えられる。機械的技術に代替される職業がある一方で、新たに創出される職種も存在するからだ。

様々な見解がある中で、興味深いものとしてブルシット・ジョブ(どうでもいい仕事)の増加が挙げられる。アメリカの人類学者デヴィッド・グレーバーは著書『ブルシット・ジョブ:クソどうでもいい仕事の理論』で、無意味な仕事が数多く存在していることと、その社会的有害性を指摘している。

ブルシット・ジョブが増える要因は多岐に渡る。個人的には、労働の背後にある人間の意識が作用しているように思う。代表的なものとしては、日本語で言うところの「働かざる者食うべからず」という価値観だ。労働をなくす、少なくとも労働時間を短縮するという考え方を消極的に捉えている人は一定数存在するのではないだろうか。

労働は、そのような人々にとっては、彼らの存在価値を規定するものとして機能している。つまり、仕事をしていなければ自分には価値がないと無意識に思い込んでいる。ブルシット・ジョブが増える背景の一つには、自己の存在意義が揺らぐことへの怖れがあるのだろう。

労働時間の短縮を実現させる上では、新技術の導入や労働システムの改善に加え、「労働」に対する人々の意識や価値観への適切なアプローチが必要だ。いわゆる「社会人」の思い込みは、思いのほか強い。人々の思考に根付く、非合理的な意識や価値観にどう働きかけていくかが労働時間を短縮すること、および「労働」そのものの在り方を変える鍵となるだろう。

2023年1月10日

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